新田四天王 栗生左衛門尉顕友のイメージキャラクターが

無法者団体さんのデザインにより完成

大公開します。

 

          栗生左衛門尉顕友 「天竜川の馬救助」の場面

                                キャラクターデザインby無法者団体

 

                                  

1335年天竜川の馬救助

甲冑を着けたまま

溺れている馬を担ぎ舎人(馬を引く人)を

助け対岸に渡ったとされる場面

栗生左衛門尉顕友  「太平記」  

 

 

                            

                    三井寺大卒塔婆を担ぐ栗生左衛門尉顕友         

                                                                                        キャラクターデザインby無法者団体

 

 

1336年三井寺合戦

足利軍が立てこもった三井寺を新田軍が攻撃

三井寺は堀の廻らせてある城郭で

敵の僧兵に橋を落とされ攻めあぐむ新田勢

脇屋義助副将は「栗生は居らんか篠塚はまだか」と

檄を飛ばし「対岸の木戸を打ち破れ!」と命令

栗生と篠塚は塚の上に立っている大卒塔婆を

簡単に引抜き対岸に倒し橋とし

その上を畑六郎左衛門時能と亘理新左衛門が渡り

木戸を打ち破り敵陣に攻め入った。

 

 

 

勇猛果敢で愛嬌のあるデザインに

イメージが湧く栗生左衛門顕友

愛着がわき可愛がっていきたいキャラで

大切にしたいです。

無法者団体さんありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 



本庄市児玉町から秋山十二天を目指すが
路を間違えて峠越え 長瀞町に出てしまい
行きたかった宝登山神社参拝
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                                                        白塗りの鳥居
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秩父三社のひとつとされ長瀞駅の西側にそびえる
宝登山の麓にあります
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拝殿彫刻見事です

祭神 神武天皇 大山祇神 火産神
 創始 景行天皇41年(111年)
1900年の歴史がある
日本武尊による東征の際ここに来てみそぎをし
宝登山山頂を目指すが途中山火事に会い
神犬に助けられるその神犬が大山祇神の犬で
大山祇神を祀り防火保護のため火産神を祀った
「火止山」をあらため宝登山となったと云われる。

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孔子24考
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本殿彫刻

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脇障子
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孔子24考のいわれ

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神楽殿
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       本殿



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拝殿脇

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                                                                 御朱印

            日本で唯一の日本神社参拝
       オリンピックアスリートやスポーツ選手 関係者の訪れる
       青いダルマで有名 日本神社の青いダルマは
       2011年ドイツ杯なでしこジャパンに同行し
               世界一に導いた。
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                    日本神社鳥居                  埼玉県本庄市児玉町小平157
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                                                 境内本宮前 青いダルマ
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                                                                       由緒書
     延暦10年791年 征夷大将軍 坂上田村麻呂が
     蝦夷討伐の際にこの地に立ち寄り
     戦勝祈願のため神武天皇を祀った。
     奥州の帰り道に再訪 社殿を建立
     当初は神武神社であったとされその後
     神社六社が合併「日本神社」になったとされる。

     2020東京オリンピックの招致にも青年部と市が
     青いダルマを東京都に送り
     見事招致決定!
                
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    とにかく青いダルマが目立ちます。

      神社参道入口 新井商店に書置きの御朱印あります
      大きな青いダルマも販売してました。
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御朱印 お守り ダルマ 新井商店

                                           日本神社  御朱印
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                                  日本で一つしかない「日本神社」
南北朝時代 足利一族 桃井直常の重臣として
新田義貞と共に鎌倉幕府討伐に従軍し
勇猛果敢な武将と名を残す「太平記」
秋山新蔵人光政の祀ってある 
(あきやましんくらうどみつまさ)
      秋山新蔵人神社
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                      埼玉県本庄市児玉町秋山242
    秋山新蔵人光政は甲斐源氏 源義光(新羅三郎義光)を祖とし
    甲斐の国 秋山光朝(秋山の祖)の子孫で
    武田信玄の家臣 秋山信友(秋山虎繁)がその血を引く。
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観応2年(正平6年)1351年加茂河原で高師直(こうのもろなお)の
家臣 安保直実(あぼただざね)と一騎打ち
名勝負として「バサラ絵」に取り上げられる。
この名勝負で戦死。
秋山村の時代に光政の魂の鎮魂と供養のため建立とあり
木彫りの騎乗の武士が祀ってある。
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                                                                         由緒書
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                                             左の宮は十二様 右 本宮
      

鎌倉時代から南北朝時代に越後の国に展開した
      新田一族
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                                                                       南進する新田軍

           新田一族の家系略図

           新田義重(初代新田氏)
             |
  新田義兼ーーーー里見義俊ーー山名義範ーー世良田義季ーーー額戸経義
    |      |            |
  新田義房 田中義清ー里見義成    江田満氏ー得川頼有                                                                                            
    |        |                                         
新田政義ー荒井  里見義基ー大島義継
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  |          大井田氏継
新田政氏―大館家氏ー堀口家貞    
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  |       一井貞政
  |     
  |
新田基氏ー今井ー安養寺ー西谷ー下細谷ー細谷
  |
新田朝氏ー新井
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新田義貞---------脇屋義助
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義顕ー義興ー義宗      義治
   |   |
  義脇 貞氏ー満純

               岩松氏の家系略図

                 新田義重(初代新田)
                  |
                 新田義兼
                  |
        足利義純=来王姫ーーー新田義房                                    
            |
       岩松時兼ー田中時朝
         |     |
         |   田中ー堀越
         |    |
         |   田中ー栗生
         |      
 田島―薮塚ーー岩松ーー田部井-金井-寺井-村田
  
    越後国魚沼に新田一族の礎をを築いた里美氏
 新田義重の長男 義俊が家督を継がず高崎市榛名町里見に居住
 里見を名乗る 里美氏の祖 その二代目 里見義成が
 源頼朝の御家人で側近 畠山重忠とともに奥州征伐に従軍
 源義経をかくまって 最後は義経を自害に追い込んだ
 奥州平泉 藤原泰衡を討って奥州平定
 この時の頼朝の恩賞が「越後国魚沼三郡の所領」
 これをきっかけに新田一族が越後に移住した

   越後魚沼に展開した新田一族
 内ヶ巻城 北魚沼郡川井村 田中氏
 御館城  南魚沼郡大崎村 脇屋義治
 清水城  清水峠     鳥山氏
 神立城  三国峠 神立村 新田氏家臣
 関山城  石打村関山   新田義顕
 摩利子城 塩沢町樺野沢  田中右衛門
 大館清水城 塩沢町竹俣  大館左馬之助
 坂戸城 六日町城山    田中氏
 大桑城 大和町東村    金谷源太左衛門
 城山新田城 薮神村城山  新田氏
 浦佐城 薮神村浦佐    新田氏
 市野江城 薮神村     一ノ井兵部
 今井城 津南町上郷    下井田義政
 城峯城 津南町外丸    脇屋義治
 節黒城 川西町下平    新田義宗
 廿日城 十日町市廿日城  下条氏
 尾崎館 十日町市尾崎   大井田経隆
 新座城 十日町市新座   大井田義政
 大井田城 十日町市中条  大井田氏親城
                    「新田一門誌」
 
 後の新田義貞の挙兵に越後から2000騎で
 生品神社に駆けつけたとされ
 越後の新田一族に天狗の姿をした山伏が挙兵を知らせたと伝わる。
 大井田経隆を旗頭に田中氏 羽川氏 里美氏 鳥山氏 大島氏
 中条氏 細谷氏 太田氏 田井氏らの武将
 前木氏 上島氏 村山氏 高島氏 谷津口氏 奈良氏 小沼氏
 長嶋氏 小柴氏 竹内氏 水沼氏 岩間氏 小島氏 神山氏
 紙屋氏 石渡氏 新江氏 宮下氏 鬼石氏 高橋氏 高崎氏
 久松氏 小中氏 山藤氏 菅谷氏 亀沢氏 野氏 戻橋氏
 大澤氏 小林氏 梅沢氏 今井氏 木村氏 寺口氏 山岸氏
 阿部氏 星野氏 その他の旗頭と部下を引き連れ従軍した。

       里美義成の嫡男大島義継の子息氏継が
       魚沼郡波多岐荘大井田の郷に住み大井田を名乗り
       越後新田氏の宗家であったとされる。
             
              大井田城跡
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                                                            入口階段前の石碑
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大井田城跡地
大井田氏 羽川氏 新田氏などの供養塔

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県指定重要文化財 十日町市中条

大井田の郷公園の隣にある大井田氏ゆかりの寺
征夷大将軍 坂上田村麻呂建立の神宮寺
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神宮寺の楼門
茅葺屋根の山門と観音堂が荘厳な佇まいを見せる
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楼門に奉納された大わらじ
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境内からの楼門と参道 苔が綺麗に植えられていて 
ひんやりとした空気でした

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 茅葺屋根がカッコイイ観音堂
曹洞宗 臨泉山神宮寺 十日町市四日町1300

大井田氏発祥の地と伝わる              
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                  大井田氏発祥の地記念碑
                     大井田の郷公園内
        大井田の郷公園が大井田氏の屋敷跡だったとされ
        何年かに一度全国の大井田氏一族がここに集い
        神宮寺に参拝供養し 地元の人たちと交流する
        「大井田サミット」を開催する。

                   
   新田義貞三男 新田義宗は元徳3年(元弘元年)1331年生れ
   6才で昇殿を許され 新田義貞が越前で戦死後 越後の新田一族に
   匿われ成長 9才の時に弥彦神社に刀剣を奉納したといわれる。
   父新田義貞の無念を晴らすべく足利幕府倒幕を関東 越後に隆起
   兄の新田義興やいとこの脇屋義治と共に何度も挙兵を揚げる

   義興は延文3年(正平13年)1358年10月10日多摩川の矢口の渡で
   関東管領畠山国清の命で竹沢右京亮に騙され小舟に乗り船頭が
   舟の床の栓を抜き川に飛び込み逃げ甲冑姿の義興は2000騎の
   矢を受け自害 後に義興が怨霊となって現れたという。
   この義興鎮魂と供養のために現在の大田区に新田大明神を建立した。
   
   脇屋義治は義宗と上越国境で最後の挙兵を揚げるが利根郡追貝から
   奥州出羽に逃げ消息不明とある。

   義宗は応安元年(貞治7年)(正平23年)1368年7月利根郡白沢村高平で
   待ち伏せしていた足利勢に右目を射抜かれ馬よりうつ伏しのまま落下
   悲惨な死を遂げ「ここをうつぶしの森という」
   義宗鎮魂と供養に白佐波神社を村の民が建立された。

   義宗も義興も義治も「終焉の地」が各地にあり
          伝説の勇者でもある。

          義宗が刀剣を奉納したと伝わる弥彦神社
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                                                             越後国一の宮 弥彦神社
      ご神体弥彦山 祭神天香山命(あめのかごやまのみこと)
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                                     弥彦山頂上 奥宮 天香山命 神廟
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   山頂から佐渡方面

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                      弥彦山から越後平野

       越後の妻有の郷で育ったといわれ 義宗築城の節黒城跡               
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                                                       節黒城址の展望台
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                                                           十日町市上野
      節黒城は1352年いとこの脇屋義治と各地に転戦
      一時帰館 ここに急いで築城 砦の材料が節だらけで
      黒々としていたので節黒城と名前がついたという。
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                                                      節黒城 供養塔

         
        建武3年(延元元年)1360年新田義宗は後醍醐天皇の
        第五親王 宗良親王を奉じ越後の七谷に兵をおいた
        足利勢の侵攻でやむなく籠城 自害したと伝わる。
                        「足利の弓矢強うして功成り難く終の越後国
                    村松のあたりで亡びたもう」
         「新田男爵系図附録」より

        「正平23年1368年7月3日越後国村松壇ノ平において
           討死 42歳 同所に義宗公葬る法名{王巌宗珠}」
               新田義宗築城  岳山城
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岳山城入口の七つ墓 新田軍の墓と伝わる。
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   岳山城入口 嶽山寺からが長瀬神社に登山道がある
                 加茂市宮寄上 1553

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宗良親王が読んだ歌碑
「山にてもなおうき時のかくれがは
           ありけるものを岩のかげ道」
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加茂川と嶽山寺への道
この地が新田義宗終焉の地とされに 
新田義宗の墓もあるらしい
岳山城(長瀬神社)を目指すが登山道が
前の日の雨の影響で滝のように水が流れ
今回は断念また来ます。
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真言宗智山派 嶽山寺
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長瀬神社鳥居 岳山城跡入口

新田一族最後の挙兵が新田義宗の上越国境
利根郡白沢村の挙兵で
応安元年(貞治7年)(正平23年)1368年
義宗戦死 義貞と同じ38歳であったとされる。

室町幕府成立後魚沼郡は上杉氏所領となり新田一族は
離散 各地に隠れ住み 帰農 それぞれに
再起を図り潜んでいた。
       
                           

      
      
   
再びの沼田市利根町大原 散歩です!
沼田市白沢町高平から栗生峠を抜けて
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栗生トンネルと新田沢にかかる栗生橋
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新田沢の上流が栗生ダム
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木々の間から栗生ダム 山藤も満開
栗生トンネルを抜けて少し走ると大原の郷
峠道の西に開けた野原と畑が栗生左衛門と新田家臣が
開発帰農した「先祖畑の地」
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栗生左衛門の住居跡(三郎屋敷跡)
森のすぐ下から湧水が出ていて「清水」と
呼ばれていたらしい。
地元の人によると石垣や五輪塔 板碑 石臼などが
出土したといわれる。
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栗生屋敷跡の石臼のかけら

農作業をしていた人に無造作に転がった石臼の
かけらを見せてもらいました。
確かに人の手で加工してある石でした。

栗生左衛門屋敷跡の隣にある
栗生左衛門の孫 「栗生兵理経時」の墓
ここに栗生左衛門の墓もあったとされるが
子孫の方が移動したとある。
なぜ栗生経時の墓だけポツンと取り残されたのか?
栗生左衛門の墓は何処に移動されたのか?
昌龍寺の和尚さんも知らないらしい。
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五輪塔に茨のつるやツタが絡まっていたので取り除いて
墓参り
新田義宗の重臣 栗生兵理経時の五輪塔
「沼田市重要文化財」
「利根村誌」によると{栗生主悦顕正}の五輪塔と
書かれている
栗生峠大原麓にある峠の石碑(昌龍寺境内)
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新田義宗と栗生左衛門顕友のゆかりの地とある。

栗生峠麓 昌龍寺
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昌龍寺山門
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昌龍寺境内   沼田市利根町大原栗生
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昌龍寺 観音様 
青木五郎左衛門の末裔青木氏の奉納
 
大平山昌龍寺は大永5年1525年
関東管領 上杉憲房の命で白井城主
長尾伊元入道が弟の万翁田禅師に依頼
普山開堂の法式で大平山昌龍庵とし開基
新田家臣一族と栗生左衛門の供養のため
建立とある。最初は栗生峠の中腹にあり
昌龍庵とし後に麓の大原に移る。
大原村の大火にあい現在の場所に移る。
その際日光彫刻師の作品の欄間は助け出し
現在の本堂に立派に飾ってあります。
昌龍寺住職さんは 大楢氏です。
大変歴史に詳しく年号がビシバシ出てきて
勉強させられます。
栗生左衛門のレポートも和尚さんに受け取って
もらいました。
以前 前橋の病院まで通っていると聞いていましたが
元気そうで良かったです。
また伺います。

昌龍寺火災後の跡地に栗生氏の子孫(小林氏)が
栗生左衛門が奉じた阿弥陀如来を
元あった場所から移設 阿弥陀堂を建立
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阿弥陀堂   沼田市利根町大原
現在もお彼岸に祭礼を行なっている。
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栗生家(小林家)阿弥陀堂裏の石碑郡
この中に栗生左衛門の墓があるのかな?

この他に立派な墓所が愛宕山すそ野にあり

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栗生左衛門の守護神様 八幡宮
栗生八幡宮 沼田市利根町大原


栗生左衛門の屋敷跡が「三郎屋敷」
新田十六騎党 青木五郎左衛門屋敷跡が
   「五郎屋敷」
青木七郎左衛門屋敷跡が「七郎屋敷」と伝わる

青木五郎左衛門の屋敷跡(五郎屋敷跡)
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白い建物は高山彦九郎が訪ねたとされる従兄弟
金子重右衛門の屋敷
高山彦九郎は昌龍寺と大原神社にも参拝

右に見えるすそ野が愛宕山で
青木五郎左衛門が奉じた薬師如来の青木堂がすそ野にある
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薬師如来を祀った 青木堂 沼田市利根町大原

そのすぐ後方に青木氏の守護神
熊野神社の祠
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昔 熊野神社の社殿がここにあったという。
桐生市黒保根町に移住したとされる青木氏も
守護神は熊野神社「おくまんさま」

新田一族の新井氏も大原に土着帰農
新井氏の御本尊千手観音菩薩を奉じた
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大原の街道沿いに鎮座 新井堂

真田家臣 尾池氏は愛宕山に虚空蔵菩薩を奉じる
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右の山が愛宕山 沼田市利根町大原


昌龍寺 檀家さんの諸家

*小林氏 栗生左衛門の末裔 「小林文書」
*青木氏 青木五郎左衛門の末裔 「利根村誌」
*新井氏 新田一族 新井覚義の末裔 「利根村誌」
*尾池氏は近江源氏 京極氏信の末孫「姓氏大辞典」
氏綱が越後の松之山郷 尾池庄に住み
尾池を名乗り長尾為景の忠臣であり
慶長の時代1600年代に帰農したとある
真田家臣にも名前が残る
一部の書物に栗生左衛門の側近とある。「利根村誌」
*星野氏は藤原秀郷の末裔で丹波守藤原仲国を「姓氏大辞典」
祖として武田家や真田家の家臣
*金子氏は武蔵国入間郡金子を本拠地とした「姓氏大辞典」
平家忠(金子十郎左衛門)が遠祖で
上杉家や真田家の家臣
また新田一族を祖とする金子氏もある。

桐生市黒保根町「栗生神社」の氏子さん諸家
*小林氏 栗生左衛門の末裔 「黒保根村誌」
*新井氏 新田一族 荒井覚義か新井次郎左近の末裔
*青木氏 新田家臣 青木氏の子孫  「黒保根村誌」
青木五郎左衛門を遠祖にもつとされる
利根町の青木氏も黒保根町の青木氏も
守り神は熊野神社
*尾池氏は下田沢に「尾池」という湿田があり
天和年代に沼田藩騒動を逃れて移住
反町 金子 渡辺氏らが田畑を荒らす老狐を
退治し切り離された狐の尻尾が池に落ちた
この池を「尾池」と命名
反町氏 金子氏 渡辺氏が 尾池に改名
明治になって前の姓に戻した人もあると伝う。
利根町の尾池氏も黒保根町の尾池氏も
御本尊は虚空蔵菩薩 「姓氏大辞典」
*生方氏 栗生左衛門を遠祖と伝う 「黒保根村誌」
*星野氏 藤原秀郷を遠祖とし先祖を
星光院家とし「源義家」が上洛する際に
黒川郷(渡らせ渓谷沿い)を通り
この地に残った武士の一人とされ
その他に松島氏 高瀬氏 高草木氏 深沢氏
阿久沢氏 田沢氏 和久丸氏 神梅氏
長沢氏 東宮氏 角田氏 花輪氏なども
奥州より移り住んだとされる。「姓氏大辞典」
*関口氏は沼田 関口城の城主関口尾張の守が祖
村上源氏 赤松氏が遠祖と伝う。「姓氏大辞典」
利根町と黒保根町の諸家がほとんど同じ
偶然にも驚きです!
1600年関ヶ原合戦の前に沼田城主真田信之が
大原の郷の宿割(戦準備の区画整理)を行う
大原新町となり交通の要所となり栄えたとある
山の中に暮らす落武者たちに大原の土地を与えて
農地の開発を進め三年間は無税とした
「真田信之御朱印」大原の区所有
宿割の前は大きな野原で数件の人家があっただけと
昌龍寺の和尚さんの話

この時新田家臣七姓が勢多郡に強制移住とあるが
小林氏 新井氏 生方氏 青木氏
尾池氏 「上州の姓氏と家紋」
大原に人々を集めた真田信之の政策で何故か
強制移住これが一番の謎❓
そして黒保根町に一番近い利根町根利の郷には
小林氏も新井氏も青木氏も居りますが
新田氏の一門では無い❓
信州からの移住が多いとされる。
昔は大原から会津裏街道に向けて根利を通ったとされ
勢多郡に抜けるには根利を通らなければ行けない。
勢多郡に伝う栗生左衛門の子孫は
桐生市黒保根町と桐生市新里町小林
黒保根町の新田家臣の末裔の方とされる昭和九年
生れの人に昔聞いたのが信州から来たただの百姓だ!

江戸時代新田を祖とする徳川家康が新田一族と家臣には
その家系が証明できれば氏姓を持つことが許されたとある。

帰りは川場村経由で帰路に
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大友氏の菩提寺吉祥寺 山門
花寺で有名 利根郡川場村
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吉祥寺 枯山水庭園
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吉祥寺裏庭の池

大友氏時のお墓のある桂昌寺
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利根郡川場村
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桂昌寺も花咲くお寺でした

桂昌寺 大友氏時夫妻の墓
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桜川のほとりで家臣たちと美女を呼び花見の宴の最中に
新田義宗に討たれた大友氏時の墓
満開の桜が真っ赤に染まり散ったとされ
油断河原と呼ばれる。
大友氏は鎌倉幕府 源頼朝の御家人で
相模の国大友郷の出身
利根の荘と豊前の国の藩主でもあり
後の大友宗麟が子孫である。

道の駅日本一の田園川場休日なので大変混んでいましたが
駐車場がだいぶ増えたみたいです。
川場村では郷土誌新刊「川場村誌」ただいま作成中です.


















近所の畑 ポピー満開です。
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榛名山をバックに
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毎年楽しみにしてます。
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アヤメも咲いてます
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朝涼しかったけど真夏日に。
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ピンク 赤 白
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こちらはジャーマンアイリス
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写っちゃった!


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ヤグルマギク ピンク
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うちの庭のシャクヤク
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早朝の赤城山







新田義貞の首塚がある
桐生市新里町新川 善昌寺 参拝
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                          新田の家紋 丸に中黒一引
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                  本堂入口階段


延元三年1338年七月二日新田義貞は越前の国 
足羽七城を攻め落とすことを部下七隊に命令 配陣
部下を率いて大雨の中 出陣 燈明寺畷で敵に遭遇
大激戦 敵も新田義貞目がけて矢を集中 忠臣らも
義貞大将の盾になったが 次々と討死 
愛馬も倒れ 
義貞の眉間に矢が突き刺さり 断念
敵の刀に切られる前に 自害 この時38歳。

新田義貞の自害で忠臣ら何名か殉死
義貞亡き後 戦いが不利になるので武士たちが去っていった。

敵軍が数ある死体の中から新田義貞を発見
日吉神社拝領の太刀「鬼切」と錦袋の「吉野帝の綸旨書」
を所持 大将の甲冑をつけていたことから。

首は氏家八郎重国が京都に持参
新田義貞の首は、京都 都大路に獄門にかけられたので
都の人々は 泣き悲しんだ。
新田義貞の北台勾当内侍(京都の妻)は召使いの丹の局に申しつけ
義貞の首を奪って新田家へ届けるように命じた
丹の局は首をお骨にし新田庄まで行ったが不在なので
新里町の新川の善昌寺お骨を埋葬したとある。「新田氏古記録」
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                           桐生市新里町新川 善昌寺
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               新田義貞の首塚とされる五輪塔(中央)
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                    由緒書
       善昌寺文章より
桐生市新里町新川 市指定重要文化財 風化した五輪塔が30基余り現存する。

新田氏家臣 船田長門守善昌は新田義貞に従い各地に転戦
負傷したので新田庄に帰ったが足利軍が新田の庄を占拠
新里村新川 大同寺(善昌寺)に逃れ出家した。
新田義貞戦死後に善昌の息子 船田長門守は僧侶姿となり
越前藤島や金ケ崎城で戦死した家臣らを火葬し新田に帰国
善昌の居る大同寺(善昌寺)の裏山に埋葬した。
新田義貞の十三回忌と新田義重(新田の祖)百五十回忌が正平六年
ひそかに集まった新田一門が追善供養をした。
この頃から大同寺を善昌寺と呼ぶようになったとされる。

応仁2年3月3日に善昌寺の住職が記した古文書に
新田氏一門の戦死者と法名が記してある
「善昌寺古記録応仁記」

新田一族
   新田義貞 新田義宗
   里見修理亮経成 鳥山伊賀守義明 山名八郎入道元了 大井蔵人氏政
   大江田六郎経重 市川五郎邦重 山内左衛門直 堀口美濃守貞満
   世良田次郎親吉 里見五郎義胤 山名兵庫頭忠家 江田三郎光義
   加賀美小三郎直治 額田三郎正忠 岩松三郎常家 大島讃岐守
   大舘左馬之介宗氏 細谷馬之介勝直 堀口掃部貞祐 桃井播磨守直常
   羽川備中守義則 堀江対馬守忠義 田部井十郎重 堀口十郎良行
   一之井三朗義時 堀江治部大輔宗忠

新田家臣 新田義貞に従軍の武士
   船田長門守 綿内刑部 長浜六郎左衛門 田中三郎左衛門 由良新左衛門
   畑六郎左衛門 亘理新左衛門 栗生左衛門顕友 篠塚伊賀守重広
   山上七郎入道 山上六郎左衛門 由良越前守 石川備前守 難波備前守
   杉原下総守 吉沢右京貞行 川越七郎左衛門 藤田四郎左衛門
   飯野将監勝利 高田薩摩守 葦堀七郎 橋本三郎 岡田四郎左衛門
   名張八郎 長澤入道寛山 青木五郎左衛門 藤田三郎左衛門
   今泉左近 川越三郎 川波新左衛門 山内治内 中条道宋入道
   中野藤治 吉江次郎入道 岡野谷五郎 小島倫氏 小幡藤内 
   岡野下野入道 大沢式部小輔 平沢八郎左衛門 金井主水佐 高山遠江守

善昌寺の前方の丘に新田氏一族 薮塚氏の砦があり薮塚基綱は
鎌倉攻めで負傷 新田の庄に帰国したが足利勢の中 薮塚には帰れず
近くの谷津山砦に住み その時代の五輪塔が砦跡に一基ある
この薮塚氏の末裔の方が砦跡に住んでる。

薮塚氏の先祖は新田義兼の娘と足利義純の嫡男
岩松時兼でその六男 朝兼が「薮墓」現在の薮塚に居住
「藪墓」の名前、墓を塚に変え 薮塚六朗朝兼を名乗る。

新田氏とたいへんゆかりのある町であるが
書物等の記述が少なく
栗生左衛門がこの地 新里村小林に潜んで帰農し
小林を名乗ったとされ子孫の方が居るとされるが
不明 調査中



栗生神社 春の祭典行ってきました。
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新緑と鳥居 周りは杉林 花粉の時期が過ぎて一安心!
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                                       栗生神社拝殿 桐生氏黒保根町上田沢栗生

天気が気になっていたんですが翌日の雨も上がり
一気に晴れ上がり午後には暑いくらいの夏日。

拝殿を覗くと栗生神社宮司新井さんにあたたく向かい入れられ着席
大勢の氏子さんたちが祭典の準備。
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年二回の祭典を集落別に分け行っている氏子さんたち
栗生神社の伝統を守り引き継いでいる。

祝詞をあげてもらい 玉串を供えることができましたので感謝です!
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       氏子さんたちと栗生神社宮司 新井氏
   全国的に問題になっている地方神社の老朽化に悩んでいる様子も
   みられ 重要文化財としての未来に残す課題も多いと語る。

   祢宜 新井氏は新田一族で新田三代 新田義房の次男 覚義が
   新井氏の祖とされ早くより新田氏一族で新田の重臣としてあり
   新田義貞に従軍活躍その後 新田義宗の重臣とし活躍
   沼田市白沢町高平 沼田市利根町大原に土着帰農
   慶長5年1600年 沼田城主真田信之の宿割
   戦準備の区画整理により  
   桐生市黒保根町上田沢、下田沢に強制移住
   
   栗生左衛門の末裔 小林氏 生方氏
   青木氏 尾池氏 と共に沼田市利根町大原より移住
   移住した七姓 小林氏 新井氏 生方氏 青木氏 尾池氏 中沢氏 山中氏
   栗生神社を奉じたとされるが 
   草創 慶雲4年 707年とあり 栗生山麓に元あった神社か
   新田義貞にこの地から従軍した田沢氏の居住跡に栗生左衛門頼方を
   祀った可能性もある。
   かつてこの地を栗生平と呼び 隠れ郷そのものである。
   

   栗生左衛門が新田義貞戦死後に新井氏 青木氏 尾池氏と共に
   桐生市黒保根町上田沢、下田沢を隠れ郷として土着帰農説もあり
   栗生氏の子孫が小林氏を名乗ったと有る。
   太田市薮塚の小林氏は黒保根町から移住した新田家臣とある。
                      「黒保根村誌 新田一門誌」


      寛政2年1790年に建築
    元あった栗生神社の祠をお参りしてから本宮をお参りしたという
    建築時の祢宜 新井左京氏 関口文治郎有信の協力を得て完成。
      
        新井左京氏    新井氏家系図
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        新井勝彌氏 
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        新井清美氏
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        新井仁氏
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        新井一男氏 (現在)

   新井宮司の先祖が京都からこの地まで栗生左衛門の御霊様を背負って
   来たという伝説もある。
   (この伝説は大変興味深い伝説で神社の創立と栗生左衛門の歴史が
             変わるくらいの価値ある一言である)
               
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                    拝殿からの鈴
    
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           栗生神社登り口 分かれ道を直進杉山の中 石の祠
    昔はこのお宮をお参りしてから本宮に行ったとされる。
    慶雲4年707年草創の時代から残っている祠では?
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                栗生神社本殿 寛政2年1790年創建 県重要指定文化財

    日光東照宮彫刻師集団 棟梁 関口文治郎有信 地元作品
    
       気さくな宮司さんと氏子さんたちのお話が楽しかったです。
    遠くから来ていた氏子さんの話も伺えて勉強になりました。
    また栗生左衛門の末裔の方の話も伺えました。
    ありがとうございました。
    また伺います。



クーと散歩 近所のサクラです!
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                  今年は菜の花が少ない感じ。
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                クーが動かない時が シャッターチャンス!
      今年15歳 目と後ろ足が弱って来たけど 散歩大好き!
      前足に筋肉がついてきて 後ろ脚をフォローしているみたい。
      私がカメラを持って出ると大喜び!
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                榛名山をバックに
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                咲くと始めてわかる 桜の名所

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                雪柳も満開。
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                               しだれ桜と花桃かな?小さな桜並木です。
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                毎年楽しみにしている 穴場スポットです!
      最近はカメラマン増えました。
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               今年も綺麗に咲きました!
          


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                つくしがいっぱい 出てました。
      
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              春いっぱいの散歩でした。