医療面接演習で、自己紹介をして、その直後に「今日は、なんで病院にいらしたのですか」と尋ねた研修医がいました。SPさんは少し戸惑ってから「電車ですが・・・」と。面接終了後のディスカッションで、どうしてその質問をしたのか聞いてみると、「緊張をほぐそうと思って」とのことでした。「なんで」では、何を尋ねているのかわかりません。

 

 「電車で」という答えが期待するものだったかどうかはともかく、「腹痛」が主訴だったのですから、それならそれで「駅の階段は大丈夫でしたか、電車の中で気持ち悪くなりませんでしたか」と尋ねることはいっぱいあるのに、そこまでは思いが至らないようです。

 具合が悪くて病院に来て、最初にこのような質問をされると、逆に緊張が高まってしまうかもしれません。「もっと病気のことを聞いて」と不信感が生まれるかもしれません。医療面接の教育が共用試験OSCEの段階で止まっていて、大学でその後のフォローアップ教育がされていないことが分かってしまいます。緊張をほぐすということは、何か時候の話題のようなことを言えば良いということではありません。「OSCEではこれで良いけれど、ほんとうはね、その目的のためにはこんなふうにするともっと良いんだよ」と指導してほしいなあ。

 

 「緊張をほぐす」ということは、つらい状態で病院に来た人に「温かく受け入れられている」と感じてもらえるように接することであり、一言でいえば「良かった、これで一安心」とホッとしてもらえるということです。「砂漠にオアシス」です。

 私は外来診療時には、診察室の扉を開けて、直接患者さんに向かって名前をお呼びし、そのまま扉を開けて入室されるのを待ち、あいさつし、着座を勧めてから私も

座るようにしているということは前にも書きました。自宅に大切なお客様をお迎えする時には、誰でもそうするでしょう。少しでも患者さんの緊張が和らぐのではないかと勝手に期待しています。

 それに、こうすれば患者さんはマイクの大きな声に悩まされることも無くなりますし、番号表示を見つめ続ける必要もありません。ドアをノックすることも、具合が悪いのにドアを自分で開けることも、必要なくなります。私は、その時の患者さんの行動や動作で、たくさんの診療情報も手に入れています。「そんな工夫を、自分なりにしてみたらどうでしょう」と説明しました。

 

 

 病院に勤めていた時、私は来客があるとき、約束時間よりも前に病院の玄関か面会受付でお待ちするようにしていました。講演をお願いした講師などの場合は当然ですが、たとえば転勤で当院にはじめて挨拶に来る医師、私に講演を依頼するために直接来院される方、私と相談があるということで来院される方などの場合でも、そうしていました。

 

 約束の時間に部屋で待っていて、ノックされたら「どうぞ」と答えるという、その「上下関係の感覚」がまず肌に合いません。面会受付から講師到着の連絡を受けて、やおら出向いていくのはどう考えても失礼な気がします(そんなことが全くなかったというわけではありませんが)。その居心地の悪さだけで、私はコミュニケーションに躓きそうです。

 転勤の挨拶ていどのことでも「どんな部長だろう」「どんなふうに話せばよいだろう」と来院される方はなんとなく不安なものですし、「今日はどんなふうに相談すればよいだろう」と悩みながら来た人はもっと緊張しているでしょう。

なんとかその緊張を和らげるところから、おつきあいを始めたい。「ようこそ、お待ちしておりました」という気持ちを表したい。私にできることは、このくらいのことしかありません1)

 たかだか10分か20分の時間ですが、私もその時間、ずっと相手の人のことを想って待っています。待ちだした時からつきあいが始まっており、私の心の中ではその時間がつきあいの厚みを増してくれました。

 

 こんなこともコミュニケーション教育ではあまり伝えられていないかもしれません。ニッチな部分としか思われないのかもしれませんし、それほどにも思われていないかもしれません。でも「ニッチ」って、「隙間」という意味もありますが、「適所、適切な地位」という意味もあります。隙間におかれた調度品がその場の雰囲気にピタリとはまっているとき、その家の人のセンスの良さが光り、その人と親しくなりたいと思います(逆も真です)。そこで大勢が決まってしまうことも少なくないのかもしれません。私のセンスが良いという意味では全くありませんが。

 

1)謝罪のために来院した人を待っていたこともありました。かえってプレッシャーになるかもしれないと思ったのですが、そこは出会ったときの態度に賭けました。「大変でしたね。気にしなくて良いですよ。それより、自分を大切にしてください」という思いを、待つことで伝えたかったのです。