今朝も朝から吠えまくってしまった。

子供が起きてすぐ、とか

学校行く前とかにあまりガミガミ言うのはどうかと思う。

やめた方がいいと思うし、サイテーだなと思っている。

 

今日も起こすのに時間がかかった、

最初は優しく声をかける。

少し声が届くようになったら、身体をやさしく撫でたり、先端を動かしたりして、

身体を徐々に覚醒させていく。

だいぶ目覚めてきたなと思ったら、今度は意識に働きかけていく。

そうして、順番に辛抱強く起こしていく。

 

最終的には、起きづらさ次第では、もう抱っこできない大きさにも関わらず、

抱えてリビングに行くつもりだった。

そうすることも多い。

今日着ていく服は、頼まれた通り用意済みだ。

でも本来は、これも自分でやるべきことの一つ。

だが面倒くさがって私に押し付けてきた。

 

そもそも、子供を起こすより遥か前に、

私は頑張って起きている。私だって眠い。

でも、誰よりも早く起きて準備しないと大量にある事をこなせない。

 

まず皿洗いだ。前日の夕飯の残骸。

昨日やっとけよ、と言われるかもしれないが、

夜の8時に寝かしたい私は、夕飯の後も

子供にハミガキやら、洋服の用意やら、寝る準備をさせるのに四苦八苦している。

たいてい、寝る気のない子供が反抗し、コトはうまく進まない。

結局は、9時に床につくことが多い。

 

そして、寝かしつけをしなければならない。

いまだに一人で寝室に向かうことすらできないうちの子は、

自分が寝た後の私の行動まで制限しようとしてくる。

 

赤ちゃんの時から、寝つきも悪いし、

眠りも浅かった。

だから30分おきとか、1時間おきとかで泣いてた。

 

夜泣きは5歳以降も続いた。

大抵寝かしつけた1時間後に、なき声で気づき慌てて駆け寄るパターン。

 

敏感な事に加え、

鉄分を体内に保持しておく力が著しく弱く、

ムズムズ脚症候群という病気を赤子の時から持っていた事も大きい。

 

寝かしつけは私、その間に食器を片付けておくのが旦那となっていた。

はずだった。

 

子供が幼稚園に入ると、いつしかその役割分担はなくなり、

私がずべてすることになっていた。

子供が年長になり、小学校になり、

いつしか朝のゴミ出しもやらずに出勤するようになったため、

私がやることになった。

 

朝起きて、食器を洗い、ゴミをまとめ、

洗濯を回し、掃除をし、水筒などの用意をし、

お湯をわかしたり、朝ごはんを用意したりする。

時間になったら子供を起こしにいくわけだが、

その時の流れが冒頭の通りだ。

 

この後、仮に無事にリビングについても

まあ、子供ってすぐに着替えない。

いつまでも瞑想してるかのごとく、ぼーっっっっっとしたまま、

この時間が永遠に続くかのごとくのんびりしている。

時間が足りなくなって、今度は喚き散らかすので、

結局手伝うハメになるか、

作業しながら怒鳴る羽目になる。(親に着替えまでやらせようとするため)

 

だから、ふとんから起き上がることもせずに、その場で10分、15分以上立ち始めると

私も焦り始めイライラしてくる。

「起きたくない!」ならば学校を休め、と思うのだが

「学校休むのは嫌だ!」

「じゃあ起きるしかない」「やだ!」この繰り返しだ。

共感しても、反論しても、諭しても一緒。お手上げだ。

私には大量に作業が残っている。

「じゃあ、下で待ってるね」「ダメ!」

 

抱っこしてでも、連れて行ってあげようと手伝う気満々の私からすると、

起きる気がないのに、側でつったってるだけのこの不毛な時間は耐えられない。

この時間をほかの作業に当てたい。

そうると、次第にイライラは募り、朝から怒鳴りたくなる衝動に駆られる。

 

今朝はどうにか抑え、旦那と交代した。

そうこうして、やっと朝ごはんを食べ出した子供に、今度はヘアセットだ。

細くて長い髪は、尋常じゃないくらい鳥の巣状態で、

クリームや寝癖スプレー、ブラシやくしを駆使して毎日

10分以上はとかすだけで時間がかかる。

 

私は、子供と一緒に朝食卓を囲めたことはない。

常にやることに追われていて食べる時間も自分のものを用意する時間もない。

 

今日は、缶を捨てる日だ。

旦那は毎晩ビールを2本は飲むので、二週間に一回の回収では、

大量に出さねばならない。

だが、奴はまとめることも一切ないまま家を出て行った。

 

8時までには出さねばならないため、

ゴミ出しがされていないことに気づいた私はダッシュで、

カンをまとめ、既にまとめていたのに出してくれなかった

プラゴミ袋を抱えて外に出た。

この時点で朝治めたはずのイライラが、一緒に噴火してきた。

 

カンを出したことで、空になったゴミ箱を見て+1イラ

・いつもビニール袋にカンを入れろと言っているのに、ビニールにいれないまま、

どんどんゴミ箱にいれていきやがるから、ビニール袋とこぼれたビールの液体で

ゴミ箱がベトベトぐちちゃぐちゃ。

 

ゴミ箱を洗う +1イラ

 

ゴミ箱があった場所の床のゴミに気付く +1イラ

 

その隣の雑紙ゴミにも目がいく +1イラ

たばこの大量の箱がつまっている。ビニールとってねーし、箱パンパンだし、

詰め込んでるだけでちゃんといれろよ!

雑紙を出す時の紙袋に捨てていく方法だと、うちの旦那は紙を重ねていかず、まるまってたり、

折れた状態でどんどん上から押し付けていくため、本来入るべき容量の1/3程度でパンパンにし、破いたりてしまう。なので、仕方なく一度ゴミ箱に入れさせ、私が後日紙袋に綺麗に詰め直して捨てるという手間のある工程になってしまっている。

 

だいたい、タバコをこんな吸ってんじゃねーよと思う。 +1イラ

 

なぜって、吸うこと自体は責めないが、トイレの中で吸うからだ。それを考えると +1イラ

 

うちのトイレは洗面所と一緒であり、タオルや歯ブラシなど、洗面用具も置いてある。

普通のトイレより多少ゆとりはあるが、個室内でタバコの煙を充満させるのに心底嫌気だ。

それを思って +1イラ

 

さらに、窓があるので基本年中開けっぱなしだが、冬はとにかく寒い。

 

だから空気清浄機を用意し、窓をしめた。だがこの清浄機の掃除はしない。

結局私がやる羽目になる。

タイマーも何度言ってもかけない。つきっぱなし。

ガーガーうるせー。毎回頃合いを見て消すのは手間だ。

 

冬に窓を閉め切るのも、と思いたまの換気も私しかやらない。

 

トイレ内の掃除も一切しない。床に落ちた灰も、

壁のヤニとりも、普通のトイレ掃除も、一切合切私がやっている。

 

しかも、このトイレ洗面所はうちのリビングの構造上、

ダイニングテーブル にとても近くて、通常なら気にならない匂いもタバコとなると届く。

 

それをこちらがご飯を食べている時に、トイレに入ってタバコを吸われたりする。

 

このタバコの件だけで、十分離婚案件になるほど、

嫌がることに共感する世の女性が大半だと思う。

 

タバコをやめろとは言わない。

だが、なぜ一人のわがままのために家族が、匂いやヤニや寒さに我慢しなければならないのか、

なぜそれを防ぐための努力を私が一人で担うのか、甚だ疑問で苛立たしい。

 

そういうのも、今朝のビールカンが捨てられていなかったことで、

一気に噴火した。

 

こうするともう、手がつけれらない。

そもそも、こどもがさっさと起きたら、

自分でさっさと着替えたら、旦那はゴミ捨てする時間があったかもしれない。

気がついたかもしれない。

 

しかもこの余計な作業をしながら、私は子供を送る準備も並行してしなければならない、

 

他の家のお母さんは、誰も送ってないのに、

他のお母さんがやってないことを私はやらねばならない理不尽さ!

 

そんな負の思考回路にハマったらもう最後で。

 

不平不満、罵詈雑言、妬み恨み辛み、

身体の中からこれでもか!とウミ出しのごとく、

次から次へと出てくる出てくる。

 

で、今朝から爆発しまくった。ということだったんです。

 

タバコのことも、ビールカンのことも、

子供を今だに送らねばならないことも、

 

他の家では気にしなくていいこと、お母さんとして妻としてでの仕事でないこと、

そんな被害妄想に囚われてしまって、

 

「なんで私は他の家のお母さんより仕事が多いんだ!ただでさえお母さんってやる事で溢れているのに、なんでなんでこんなに私に負担をかけるんだ、なんで他の人はしなくても良いことをうちはやらねばいけないんだ!私はあんたたちのわがままのために生きているんじゃないーーーー!!!」

 

そんな『私ってなんてかわいそう』

という思考でもみくちゃにされました。

 

一つ一つの動作自体、内容自体は軽すぎる。他愛もないこと。

問題視するようなことでもないでしょう。

 

うちの旦那は、毎朝必ずのど飴を食べてから家を出るのですが、

その時、飴の袋は絶対に捨てません。出しっぱなし。

 

こんな些細な事くらい捨てれば一瞬です。できます、やれます。

 

ただ、一個ならば。です。

 

この類のものが日常的に、家中のあちこちに散らばっていたら?

 

空のペットボトルが玄関に転がり、

風呂場には、お菓子の袋や石鹸の袋、

 

飲みかけのコップがあちこちに置きっぱなしにされ、

使ったティッシュがテーブルに置きっぱなし。

 

こんな状態がデフォルトだったら?

 

普段は、無心でやれていることも、積もり積もって爆発する時もあります。

 

そうしてみて、ああやっぱり私は日頃から我慢が多いんだなって気づきます。

 

いつもどこでも我慢が多い。だからいつもいつもイライラする。

 

夜を諦めて、寝かしつけすることも、

朝起きて、動き回ることも、

トイレのタバコを我慢することも、

ゴミ捨ての仕方で我慢するのも、

子供に毎日同じことで注意するのも、

 

いろいろ工夫して、どうせやらなければいけないんだから、

地獄を天国に、じゃないけど。

少しでも軽くなるよう、不快を快にできるよう、工夫したり、

意識を変えたりしてみてるけど、

基本的には、全部がいやいやのままなんだ。

本当はやっぱりいやいややってんだ。

だから、時に不満がたまって爆発するときに、

こんな我慢ばっかして、嫌なことばっかしてる自分が

なんてかわいそうなんだ。

 

こんなにやらされてる自分ってなんてかわいそうなんだ、って悲劇のヒロインぶるんだ。

 

悲劇じゃないのに、悲劇ぶってるからコント。

 

悲劇じゃないけど、嫌なことではあるから、被害者ヅラ。

 

相手を加害者にして、自分は被害者。かわいそうな方役。

 

結局、元を辿れば、これも自分でその配役をしている。

 

家族を加害者役にして、自分を被害者役に。それも自分。

 

私がこの現実、状態を作っている。

 

じゃあなんでそんなことをしてるのか?って??なんでだろうか。。。

 

うーん。。。。

 

私は「頑張ってる感」を味わねばならない、、とか?

なんだろ、報われない感というか、「こんなにやってるのに、みんな酷い」みたいな。

自分は、何事も大変な思いをして、何事もうまくいかない、辛い!と思いたい、

という意識が強いというか。。。。

 

表面上は、もちろんそんなのはごめんだ!嫌だ。我慢なんてしたくない。

 

ただ、自分でも管理できない心の奥底、根底にある前提や、そもそもの意識では、

私は、「何事も楽しんではいけない」と思っているというか、

「何事も嫌なことばかりが起きる」と思っているというか、

 

ドンピシャな言い表しが思いつかないんだけど、

なんかそういう、「他の人と比べて、大変だなと思いたい」人間なのかもしれない。

 

他の人と比べてなんになる、仕方ないのは頭ではわかっているけど、

でも無性に比較してしまう。

子育てでは顕著で、「私は誰よりも大変な子育てをしている」という妄想に囚われている。

実際、周囲の話を聞いていても、うちと同じようなのはあまり周りではおらず、

マジで大変なのだが、この意識があるせいなんだろうなと思っている。

 

じゃあなんで、色々な負の要素が他の人とり多い。と思ってしまうのか。

 

ある意味、ジャッジ、ある意味マウント。

 

他の人よりも大変な自分を演じることで、自己承認しているのかな。

大変な思いをする自分に価値を置いているのだろうか。

 

大変っていっても、ニュースに出るようなことじゃない、

日常のごくごく些細な程度のコト。

世の中レベルで見てしまうと、話にならないくらいのレベル。

でも、その世界の中で毎日を生きるにはしんどいコトたち。

 

頑張ってるアピールを自分で自分にしている?

それをすることで、自分に何を求めてる?

私はそんなに自分を否定しているのかな。

 

我慢しなくてもいい、っていうか、

「我慢するような事が自分の周りに起きなくてもいい」コトを許可する。

 

「ラクして、楽しくして、こんな何もしなくても価値ある自分」を許可する。

 

「私がいなくなっても誰も何も困らない。でも私はそこにいる意味がある。」を許可する。

 

「嫌な事もある。でも良い事も同じ量、ちゃんときていることを思い出す」のを許可する。

 

結局のところ、いろいろなものって許可するかどうかで前提も変われたりする。

すでに何を許可すればいいかわかってても、なかなか許可しきれてなくて、

相変わらずの毎日になることも多い。

 

でもそれすらも変われない事にも許可すればいいことで、

結局、色々なことは、許可できるか、できないか、だな〜と改めて気付く。

 

「我慢するような事が自分の周りに起きなくてもいい」コトを許可する。

 

「ラクして、楽しくして、こんな何もしなくても価値ある自分」を許可する。

 

「私がいなくなっても誰も何も困らない。でも私はそこにいる意味がある。」を許可する。

 

「嫌な事もある。でも良い事も同じ量ちゃんときていることを思い出す」のを許可する。

 

「許可できなかった」のも許可する。

 

私は、これらに許可をだせるだろうか。出したいな。そしてラクになりたいな。

今朝は、このくだらない一連の怒りを、ここに書く事を許可した。

書く事で、外に出す事で自分の思いに許可をした。

 

書ききると、なんてくだらないと失笑だ。

 

どんだけ「私ってかわいそう」アピールしたいんかい!とツッコミたくなる。

 

だからコント。だからごっこだな、と。

だっせーし、めちゃクズでウケる。

でも、これも出せたから。そんな自分もいるよね、いるから我慢しちゃうし、

頑張っちゃうし、噴火しちゃう、でも冷静に見れる自分もいる。

 

5Bなんだから。

ブスで、バカで、貧乏、凡人、ババア、でさらに無様な6Bだ!

だから、こうして自分の内面をブログで書いて冷静になることに許可するんだ。

 

今朝、学校にいく前に怒り散らしてしまったことを無しになんてしない。

6Bをあらためて認識したからこそ、認識できたからこそ、

反省して、また構築しなおす。

 

また噴火しなくても済むように、以下の事を許していく工夫をしていくんだ。

 

「我慢するような事が自分の周りに起きなくてもいい」コトを許可する。

 

「ラクして、楽しくして、こんな何もしなくても価値ある自分」を許可する。

 

「私がいなくなっても誰も何も困らない。でも私はそこにいる意味がある。」を許可する。

 

「嫌な事もある。でも良い事も同じ量ちゃんときていることを思い出す」のを許可する。

 

「許可できなかった」のも許可する。