オテッロ(T1) ヴェネツィアの黒人将軍 キプロス駐在
デスデモーナ(S)T1の妻
ヤーゴ(Br)旗手
カッシオ(T2) 副官
台本はシェイクスピア「オセロ」に基づく。
「オセロ」は女芸人コンビが開発したゲームシェイクスピアの代表作品の一つだーら読んだシトがけっこういるだろうし、でなくてもたいていどんなあなしか知ってるとおーいます。
Brはまだわーる。他人の幸福がヤでたまんない。ぶっ壊してやりたい「俺をつくりだした残忍な神」 そゆのいるよね。
じぇんじぇんわーらんのがT1。どーでもSがT2と浮気してなきゃいかんらすい。こゆ基地外に恋してしまったSが憐れ。
DVD
冒頭すさまじい嵐の場面であじまる。けんど筋とカンケー無ぇ。難破して無人島に漂着、サバイバルできるでやんすか つうおあなしじゃ無ぇ。密室の心理ドラマばっかでは辛気臭いし、一気に観客の眼を舞台にくぎ付けにしよう て魂胆。そのためには書割だけじゃどんならん、人海戦術、ゼッフィレッリの演出がタダしい。若いC.クライバーが興奮の極みで歌っている つうか咆哮している。フィルハーモニカーにくるくるぱー ち言われるわけだ。こんな(見ておもろい)指揮者は他にいません。
Br「乾杯の歌」へべれけソング。
T1とSとの幸せなダバッチョで第一幕が下りる。
どの幕か観客がブウたれてスタートに躊躇する場面がある。ミラノの奴らはよくこゆことをやる。わしこそはオペラの判定者。観てらんない出来というならだまって出ていけ、阿呆。おまーの判定でタダしければ、ぞろぞろついて出ていくだろう。
しゃて、舞台のほうはT1がBrに操られるまま、「さらば栄光よ」だの「神よ総ての恥辱を私に与えるのか」だの一人で大騒ぎ。ひょっとしてシェイクスピアは喜劇のつもりで書いているんでね?Sと話しあえよ、バータレ。
こりではSは堪らず、母の膝下で幸せだった頃の思い出に逃避するしかない「柳の歌」。
Sが寝てる寝台だが、やたら背が高い立派なもの。転落したらT1の手を煩わすまでもなく首の骨折りそう。当時のマラリア対策でしょう。
ドミンゴでオテッロのDVDは数種あるが、なかに、おんとーにマッチ箱みたいな「寝台」を使ったのがある。どーしようもない。セットは大事。オペラハウスにジェニが集まらなくなっちいる。
妄想大暴走のあげくT1はしべて失うバッチョドエンド。
58年 デル・モナコ(T1)カルテリ(S)カペッキ(Br)
セラフィン/ミラノRAI
モノクロ。口パクかな。
デル・モナコが演れなくなってドミンゴという歴史。
基地外が基地外を演っている。天下一テノールのやることにバータレはありえない。わしゃーなーんもかしいことやっちない。ダドミンゴのほうがずっと図体でかいのに女々しくみえてきます。
CD
3種持ってるけどかけたことがありません。
BGMにしてなんか他のことやる ができません。
「ファルスタッフ」
最後の作品
声部と声部の交織が高度化し、特に「ファルスタッフ」でクライマックスに達し、その重唱の微妙な味わいは、何度きいてもこのオペラをあきないものにする力をもっている そうな。
他にいろいろ書いているのに、よりによってこりを何度も聴くだって?
その前に図々しくて好色な肥大漢が寄ってたかっていじめられる つうおあなし自体まるで自分を見ているようで、平然と観る度量がないにー。
声部の交織の高度化がオペラとして上等だの、最後の作品が最高傑作だの は「識者」の思い込みじゃね?。
単一の線とあーソレソレの伴奏でいいから「イル・トロヴァトーレ」みたいなの、もっとようけ書いてもらいたかったね。年取るとメロディーの泉が渇れ、ムーリーになるんやろけど。
レクイエム
同じ声楽だーら聴けますが、リピートしようとはおーいませんですた。
イタリアのバロック教会内部と同じ。