フツー、フォーレ。1845-1924
おフランス語のはちおんがどっちが近いのか知らーん。
次の貼付け書によっているが、著者はおフランス遊学経験、タイトルが近いのかもしんない。
サン=サーンスに対してはけちょんけちょんだが、その弟子フォレについてはベタ惚れ。
理由は
師匠 主題が安っぽく俗っぽい。常套手段ばかり。ただ気持ちよく響くだけ。
弟子 清純。ピアノ曲はありふれているようでいて、実に微妙な転調、静かで高雅な均整のうちに、非常に大胆な和声。
聖母はいいけどマリリン・モンローもいい どちらを選ぶかは好みの問題。
常套手段に微妙な転調と大胆な和声を加えたら常套ではなくなるだろうが、常套上等になるわけではありんせん。
大ピアニストの録音数はサン=サーンスのピアノ協奏曲のほうが、フォレのピアノと管弦楽とのバラードより多い。「消耗症的興奮」のオールショパンプログラムを組むピアニストはありふれているが、「高雅な均整」のオールフォレプログラムで演るピアニストはおパリにだって多分いない。
なぜならサン=サーンス、ショパンのほうが気持ちよく響くから。
いくら常套手段でない方法で料理したところでんまくなけりゃまずい。愛聴するシトが少なくては拙定義名曲(売れてる曲)にはなりません。もっとも、第1貼付け書著者がピアノ独奏曲、協奏曲を名曲に採用してるわけではない。
ヴァイオリンソナタ第一番イ長調
サン=サーンスの序奏とロンドカプリチオーソ、ハバネラについては名ヴァイオリニストの演奏について比較しているが、フォレについてはない。
悪くはないけどリピートしたいとおーえません。で一ふしも覚えていません。序奏とロンドカプリチオーソのほうもかけたいとおーわないのだが、しゅでにリピートしまくった後だーら。
レクイエム
清澄と記してあるのでLPゲッツ、とても気に入りますた。というのも俗っぽくて鼻歌できます。
一方、レクイエムで第1貼付け書かつ拙定義名曲にはモーツァルトもありますが、鼻歌できるとしてもしてはいけない雰囲気があります。
(と言って、拙はモーツァルトのレクイエムは好みません。)
こゆのは序奏とロンドカプリチオーソと同じく飽和します。CDに買い替えてません。
歌曲集「やさしき歌」
詞はヴェルレーヌだそう。であっても拙は歌曲一般に好みません、未聴。
ピアノ五重奏曲第二番
最後の?室内楽曲。彼の室内楽は高貴な情熱とあたたかい知性の音楽で、なかで最高だそう。
現役CDをググるとおフランスの?聞いたこともないSQのが2種あるだけ。シューベルトの鱒ではありえません。てっきり気持ちよく響かないに違えねえ。ピアノはもともと好まないし、手は出しません。
こんなん拙定義名曲売れてる曲ではありません。
クラシックにキョーミある聴き手が知らーんので、売れてないのでは?
確かに拙定義名曲がえーえんに不変はない。初演当時興行大ウケのオペラで忘れ去られてるのがいくらでんある。んが、今のところこの曲が大化けする気配はないんとちゃう?
ともあれ、拙はフォレもサン=サーンスも深掘りする気にはなりませんですた。