前、龍くんと話してたんだけどね。

(というより私が一方的に意見を述べるだけだけど。笑)

 

 

 

 

子育てって矛盾を受け入れられるようなになるなーって思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもは好きだけど、イライラする。

 

子どもは大切だけど、うんざりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

矛盾する心の中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きなのに、憎くて憎くて仕方なくなるときもある。

 

大切で仕方ないのに、どこかに捨て去ってしまいたくなるときがある。

 

 

 

 

 

 

きっと、分からない人には分からないのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

相反する感情が己のうちにあることを、

子育てをするうちに知ることとなる。

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、私はそれを学びたくて子どもを育てているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

正義と悪の世界出身だしね。笑

 

正しいか間違っているか、

良いか悪いか、

そんなことばかり考えていたから。

 

 

 

 

 

 

きっと子どもを育てるまで、

そんな矛盾があること自体、認めることが出来なかった。

 

 

 

 

憎いのは「嫌い」だからだ。

捨て去りたくなるのは「いらない」からだ。

 

 

そうバッサリと切り捨てて、

自分の心の中にある矛盾に苦しむ人を理解しようともしなかっただろう。

 

 

 

どうせ世間から批判されないように嘘ついてるだけ。

自己保身のために本音の「嫌い」「いらない」を隠してるだけ。

 

そんなふうに傲慢にも思い込んで。

 

 

 

 

 

 

世界には

相反する感情が同時に存在することもあるのだ。

 

嫌悪の中に好意があることもある。

怒りの中に許しがあることもある。

 

 

 

 

 

一色ではない心の色。

 

 

 

 

 

 

 

 

それを子育てするうちに体感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正しい、正しくないで判断してしまう人ほど、

子育てに苦労するんじゃないかな。

 

 

 

自分の中の矛盾を認めてはじめて、

子どもの全てを受け入れることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろんそうじゃない人もいるだろう。

 

子どもが可愛くてしかたなくて、

何をしても許せて

 

最初から幸せいっぱいで幸福に満ち溢れていて。

 

 

 

 

 

私も親になったらそうなるべきだと思っていた頃があった。

 

 

 

 

 

 

だけど、全然そんな風にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

完ぺきな母親を目指していたし、

実母のような聖母であるべきだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

理想と現実との乖離に壊れそうになったし、

誰にも頼れなくて、怖くて、みじめで、

泣いている子どもを「うるさい!」と突き放したこともある。

 

 

 

 

 

 

 

最低な母親だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

憎い、なんて思うはずがなかったのに。

 

捨て去りたい、なんて思うはずがなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

苦しくて苦しくて仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

自分の中の矛盾が許せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憎いのは「嫌い」だから?

 

捨て去りたいのは「いらない」から?

 

 

 

 

 

 

それだけは違う!!!

 

 

 

私の心はそう叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあなんでこんなに憎いの?

じゃあなんでこんなに捨て去りたいの?

 

 

 

 

自分のことなのに、

わけが分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐のような日々が過ぎて、

私はいつしかその矛盾を受け入れられるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

大好きでも、憎くなるときがある。

 

大切でも、捨て去りたくなるときがある。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、それだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

それが間違っているとか悪いとかそういうことじゃなくて。

 

 

 

ただ、矛盾することもある。

 

それだけのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

その2つの感情が同時に存在することもあるのだ。

 

 

それが子どもを育てるということなのだ。

 

 

 

 

 

 

そしてきっと、

私はその学びを得るために、

子どもと一緒に生きてきたのだ。

 

 

子どもと一緒に学んでいるのだ。

 

 

 

 

 

 

子どもたちにそんなつもりないかもしれないけどね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子育ては矛盾を受け入れられる自分を作る。

 

 

 

 

 

 

 

 

矛盾を受け入れることが出来ないと

いつまでたっても「良い悪い」の判断から離れられない。

 

 

 

 

 

人は矛盾する。

 

 

機械のように、精密には動けないのだ。

 

 

 

 

 

 

相反するし、

ズルするし、

えこひいきするし、

理不尽だし。

 

 

 

でも、それでいいのだ。

 

それが人間なのだ。

 

 

 

 

 

私は完ぺきな精密機械みたいな母親になりたいわけじゃなかった。

 

 

 

私はただ、幸せに楽しく生きたいだけだった。

 

子どもたちも幸せであったらなお最高なだけなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嬉しいことに、

花ちゃんも虎くんもママが大好き。

 

 

「できないところもいっぱいあるけど、

 優しい大好きなママ」

 

そんなふうに思っていてくれている。

 

 

 

 

 

正直、「優しい」と思ってくれていることにびっくりしたけど、

(だって、怒りん坊だし、子どもの話聞いてないし。笑)

 

子どもたちの中では「優しいママ」であるらしい。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白いよね。

 

「優しい良いママであること」を諦めたら、

勝手に「ママは優しい」って思うようになってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと矛盾を受け入れられる柔らかな心を持てたからだろうなぁ。

 

 

 

正しい、正しくない、よりも

「楽しい」「気持ちいい」「大好き」

 

そのほうがよほど大切。

 

 

 

 

よっぽど幸せ。

 

 

 

 

 

 

矛盾してたって、

「楽しくて」「気持ちよくて」「大好き」ならそれでいいんだ。

 

 

 

なにも間違ってなんてない。

 

 

 

なにも悪いことなんてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憎くなっていい。

 

捨て去りたくなっていい。

 

 

 

 

 

 

その中に絶対に相反する感情があるはずだから。

 

 

 

 

大好きで愛しくて大切で仕方なくて

自分の全てをかなぐり捨ててでも守りたい

かけがえなのない愛情があるはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

その矛盾を受け入れていいよ。

 

 

その矛盾を認めてしまっていいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矛盾する心を受け入れよう。

 

子育てはそれを受け入れるためにしているんだから。

 

 

 

 

 

 

いつまでも

「正しい」「間違っている」

「良い」「悪い」に固執してないで、

 

さっさと幸せになってしまおう。

 

 

 

 

 

正しくなくてもいいじゃないか。

間違っていてもいいじゃないか。

 

失敗してもいい。

損してもいい。

 

 

 

 

その失敗や損さえ

笑ってしまおう。

 

人生のネタにしてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫。

大丈夫だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中の矛盾を悪者にしないでね。

 

ストレートな解釈ばかり求めないでね。

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫だよ。

 

 

 

 

 

 

ホントは子どもたちは全部わかっているから。

 

だって、一緒にそれを学びたくてあなたのところに産まれてきたんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫。大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に学んでいこう。

 

矛盾を受け入れていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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