私が東京SP(模擬患者)研究会(現:一般社団法人マイ・インフォームド・コンセント)の活動のお手伝いをするようになってから25年余りが経ちました。はじめのころSPというものを知っている大学の教員はごくわずかだったのに、今ではコミュニケーションについての教育を行うことがどこの大学でもあたりまえになりました。

 試行的にわずかの大学で行われていたOSCEは共用試験として必修のものとなり、さらにadvanced OSCE(post clinical clerkship OSCE)も行われるようになりました。

 

 どの大学にも医学教育部門が設立され、コミュニケーション研究の専門家という人も増えてきました。コミュニケーションに関する本もたくさん出版されるようになりました(他人事ではありませんが)。卒後臨床研修も必修化されてから15年になります。

 

 OSCEや医療面接演習のおかげで、若い医師の多くは患者さんに挨拶するようになりました(挨拶する習慣はけっこう抜けないようです)。言葉遣いも丁寧になりました。open-ended question(開かれた質問)で相手の話を遮らず、相槌を打ち、「共感的な言葉」を言い、話をまとめ、患者さんの考えや希望を尋ね、言い残したことがないか確認することも知りました(こちらのほうは、だんだん忘れる人が少なくありません)。「聞く」ではなくて「聴く」ことが大切だと、若い人は何度か聞かされているはずです。

 

 それでも、こうした教育・医療面接演習が目指すのは、やはり「患者から情報を聞き出す」こととされがちです。つまり、目的は患者にいっぱい情報を話してもらう(「吐かせる」に近い)ことです1)

 研修医の演習ともなれば、「よく聞き出していた」「話を引き出す」「質問があちこちに飛んでいた」「どのような疾患を考えて質問していたのか」「既往歴の訊き方が不十分」「一日の生活を話してもらうと情報が得やすい」「敬語が間違っていた」というようなコメントが飛び交います(そのいくつかは私も言っています)。こうして情報収集の姿勢ばかりが伝わりがちです。

 

 模擬患者さんも「困っていることをいろいろ聞いてもらえて、うれしかった」「わかってもらえた気がした」「丁寧に話してもらった」「質問が少し前後したので、どう答えてよいか迷った」というように、なるべくポジティブなフィードバックを心がけますので、結果としては医療者の姿勢を強化してしまいます。(こうしたフィードバックは全く適切なものです。それに、「もっと雑談したかった」なんて言えませんし、言われた方も困りますものね。)

 

 でも、これでは医療面接は、医療者のためのものでしかありません。必要な情報を得て患者をこちらのペースに乗せるための「武器」だということになります。

 「武器」だと考えるからこそ、『戦略としての医療面接術』などという本が出版されます。そこには、患者は「武器」を用いて「組み伏せるべき敵」だという思いが潜んでいるような気がしてしまいました。ストラテジーという言葉の翻訳だということは分かりますが、ストラテジーというのは所詮「戦いに勝つための大局的な方法や策略」です。関係者は誰も「戦略」という言葉遣いに引っかからなかったのでしょうか。

 

1)「医療面接には、ラポール形成、情報収集、動機付けの3つの目的がある」などとよく言われました(今でも言っている人はいると思います)。でも、信頼形成一つでどうしていけないのでしょう。並列するから、信頼形成が軽くなってしまいます。信頼形成がなければ、後の二つはついてきません。医療面接について「導入、主訴・経過・症状の明確化、感情面への対応、不足部分の補充、解釈モデル、受診動機の確認、受療行動、患者の背景」などとステップ化して説明されることもありますが、これならば「AIのほうがうまくできる」と思う人が出てくるのも不思議ではありません。