研修医同士で医療面接のロールプレイをしてもらった時のことです。「ご家族のことについておうかがいしたいのですが、病気の方はおられますか」という医師役の定型的な質問に対して、患者役の研修医が「おかげさまで元気です」と答えました。見ていた研修医たちは「おかげさまで」という言葉に「えっ」というような反応をしたのですが、正直なところ私も意表を突かれました。

 

 これまでずいぶんロールプレイを行ってきましたが、患者役の医療者から「おかげさまで」という言葉を聞いたのは初めてでした。なりたての研修医と言えどももう医者ですし医療面接について大学で学んでいますから、研修医同士のロールプレイだと、この定型的な質問については「元気です(誰々が〇〇病です)」とすんなり答えてしまうのが普通です。患者役をしていても、医者から抜け切れないものなのです(大学を卒業したての研修医でも、頭の中は十分「医師頭」になっています)。

 意表を突かれた私もそうです。私自身あまり使わなかったこの言葉を、私よりずっと若い人が自然に使ったことに驚き、「おかげさまで」という言葉の温かさをあらためて感じました。それ以来、私は意識して使うようになりました(最近では自然に出るようになった)。

 

 それは、この研修医のもともとの性格/習慣にもよるのでしょうが、それだけではなく、あのとき医者という自分の属性を抜け出して、患者のほうにグッと近づいていたのではないかと思います。坂上香監督の映画『プリズン・サークル』(2019)でロールプレイには人の心をうごかす大きな力があることが描かれていることを、村上靖彦さん(『ケアとは何か』中公新書2021)とブレイディみかこさん(『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』文藝春秋2021)が相次いで紹介しています。

 この映画は、犯罪加害者同士でロールプレイを行っている記録ですから、医学教育にそのまま当て嵌まるとは限りませんが、研修医や医学生同士のロールプレイ演習には、彼らが患者体験をするという、模擬患者相手のシミュレーション演習では得られない効果があります(私は、ロールプレイとシミュレーション演習との両方がそろってはじめて医療面接演習が意味を持つと考えています)。「このロールプレイのシーンを見ていると、演技が「I(アイ=自分)」の獲得だけでなく、エンパシーという能力を向上させる機能もあることがよくわかる。」(ブレイディみかこ前掲書)

 

この温かく奥行きのある言葉を大切にして、医者として育っていってほしいと、私は思いました(上から目線だ!)。医者は「おかげさまで」と人からは言われ続けているのに(ので?)、他の人への「おかげさまで」という心を忘れてしまう職業なので。