1860-1911

ショーワの昔にはクラシック界でいろいろブームがあったが、マーラーもその一つ。ガッコの授業では出てこなかったとおーいます。

ミーハーな拙はさっそく尻馬に乗りますた。

 

採用

大地の歌

交響曲第9番。

 

未完の第十交響曲までしべて個別に解説。

 

大地の歌

パツァック(T)フェリア(A)ワルター/VPO モノラル録音

第1貼付け書付属レコード表掲載。

マーラーはウィーン宮廷歌劇場の指揮者・終身監督であったが、辞任。マーラー死後弟子のワルターにより初演。

春の嵐みたオケをバックに蟲国人の男がドイツ語?で叫んでいる。なんか気に食わないらすいが、ちょっと何言ってるのかわかんない(by富澤たけし)。続いて人妖(=おかま)みた声でだらだら歌が続くのが陰気臭い。かと思うと全合奏でどんちゃんどんちゃん大音響、いったい何が起きたんでしか?

第1貼付け書でドイツ後期ロマン派を「感傷と分裂症の塊みたい」と記しているが、まさにこの曲のことでせう。

独墺音楽にはシュッツ、バッハからブラームスまでいろいろあるのにこんな下手物わざわざ聴くことは無ぇ。

それでも第二、四、五、六、九と聴きますた。

部分的だがふしを憶えているのは二つ。

第六番イ短調「悲劇的」 バルビローリ/ニューフィルハーモニア管

伝統的な楽章配置で4楽章。悲劇的なる副題は欧米ではほとんど用いられていないそうな。

フィナーレ、くくり罠にかかった猪を仕留めたいが、電気槍持ってくるの忘れた。しゃーないけんそこらの丸太で脳天ぶちのめすことにするのだが、テキの勢いハンパ無ぇ。やっと1回ヒットさせるもダメージなし。さらに苦労の末もっ回ヒットで斃す。30分もかかったよ😥エーッまだ生きてる?

第九番ニ長調 バルビローリ/BPO

開曲のハープ、黄泉の国から響いてくる。

CDは1枚も持ってません。

令和の御代でもショーワの昔のように競って来日オケがマーラーをプログラムに載せたり、猫も杓子もCD新譜を出していたりしてるのだろうか。そりももうどーでもいいけんど、買うことないけん。

 

R.シュトラウス

1864ー1949

本領はオペラと交響詩。

第1貼付け書著者はマスネー、プッチーニ、R.シュトラウスを猥雑と評するが、R.シュトラウスだけは大しゅき、どこが違うんでせう。

猥雑にかけてはR.シュトラウスがダントツ。Sに透け透け着せて踊らせるは、ズボン役MSとSとを同衾させ、射精の音楽をつけるは。こんなもん狭っ苦しい椅子にクギづけで、ゲージツだ、かしこまって観るなんちバーそのもの。

そりが、ドイツ・ロマン派最後の大作曲家、😥自認していたという。

音楽は所詮エンタメ、おーしろければいいのだが、どーであればと説明はできないものの、上下はあるようだ。ロマン派あじめたシューベルトより作曲は達者でも、上等になったとはいえないでしょう。

拙的にはシューベルトにはせめて平均寿命生きてほすかったけど、R.シュトラウスかわりに若死に、とっととドイツ後期ロマン派お仕舞でいがったよ。

第1貼付け書採用

歌劇「サロメ」「ばらの騎士」

「アラベラ」も見ますたが、ハマれませんですた。

著述当時、R.シュトラウスの歌劇はラテン系ではかかっていなかったという。現在は?

交響詩「ティル・オイレンシュピ-ゲルの愉快ないたずら」

「近代管弦楽曲中屈指の名作」。その他「ドン・キホーテなど交響詩は半ダース以上」あり、「世界中、いたるところで、演奏されている」から拙定義名曲(売れてる曲)該当。んが、一つとして聴いたことがありんせん。「悪趣味・無様式の天才」とあり、歌劇を見てなるほど、管弦だけのも聴きたいとはおーえなかったからです。

 

マーラー、R.シュトラウスの音楽に刺激、効果はありますが、表面的で、心の深いところに達しない。こゆクラシック聴きたけりゃ拙的にはプッチーニにします。そ言えばR.シュトラウスはプッチーニを目の敵にしてたらすい。プッチーニのほうがこゆ才能に優れる ちわーってたんでせう。