昨日の深夜にものすごい悪夢を見て、

 

 そこから、私の中の「男性嫌悪」についての

 

 前提・きっかけ・呪いが見つかったので

 

 シェアしようと思います。

 

 

 

 読んでて気分が悪くなると思うので、

 

 気持ち悪くなったら読むのやめてねー。

 

 

 なんでそれでも書くかって言うと、

 

 私の気持ちを吐き出すためだよー。

 

 自分で自分の気持ちを整理するためだよー。

 

 そして、

 

 同じように無意識に「男性嫌悪」をしている人に

 

 気がついてほしいからだよー。

 

 

 

 

 では書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 ことの発端は昨夜2時半頃でした。

 

 夢を見ました。

 

 

 

 学校の教室で何かのレクリエーションがあって、

 

 私はその準備をしていました。

 

 一緒に活動している中に、

 

 どうしても苦手な男の子がいました。

 

 仮にS君とします。

 

 

 彼は昔から私に好意があったようで

 

 待ち伏せされたり、

 

 追いかけられたり、

 

 ちょっかいをかけられていました。

 

 

 

 その苦手なS君がいたので

 

 私は座っている私を助けてくれるだろう父の背中にすがりついて隠れていました。

 

 けれど、S君はしつこく何回もついて回ってきます。

 

 私は父の周りをぐるぐるまわるようにS君から逃げました。

 

 何周かした時、

 

 突然父が私を突き飛ばし、

 

 鬱陶しいからもう近くに来るなと言いました。

 

 私はS君につきまとわれることが怖かったのですが

 

 おとなしく父から離れ、

 

 一人で逃げ始めました。

 

 教室に知らない男の子が入ってきました。

 

 その子は知能障害があるようでした。

 

 S君はその子と喧嘩を始めました。

 

 私はS君の執着が私から離れたことにほっとしました。

 

 

 

 そこで私は目が覚めました。

 

 

 

 

 

 すごく気分が悪かった。

 

 トイレに行き、歯みがきをして気持ちを落ち着かせた。

 

 なぜこんな夢を見たのだろうと不思議に思った。

 

 気持ち悪かった。

 

 

 

 私はベットに入って子供の頃のことを思い出していた。

 

 

 

 

 昔から、男の子にちょっかいをかけられていた。

 

 ボールを投げつけられたり。

 

 追いかけられたり、後をつけられたり。

 

 その頃から少女漫画脳だったので、

 

 男の子は私のことが好きだから意地悪をするのだろうと思っていた。

 

 

 

 多分その頃には「好かれる = 嫌なことをされる」の方程式が出来上がっていた。

 

 男の子は好きでも嫌いでもなかったが、

 

 「私は何もしなくても男の子から好かれる」

 

 「私は男の子から好かれると嫌がらせをされる」

 

 という風に思っていた。

 

 

 

 話は変わるのだけど、

 

 ここ最近長男(五歳)のパンチが痛い。

 

 怒っているときや拗ねている時、

 

 思いっきりグーで殴ってくる。

 

 言葉で何度も「やめて。」と言ったが効果は薄い。

 

 なぜこんな乱暴者なのだろうかと不安だった。

 

 

 

 そのこともあり、私は「私を好きな男の人から嫌なことをされる」

 

 という前提が強固にあることを改めて自覚した。

 

 

 

 びっくりした。

 

 

 

 

 今まで私は

 

 「何もしなくても男の人から愛される」という

 

 前提を持っていることは知っていたが

 

 まさかそれに紐付いて「愛されると暴力をふるわれる」という

 

 前提まであるとは思わなかった。

 

 

 

 

 その原因はなんだろうと思った。

 

 それが分かれば

 

 私の中にある

 

 「なんとなく男の人が嫌い」

 

 「男の人から好意を持たれるのが恐い」

 

 「男性に性的に興味が薄い」

 

 そういうものの理由がわかるのではないかと思った。

 

(イラストカテゴリーからも分かるように私は女の子が大好きです。)

 

 

 

 女の人に対しては普通に

 

 「可愛いなぁ」「好きだなぁ」「いい人だなぁ」

 

 って思えるのに、

 

 男の人に対しては何も感情がわかないのね。

 

 顔の美醜について思うくらいで。

 

 基本は無感情。

 

 むしろ距離近いと「うわ、近くに来た!」なんて思ってしまう。

 特定の人じゃなくて「男性」っていう種族そのものに対してね。

 

 考えないように、感じないように抑えているのだろうか。

 

 

 

 改めて考えるとひどい女だ。

 

 自分は「無条件で愛される」と思っているのに。笑

 

 

 

 その点、不思議な事にパートナーである龍くんには特に恐怖も嫌悪も何もない。

 

 龍くんの前世が女だったからかな。笑

 

 神様が私に与えてくれた最高の贈り物だと思っている。

 

 というか龍くんと出会ってはじめて

 

 「私を好きな男の人が私を大切にする」ということを知った。

 

 私のことを好きな男の人でも私のこと大切にできるんだなぁ、と思った。

 

 龍くんには頭が上がらない。

 

 

 

 

 ゆっくり過去を振り返っていくと、

 

 父親からしつけという名の暴力を受けていたことを思い出した。

 

 思い出したというより、事実として覚えていたことを

 

 改めてそういえば父からもそういう扱いを受けていたなぁ、

 

 と思っただけなのだが。

 

 

 

 あえて強めに暴力と書いたが、

 

 今では「虐待」とされることも

 

 おおよそ25年前はいたって普通のことだった。

 

 子どもが言うことを聞かなければ、

 

 下着1枚でも外に放り出すし、

 

 押し入れに閉じ込めたり、

 

 げんこつで殴ったり、

 

 ベランダに出されて鍵を内側から閉められることも普通にあった。

 

 ひどい人だと物差しであざになるほど叩かれたり、などもあったらしい。

 

 

 そういう世間風潮の中で私の家族は

 

 至って普通の家族だったし、

 

 なんならその当時の一般的な家族よりも幸せだったのだろう。

 

 

 

 父から受けるしつけは痛かったし悲しかった。

 

 けれど、父が私を愛してくれることは知っていたので、

 

 短絡的にも「愛される = 痛い・悲しい」ということになったのかもしれない。

 

 記憶は捏造されると言うし、

 

 他にもきっかけはいろいろあったのかもしれないが、

 

 私が思い出したきっかけはコレだった。

 

 

 

 

 父のことを問題すると母のことが出てくるのだと心屋で知った。

 

 だから、きっと私は父のことから母の何か問題が出てくるのだろうと思った。

 

 よくよく思い出してみると

 

 父が暴力を振るうとき、母が「やって!」と父に言って

 

 父が殴る、ということを思い出した。

 

 母ではやんちゃな私に歯がたたないので、

 

 家長である父に助けを求めていたのだ。

 

 父はその要請に従って、

 

 私の足を蹴ったり叩いたり、

 

 頭にげんこつを落としていた。

 

 

 

 あー、これかぁ、としばし放心した。

 

 コレは今母親である私がよくやっていることだった。

 

 私の言うことを息子は聞かない。

 

 だから、旦那に助けを求める。

 

 実際に叩くところまではいかないものの、

 

 私も母と同じように父親の恐怖と言うもので

 

 子どもたちをコントロールしようとしていることに気がついた。

 

 

 

 私は暴力が嫌いなので、

 

 極力手を出さいないようにする。

 

 それすら母と一緒だった。

 

 

 

 

 そして思い出していく内に、

 

 「女が黒幕」という前提もあるのではないかと思った。

 

 男の人は「暴力をふるう装置」みたいなもので、

 

 実際に操っているのは「女」だという前提。

 

 

 

 昨年、心屋カフェに行った時、

 

 「女性に頼ることができない。」という相談をいかりんにしたのだが、

 

 その時に出た魔法の言葉は

 

 「お母さん、私がいてよかったね」という言葉だった。

 

 今言ってみたらやはり涙が出てきた。

 

 気持ちをよぉく観察してみたら、

 

 少し皮肉的な感情があることにも気がついた。

 

 

 

 「お母さん、私がいてよかったね」

 

 は、つまり、

 

 「私がいて、自分は加害者にならずにすんでよかったね」

 

 「お父さんに悪役を押し付けて、自分は被害者のふりしてよかったね」

 

 という恨みがましい気持ちだった。

 

 先に言っておくと私は両親が好きだし、

 

 両親は私のことを愛してくれていると知っている。

 

 それでも、こういった恨みが出てくるのは驚きだ。

 

 いったい何年封印してきたんだろう。

 

 

 

 「女が黒幕」とい前提を抱えていては

 

 女性に頼ることなどいつまでたってもできないだろう。

 

 そりゃそうだ。

 

 映画やドラマでよく見るパターンじゃないか。

 

 一番の味方だと思っていた人が一番の敵だった、なんて。

 

 

 逆説的に考えると、

 

 私は母は味方であると自然と考えてきた。

 

 だが、同時に黒幕としても扱っていたのだ。

 

 矛盾している。

 

 コレでは親に頼れない子どもにしかなれないじゃないか。

 

 母は黒幕で、父は実行犯なのだから。

 

 

 

 

 さて、ここでさつきちさん

 

 「私は被害者のふりをした加害者である」ということについて考えてみたい。

 

 つまり、「私は被害者」という前提を握りしめている限り、

 

 「あなたは加害者」という現実をつくり続けることになるのだ。

 

 非常に面倒くさい。

 

 私は被害者とか加害者とかそういうのが関係ない世界に住みたいのだ。

 

 もう被害者だろうが加害者だろうがどうでもいいのだ。

 

 どうでもいい。

 

 どうあってもいい。

 

 被害者でも、

 

 加害者でも、

 

 楽しく笑って生きて死ねたら最高なのだ。

 

 

 

 

 そういう風に思っていることを改めて自分の中で確認する。

 

 すると、「男性嫌悪」が「私は被害者」という立場から

 

 出た気持ちだということが容易に分かる。

 

 お互い様なのに。

 

 

 

 嫌なら、我慢しないで戦えばいいのだ。

 

 離れればいいのだ。拒否すればいいのだ。

 

 私は「愛されているから嫌がらせをされる」という前提なんていらない。

 

 必要ない。

 

 

 

 小学生の時は実際に戦っていた。

 

 ボールを投げつけられたら、

 

 投げつけ返していた。

 

 けれど、小学校の途中で転校し、

 

 全く今までとは違う常識の中で生きることになった。

 

 

 

 その世界の中では「女は黙って付き従うのが美徳」という世界だった。

 

 戦って応戦することができなくなった。

 

 男の人から何をされても文句は言わない世界だった。

 

(女同士で愚痴を言い合う。本人には言わない。)

 

 その地域ギャップで精神的に家族みんながおかしくなっていった。

 

 

 

 S君は転校した小学校にいた男の子だった。

 

 みんなから微妙に避けられていて、

 

 その理由を私は最初知らなかった。

 

 教えてくれる人もおらず、

 

 私はS君にも他の友だちと同じように接した。

 

 というのが多分執着されるきっかけだったのだろう。

 

 S君は気が荒く粘着質な性格だったのだ。

 

 小学校・中学校は学区が同じだった。

 

 高校になって離れたと思ったら、

 

 電車で待ち伏せされるようになり、

 

 家まで後をつけられるようになっていた。

 

 実害はなかったが、とても気持ちが悪かった。

 

 男の人からの好意と言うものについて

 

 偏見がついたのはこのためだろう。

 

 

 

 男性というものは好意を持たれても害意を持たれても非常に面倒くさい。

 

 大学に入る頃にはそういった認識が無意識についていた。

 

 

 

 

 恋愛には憧れていたが、

 

 恋人はいらなかった。

 

 彼氏(というステータス)は欲しかったが、

 

 愛する人はいらなかった。

 

 

 

 

 龍くんと結婚し、伴侶を得た私は、

 

 もう男性から好かれないようにとブクブクと太り始めた。

 

 男性は目に見えて私への態度が変わっていった。

 

 その変わりようが面白かったし、

 

 正直そういう目で見られなくなってほっとした。

 

 私は「女」ではなく「デブ」になっていった。

 

 太った人には太った人に対する偏見や思い込みがあり、

 

 それもまた面白いのだが、それはここでは割愛する。

 

 太っていると外見で判断する人が男女ともに寄ってこなくなるので

 

 これはこれで便利だ。寂しいときもあるけど。

 

 

 

 

 太っていても男性はやはり苦手だった。

 

 男性嫌悪というものは個性のようなもので、

 

 そういう人もいるよね~、ということですむものだと思っていた。

 

 

 

 

 けど、そうじゃなかった。

 

 私には「男の人から愛されると嫌がらせを受ける」という

 

 私の人生に必要のない前提があり、

 

 それにそった現実に辟易していただけだった。

 

 

 

 女も男も関係なく、

 

 友達になれたらいいなってずっと思ってた。

 

 私には尊敬する人がたくさんいるし、

 

 そういう人々から

 

 尊敬されるような人になりたかった。

 

 男だから、女だから、で考えるんじゃなくて、

 

 「その人個人」で捉える関係性になりたかった。

 

 尊敬し、尊敬される、そんな関係をもっともっと作り上げたいのだ。

 

 

 

 そう思った時、

 

 私の中にある「男性嫌悪」は不必要なものだった。

 

 

 私が男性に対して構えれば構えれるほど、

 

 私のことを女として見ざるをえないのだから。

 

 見たくなくても。

 

 

 

 とりあえず、ここまでの記事をまとめてみると

 

 私には「愛されると暴力を受ける」という前提があったのだ。

 

 それに気がついただけの話だ。

 

 

 そして、私は同時に

 

 「暴力を受ける人ではない」

 

 ということも覚えておかなければならない。

 

 

 昔、暴力を受けた。

 

 けれど、私は「暴力を受ける人」ではないのだ。

 

 私は暴力を受ける必要のない人だ。

 

 私は愛されて可愛がれて生きる人間だ。

 

 

 私は暴力が嫌いだ。

 

 だから、拒否しようと思う。

 

 ときには暴力を使って、

 

 私の嫌いな暴力を退けるのだ。

 

 

 矛盾しているように感じるだろうか。

 

 それでも私は私のために生きると決めたのだ。

 

 私の嫌いな暴力を使ってでも、

 

 私を、私の体と心を暴力から守ると決めたのだ。

 

 

 

 ここで、長男のパンチについて改めて考えてみようと思う。

 

 長男のパンチを受ける時、

 

 私はニヤニヤ笑ってはいなかっただろうか。

 

 前提が「愛されているから殴られる」ということなら、

 

 分からなくもないが、気持ちが悪いな。

 

 それに言い方だって、ヒステリーに大げさに怒りだしたり、

 

 優しく「痛いからやめてね」としか言ってなかった気がする。

 

 私の対応の方に問題があるのだ。

 

 私は本当にパンチされるのは嫌なのだ。

 

 

 

 だから、本気で嫌がろうと思う。

 

 パンチしようとする手を握って、

 

 虎くん(長男)の目をじっと見つめて、

 

「痛いからやめて。

 

 嫌だからやめて。」

 

 と、はっきり言おう。

 

 無表情でしっかりと伝えよう。

 

 

 

 怒っているのでなく、

 

 嫌なのだ、とちゃんと伝えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 ところで不思議なのが

 

 「男の人から愛されると嫌なことをされる」という

 

 前提があるにも関わらず、

 

 パートナーである龍くんは全く私にそういうことをしてこないのだ。

 

 なぜだ。

 

 不思議だ。

 

 

 

 前提があったのになぁ。

 

 

 

 ふと思ったのが、私が恋愛的な意味で好きな人だからだろうか。

 

 

 相思相愛になるとその人は私のことを大切にしてくれるのかなぁ。

 

 うーん、でもそうなると

 

 恋愛的に好きになる人を増やせばいいってことになるけど、

 

 それはどうかなぁ。難しいよなぁ。

 

 

 

 

 

 まだまだパートナーシップについての自己理解は続く。