天界維新宣言―和に至る道― -2ページ目

天界維新宣言―和に至る道―

2004年4月を前後して、天使と守護霊は日本史に秘められた霊的抗争の全容を教えてくれた。
その時、歴史的人物の霊が結束して、いまだ果たされていない使命を成就するため、地上界に働きかけることを誓い合った。
地上界との絆を結ぶために、このブログを公開する。

2003年5月5日(月)霊性日記より

人類最初の女性であるルクは、神が思い描いた美の完全な象徴であり、神の中にある美の要素のすべてを抽出した存在だ。ということは、どういうことが言えるだろうか。最初の天使について考えれば、神の全要素のすべてを、そのまま霊的な固体として完成した状態で誕生した天使である。他の天使以上に、ルクの美に感応してしまう感性の要素を備えているはずだ。そのうえ、トルはルクと同じに肉体を持つ立場だが、霊性は成長の途上だ。神は人間の住む地上界とも、天使の住む霊的世界とも、その存在の次元を異にしている。

以上のことを考えると、この時点にあって、ルクの持つ姿形の美にも、霊性の美にも最も感応してしまう立場にあるのが最初の天使であった。

神の愛をある意味で独占する立場にあった最初の天使だが、トルとルクの霊性が成長し神と霊的に交流できるようになり始める。昨日の日記に書いたように、このときに最初の天使が感じたのは自分の立場を失ったような淋しさと空虚感だった。その情を自らの研ぎ澄まされた知性と理性で乗り越えようとした。

やがて、知性と理性で自らを制御しながら、トルとルクに神の愛の最も深い内容を伝えるための、霊的な準備を整えなければならない時期が来る。二人が霊的にも肉体でも結ばれ、子供を誕生させるための神聖な環境を整え始める時期ということだ。二人同時に指導するというわけには行かない。二人の備える霊性も、肉体的な要素も、まったく違うものだ。とくに、生理がはじまるルクに対する霊的な指導は重要なものになってくる。そのために、最初の天使はルクと接する機会が多くなる・・・・・。

2003年5月6日(火)霊性日記より

トルとルクは幼い頃には、肉体を産んでくれた親の愛も感じ取って成長した。自然界にこめられた神の愛も、たっぷりと受けながら成長していったが、やがて二人は肉体の五感で感じる喜びよりも、情緒に響く霊的な心の通じ合いに、より深い喜びを感じるようになる。二人は自然と両親から放れ、天使たちと霊的な交流を持つようになる。

今で言う思春期に差しかかるころには、天使たちの指導はとても重要になってくる。トルとルクは地上界に生まれた存在の中で、唯一の霊性を備えた存在だ。肉体の五感から生じる本能的な欲望から、霊性から生じる神本来の欲望にスムーズに次元を高められるように指導しなければならない。

・・・・次の表現を考えるために霊性を澄ませていると、足元にさざ波が寄せ引きしているような波動の感覚を感じた。ひときわ心を澄ませると、それは神の眼差しに込められた愛の心情だと悟った。私の我欲の強い心からすれば、神の直接のものとは思えない。天使が代弁しているのだろう。その心情の波動を言葉にしてみようと努めてみる。

「安易に土足のまま踏み入るな。わが身の罪を裁くことになる・・・・。」

霊性日記は今、最初の人間が迎えようとしている性の問題に踏み入ろうとしている。それは、肉体の五感を先立てて生きる人間になるのか、霊的な永遠性のある感覚を先立てて生きる人間になるかの、大きなポイントになるものだ。足元に感じたさざなみの波動の感覚は、この問題に触れるにあたって、私のふやけた心を引き締めるためのものなのだろう。


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2003年5月3日(土)霊性日記より

さて、天使たちは愛を実感できる世界を創り出そうとした神の意図も目的もすべて知り尽くしている。それを創造するに当たって、何が重要であり、間違ってならないことは何なのかも、すべて知り尽くしている。ただ、悲しいかな(現出してしまった結果から、こう表現する)、自分自身で実感を感じることができない。指導している人間が実感した感情や心情を通して感じ取ることになる。

少し踏み込んで表現すると、人間が肉体の五感で感じた実感そのものは、同じようには天使に伝わらない。解りきったことだが、天使は肉体の五感をまったく備えていないからだ。だが、霊的な感性は人間とまったく同じ要素だ。つまり、人間が肉体の五感の実感から、心の機能である知・情・意を通して源初心霊に感応し、霊的な実感となった刺激が天使に伝わっていく。まわりくどくて、こむずかしい表現だが、このようにしか書けない。

さあ、少しずつ、少しずつだが核心が見えるところまで近づいてきた。でも、しつこいほど言っているが、今の段階では見るだけで踏み込みはしない。

2003年5月4日(日)霊性日記より

人類最初の男子トルと女子ルクは、自然の包み込むような愛に満たされながら、少年少女期に差し掛かり、やがては青年へと成長していく中で、霊性も成長し神性も帯び始める。天使とはもちろんのこと、神の霊にも感応を示すようになってくる。神も初めて実感する愛の刺激だ。時間に拘束などされることもない神が、愛を実感するために現出した時間を、待ち忍ぶこと百数十億年・・・・。

神は待ちかねたように、無限の愛をトルとルクに注ぎ込む。天使たちもその光景を感動に包まれながら見守った。天使のリーダーである最初の天使も、神の偉大な愛の技に見入った。しかし、やがて最初の天使の心にもたげてくる情に、彼自身がおののいた。トルとルクを指導しながら、彼は二人が感じる感情や心情を実感として感じるようになっていた。そんな彼の心に湧き上がって来たのは、言い知れぬ淋しさ、あるいは空虚感というものであった。

最初の天使は誰よりも神の愛を受けて活動していた。そのうえ、トルとルクからの愛も他の天使以上に受けとめ、その成長していく喜びを神に嬉々として伝えていた。自分が仲立ちをしていなければ、神と人間とはつながっている事ができなかったのだ。それが、トルとルクに霊性が成長し、神が直接に二人の心情を実感できるようになると、天使長の立場は微妙に違うものになってくる。押さえようのない淋しさを、彼は懸命に抑えようとした。このような感情があることも理解していたし、克服の仕方も理性では解っていた。

神の愛が減ったわけでもない。トルとルクは神との霊的な交流を体験して、前以上に天使長に感謝し愛で答えようとしている。しかし、神の愛を、ある意味で独占していた立場にあった最初の天使の心は、トルとルクが神の愛を受けてより輝く姿を見るにつけ、押さえようもなく打ち震えた。しかし、彼は最も模範的な天使の立場を守るため、必死で自分の噴出してしまいそうな感情にたがをかけ締めていた。

神は愛を実感できる世界を創るために、愛のために湧きいずる情を、どんな法則よりも強いものとして創らざるを得なかった。だから、裏返しになった自己中心な愛の感情でも、理性以上の力を湧出するようになる。ここを乗り越えなければならないことは、最初の天使が誰よりも理解していた。そして、ようやく湧き上がる淋しさを乗り越えようとしたとき、新たな試練が彼に襲い掛かった。


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2003年5月1日(木)霊性日記より

たとえて言うなら霊性日記は、霊界の禁断の圏の境界となっている断崖の頂まで上ってきた。禁断の圏の方を見下ろすと、愛憎の情が激しいまでに匂いたってくる。

はたして誰が、愛の本質を知っているのだろう。愛がからみあい、ねじれたり、よじれたりして、悲しみが生まれ、憎しみが生まれ、怒りにかりたてられ、いまだに戦いは地上からなくならない。武器を使った戦争だけではない、国と国はかけひきをしながら均衡を保ち、人々は矛盾に向かって愛と平和を求め叫ぶけれど、どうにもならない異様な力が世界を押し流していく。

この禁断の圏の断崖の頂で一息入れよう。充分に力を蓄えないと、握りつぶされてしまう。啓示に似たものに、悪霊からの働きもある。また、啓示そのものであっても、とらえ方によっては捻じ曲がってしまうこともある。テレビのニュースはにぎわっているが、ここまで築いてきたこの日記の霊性を壊さないために、わき目を振らずに突き進むが、充分に備えと覚悟を持って一歩を踏み出そう。

2003年5月2日(金)霊性日記より

連休の前夜で、渦巻いている人々の感情、心情が錯綜している。それに感応して、霊界も錯綜しているようだ。霊性飛行は最初の重大な関門にさしかかっている。この大事なところの記述は、明日の早朝、心情も霊界も落ち着いている時からはじめようと思う。

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神は愛を実感したいと願い、愛する相手を誕生させた。その動機の原点は自分が喜びを感じたいという欲望だったが、神にとっての最高の喜びとは愛を永遠に投入することであった。つまり、愛ゆえに自己が完全無私となり、愛する相手のために自らのすべてを持って投入し続ける状態である。その存在自体で満ちて足りている神においては、自分が喜びを感じたいという欲望と、愛する相手のために自己のすべてを投入したいという愛の欲望は矛盾なくひとつになっていた。

この神とまったく同じように愛を実感できる人間を出現させるには、自己愛から出発して、ひとつひとつ愛されることの喜びを知っていく成長の過程が必要だった。自分の心に充分に愛される喜びの実感があってこそ、その実感に応じて霊性が目覚め始める。霊性が目覚め始めると、霊性どうしの交わりに本質的な愛の喜びを感じられるようになってくる。自分に愛された実感があると、愛する相手を喜ばせたいという心情は自然な形で心からあふれ出してくる。愛する相手の喜びが、自らの喜びとなるのだ。

霊性は成長し、やがて神性を帯びるようになる。太陽の光がすべてのものに注がれているように、空気がすべてのものに与えられているように、この宇宙という源初心霊を育む胎の役割をするものが、ひとつのものでありながら、誕生するすべての命に対してまったく違う環境を愛の形で与えてくるように・・・・、そこに神の愛を実感した人間は、神の愛そのものを備えるようになる。この愛の欲望こそ、密教の理趣経で説かれた境地なのだ。

禁断の圏の断崖の頂に立ち、匂い立ってくる愛憎の情にめまいさえ感じながら、神性について触れたのは、これから描く天使の欲望についてより深く理解していくためだ。

くるとが悟りきったような調子で書いているが、99.9パーセントは天使の仕業だ。私の心は醜く汚れていて、こんなことを書くには値しない。書けば書くほど、自分中心と邪悪な欲望が浮き立ってくる。


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