ロードバイクで帰郷:「坂の上の雲」ゆかりの地を訪ねて | くるすけの A Mi Manera

ロードバイクで帰郷:「坂の上の雲」ゆかりの地を訪ねて

夕べは広町.com自転車部の忘年会(都合がつく人限定でゴメンなさい)で、
またまた悪ふざけをしてしまいました(反省)。

今日の昼のフェりーで、松山(厳密には違うケドね)に帰郷します。

今回は”「坂の上の雲」放送記念!”かどうか定かではありませんが、
物語のゆかりの地を、ちょいと巡ってみようかと計画していますので、
私はロードバイクで、残りの家族は車での帰郷です。

12時半、呉港発松山観光港行きフェリーに乗船するために、
フェリー乗り場で家族と合流。
お昼は船内で食べるので、ゆめタウン呉でおにぎりやらを買出しします。

予想どおり、船内はかなりの混雑。やっとの思いで席を確保する。

というのも、呉と松山を結ぶもう一つのフェリー航路である、
呉・松山フェリーの廃止 により、利用者が唯一の航路であるこの航路に集中しているのだ。

実は、くるすけ一家は、帰郷の際には、いつも呉・松山フェリーを利用していた。

・所要時間が2時間を切り、最短であること。
・便数が多いこと。→石崎汽船のフェリーは、スーパージェットとの兼ね合いで便数が少ない
・石崎汽船より安い。
・空いている。→トラックの利用者が多いから?

でも、先の高速道路の休日1000円が一番響いたでのでしょうか?6月30日を持って廃止となりました。
思いっきり計画倒れ?としか思えない阿賀マリノポリス に乗り場を移された矢先の廃止だった。

高速道路は我々の血税で守られ、厳しい環境の中で必死にがんばっている方々が、
「利権」や「カネ」を生まない、という理由でバッサリと切られる。

この国の”正義”はどこへ行ったのでしょうかね。

カネになる高速道路だけが優遇されて、利権を生まないその他の交通機関が冷遇されるているのは、
自動車道路行政が優先されて、自転車道路行政は全くなおざりにされてるのと似てるとは思いませんか?

やっぱり、我々”自転族”も、中央に政治家を送りこまねばならないのでしょうか?
ガンバレ!谷垣サン!多摩サイで落車しとる場合じゃないですゾ!

(・・・でも「自転車族」ってのは、やっぱり嫌な名前やな。ヤメヤメ・・・)


なんてことを考えているうちに、2時間弱で松山観光港に到着。
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ここからはロードで、寄り道しながら実家へと帰ります。

いよてつ高浜線の終点、高浜駅。松山観光港から徒歩10分程度のところにあります。

木造の駅舎が趣きを感じさせますね。
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駅の正面は興居島(ここも松山市)との連絡フェリー乗り場。
そういえば、高校一年の夏に、友達と泳ぎにいったな。
島から市内の高校や職場へ通う人多し。江田島と広島市との関係と同じやね。

梅津寺公園近くにある、正岡子規の句碑。
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この辺りは昔から上方や江戸へ行く船の乗り場だったようで。
好古さんも真之も子規もここら辺りから旅立っていったんでしょうね。
「坊ちゃん」も、ラストは確か、汽車に乗って港に行って、船に乗って東京へ帰ったよな。

ちなみに、私も、18歳の時、大学入学の為に大阪へ旅立ったのですが、
松山観光港からフェリーで行ったんですよ。
真之が大学予備門に入学の為に東京へ旅立つ時、
友達が砂浜で見送るシーンがあったけど、
私も、小学校からの悪友達が、わざわざ見送りに来てくれたんですよね。

これから始まる、大阪での一人暮らし。
田舎モンの私が、新生活への「期待」と「不安」にドキドキしながら、
桟橋で手を振る悪友達に、私も手を振りながら、なぜか涙が出てきたことを、
今でも鮮明に覚えています。

ぐずぐずしてると、雨が今にも振り出しそうなので、先を急ぐ。
本日のメインである、秋山兄弟の銅像へ。

梅津寺公園横の小高い丘に、秋山兄弟の銅像がある。
向かって右に秋山好古さん、左のもう一段高い場所に、秋山真之がいる。
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秋山好古像。立っています。馬に乗っていません。
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ホンマに貫禄がある。いかにも”豪傑”って感じがします。
好古さんは、弾が飛び交い、砲弾が炸裂する戦場において、悠々と酒を飲み、作戦指揮をした。
陸軍の誰もが気付かなかった、近代戦争における機関砲の威力にただ一人気付き、
自らの騎兵師団に採用した。
当時、世界最強と言われたコサック騎兵を向こうに回し、西洋馬の繁殖もままならなかった
状況の中で、互角に戦い、勝利した。

しかし、好古さんは、根っからの軍人ではないように思う。
本人も、軍人になりたくてなったわけではない。(陸軍士官学校へは、学費が無料だったから入った)

むしろ、人物の大きさというか、オトコが惚れるオトコというか・・・

日露開戦前に、ロシアの、満州での大規模な軍事演習に招待された時、
好古は行く先々でロシア軍人達と酒を酌み交わし、友人となった。
若い士官たちは、彼を兄と慕い、片時も離れなかった。

しか、本来の目的である諜報もしっかりと行い、
旅順要塞や市内を「挨拶せにゃあならん!」と言い、ズカズカと入っていった。
仮想敵国の軍人が敵の中枢に、しかも堂々と赴くなど信じられないが、
彼はそれをいとも簡単にやってのけた。
それが許される「人の大きさ」があったのではないかと思う。


もう一段高いところに、秋山真之像。        「知謀 沸くが如し」 東郷平八郎 献辞
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日露戦争における、連合艦隊の、対ロシア艦隊との作戦は、全て秋山真之が立案し、
連合艦隊司令長官である東郷平八郎は、その全てを即断で採用した。

彼の頭の中には、ロシア太平洋艦隊及びバルチック艦隊の艦船の全てのデータが入っており、
旅順において太平洋艦隊を全滅させた後、バルチック艦隊との決戦を何度も何度もシュミレーション
していく。
そして、”七段構えの戦法””T字戦法”を発案し、実施。
日本海海戦を、海戦史上類をみない圧倒的な勝利へと導きくのである。

ちなみに、ロシア海軍の克明なデータを真之に与えたのは、
親友であり、開戦前に在露武官として赴任した広瀬武夫である。

明治維新後に松山藩の下級武士の家に生まれ、「自分は新しい時代の人間だから・・」と言っていた真之は、
同年代で(広瀬の方が一つ年上)、まだ武士の魂を持っていた広瀬を羨ましく思っていた様子が伺える。

しかし真之は、その親友を、自分が発案した作戦において失うのである。
そして、ロシアに残した生涯の恋人、アリアズナは・・・

戦時中にも関わらず、少将の娘にも関わらず、敵国の将校の死に対して喪に服すのである。

広瀬は生涯独身を通し、職務の障害となるとして、女性に対して浮いた話は一切なかった。
彼が、生涯、唯一愛した女性は、アリアズナであったらしい。

広瀬は柔道の達人であり、漢詩も得意であった。
アリアズナも、上流社会の女性らしく、当然文学についての教養を持ち得ていた。

彼女はロシア語の詩を広瀬に送った。
広瀬はその返しの詩として漢詩を作り、それをロシア語に訳して送った。
そうして2人は、文通を通して想いを重ねていった。

ドラマでは、2人の関係を分かりやすくするためにデートしている場面があったが、
当時、2人がおかれている状況を考えると、あんなに開放的に交際ができるとは考えにくい。

2人の恋愛はプラトニックであり、教養に満ち合われたものだったと思う。
この頃の日本人の教養の深さには、本当に敬服する。

ちなみに、現在の「絵文字いっぱい」「ハートいっぱい」のメールとは
比べ物にならんほど次元が違うので、そこのところ、お間違えのないように。

話が逸れまくりです(笑)。

真之の銅像の横に、石碑があり、それに碑文が彫ってあります。
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「皇国の興廃 この一戦にあり 各員一層奮起努力せよ」 日本海海戦直前に旗艦「三笠」が掲げたZ旗。
ようするに、「これで負けたら、ワシらはもう後はないけぇ、みんなキバれや!」という意味です。

トラファルガー海戦で英国艦隊司令ネルソン提督が初めて使ったらしく、
それに習って、主席参謀秋山真之が起草して使用した。


「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
日本海海戦、開戦直前に大本営に打った電文。秋山真之起草。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、真之が「敵艦隊・・・」を起草し部下に渡した直後、
思いなおして書き足した。
この一文で、大本営は”七段構え”の内、第一段である「水雷艇と駆逐艦での雷撃を諦め、
第二段である”艦砲による攻撃”を始めることを理解する。
それほど、日露戦争における海軍の意思疎通は完璧だった。

銅像の横にこんなボックスが。
ボランティアの方々による秋山兄弟に関する資料が置かれていました。
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真之役の本木雅弘さんも、ここに来られたのですね。
このようなボランティアの方々に感謝しつつ、「坂の上の雲」への想いをノートに記帳する。



こんな感じで、秋山兄弟への想いを偲ばせているうちに、
怪しかった空から、本格的に雨が落ちてきました。

いよてつ三津浜駅を過ぎたところで自走を断念。
実家に電話し、親父に救出を要請する。

横殴りの風雨をローソンの隅でよけつつ救援を待つ。

30分程で親父さん到着。私のせいで予定が狂わされ、
さらに年末の渋滞にハマってすこぶる機嫌が悪い。
(ていっても松山でっせ。大したことなかろうに・・)

なんだかんだで、無事に実家に着きました。
寒かった・・。