2003年5月11日(日)霊性日記より
最初の天使と最初の人間トルとルク、この三者がそれぞれ置かれている心情的な状況を整理してみる。
最初の天使については、もう何度も表現しているが、人間に霊性が目覚めるまでは、神の愛も人間の愛もどちらも独占している立場だった。人間に霊性が成長し、神と直接に交流が始まると、今まで以上に愛を受け取っていても、独占していたときに比べて心情的に空虚感を感じるようになる。その空虚感を埋めたいという欲望が当然のように湧きあがってくる。天使の置かれた状態は、このように心情的に不安定であった。
それでは、最初の女子であるルクはどうだろうか。霊性が成長し始めると、これまでは肉体的な感性を通して愛を受ける一方であったが、自然と愛情で答えたいという欲望が生じてくる。さらに新しい知識や知恵が与えられるごとに、ますます霊性の感度が増し、何事でも吸収したくなる。外界からの新しい刺激を敏感に感じ取り、反応を示すようになってくる。その反応はルクの美しさをこの上もなく引き立てるようになる。
最初の男子トルのほうはどうか。霊性も成長するが、それ以上に肉体の力も霊性の成長にも増して強くなってくる。外界に対する肉体的な働きかけの興味が優先し、どちらかというと、ルクよりも霊性の成長が遅れてしまうのは否めない。遅れてしまうという表現は当てはまらないかもしれない。熟成により時間がかかるとでも言おうか。
そういう三者の状況の中で、最初の天使とルクの指導的交流が多くなるのは、ルクの生命を誕生させる役割においても自然なことであった。しかし、ルクの敏感な情的反応が、最初の天使の情的空虚感にどのように響くだろうか。
2003年5月12日(月)霊性日記より
残念だが、今の段階では表現の限界をむかえているようだ。
最初の天使が堕落してしまい、人間の心を支配してしてしまったという内容は、たいへん古くから語られていることだ。1900年以降、霊界が開けてきているので、最初の天使と人間の間にどんな出来事があったのかを、心情まで踏み入って記している人も、あるいは宗教もあるだろう。反面、科学の進歩とともに、神や霊界の存在を迷信として片付けられてしまう傾向もある。天使などといえば、まったくメルヘンとしか思えない。そういう状況の現時点では、霊的に感じ取った人にしか受けとめることのできないことだと思う。それが真実の出来事なのか、はっきりと証明する術はどこにもない。何十万年も前の出来事をどうやって証明するのか。
そのようなことを思いはかると、この霊性日記はこれから無謀な飛行を続けることになる。神が愛を実感したいと願って誕生させた人間なのに、なにゆえに邪心とか煩悩を備えてしまったのか。その出発点にあった出来事を、誰もが確信を持てるようになるまで、霊界の深みに踏み入っていこうというのだ。だから霊性飛行は、いったん禁断の圏から出て、再び霊的に彷徨うことになる。明日はどこに行くのか、どんな内容になるのか、今の私には解らない。
この禁断の圏を出るに当たって、再びここに帰ってこれるように楔を差し込んでおく。
「天使とルクは“0”と“0”で結ばれ、トルとルクは“29”と“29”で結ばれた。その行動で実感した感情が、源初心霊に実感情心霊として結実した。」
2003年5月9日(金)霊性日記より
昨日、わが身の罪と受けとめて望まなければならないと悟れて、すんなりと次の段階に進めると考えたが・・・・。かっこう付けたってしょうがない。正直言うと、また霊的に鉛のヘルメットをかぶせられた感覚だ。ここ数日、身体も厳しく、霊的にも今一歩で、人々の情が錯綜している夜の時間帯では、とても霊性日記を書き込むことができなかった。だから、翌日の早朝に書き込んでいた。今日も10日の早朝に起きて挑戦してみたが、鉛のヘルメットがとれない。
私は霊的には何の訓練も受けていない普通の人間だ。(でも、二十代後半は断食と水行を頻繁に行いました)呪文やお祈りを唱えて、いっきに霊を吹き払うなんてできない。そして、この霊性日記は、そのような質のものではないと思っている。首筋から右肩にかけて、何かべったりと張り付いているような感覚・・・・。
わが身の罪と受けとめて望み、霊界がいっきに晴れて、最初の天使と人類最初の男女の間に何が起こったのか、さらさらと書き込めたら、とてもかっこよかった。でも、開かれない以上、正直に状況を書いていくしかない。試練が大きければ大きいほど、つかめるものも、また大きい。
2003年5月10日(土)霊性日記より
神は愛を実感したいと願い、愛する相手を誕生させた。その動機の原点は自分が喜びを感じたいという欲望だったが、神にとっての最高の喜びとは愛を永遠に投入することであった。つまり、愛ゆえに自己が完全無私となり、愛する相手のために自らのすべてを持って投入し続ける状態である。その存在自体で満ちて足りている神においては、自分が喜びを感じたいという欲望と、愛する相手のために自己のすべてを投入したいという愛の欲望は矛盾なくひとつになっていた。
以上の内容は5月2日の日記に書いた内容である。行きつ戻りつ、真実を反芻するように、霊性飛行は計り知れない航路をたどる。
最初の人間トルとルクの霊性が神性をおびはじめると、神が直接に彼らの心情と交流できるようになる。すると、最初の天使は難しい立場に立ち始める。それまでは、最初の天使が神と人間の間に入り、愛の関係をとりもっていた。神と人間が直接に交流できる度合いが増すに従い、最初の天使が置かれた立場は情緒的に難しい状況となる。それまで以上に神にも人間にも感謝され愛されているのだが、以前の両者の愛を独占していた状態に比べると、愛が減ったような感覚に囚われるのだ。その情の感覚は、源初心霊が愛を実感できる機能を備えるためには、必要不可欠なものであった。
そしてさらに、最初の天使は淋しい情緒を抱えながら、トルとルクが霊的にも肉体的にも神性による愛で結ばれなければならない時期をむかえるようになる。ここまでは、ここ一週間の霊性日記の復習だ。
その存在自体で満ちて足りている神においては、自分が喜びを感じたいという欲望と、愛する相手のために自己のすべてを投入したいという愛の欲望は矛盾なくひとつになっていた。その神も体験したことのない矛盾に溢れた境地を、天使はどのようにして乗り越えるのだろうか。はたまた乗り越えられなかったのか。
天使が教えてくれた。人は誰でも魔(真)法使いになるために生まれてきた。