「令和の勝手にシンドバッド」って「何なんw」? ー藤井風さんの「風の視点」ー | くるみうりの『趣味の文芸』

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2匹のお猫、
うり(保護猫 茶白 6歳 ♀)とくるみ(スコティッシュフォールド 三毛 5歳 ♀)との毎日、好きな音楽の事、日々感じた事、好きな本の事などなどを書いてます。タイトルを「くるみうりのブログ」から「くるみうりの『趣味の文芸』」に変更しました。

お猫2匹とともにアラフィフジャンルからから

小説・エッセイ・ポエム ジャンルへ移ってまいりました。

お猫との日常生活をメインに、時折好きな事考えた事をエッセイ?的に書いております。

 

よろしくお願いします。

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 今回は、最近新たに設けたジャンル「音楽の事」での最初の本気投稿です。少し前から藤井風さんの音楽を聴くようになって、聴けば聴くほど彼の音楽の魅力にはまってます。

 

 YouTubeで最初に聴いたのがCM曲になった「Kirari」のMVだったんですけど、その時は「カッコいいし素敵ね~」と思ったもののそれほどハマらなかったんですよね。でも彼が若い頃からアップしてきた岡山の自宅で撮影した弾き語り動画を見始めて、その技術・音楽性の高さとご本人のキャラクターの魅力にすっかり引き込まれてしまいました。で、彼のルックスの良さを活かしたシティポップス路線の演出の「Kirari」もいいのですが、弾き語り動画の飾らない普段着姿の魅力のほうが断然彼らしさにあふれていて、奏でる音楽の素晴らしさと共に人々の心を打っているのだと思います。ひたすら「音楽」が楽しくてしようがないという波動が直球すぎて感動的なんですよね。特に自宅からのライブ配信の動画は、ぼさぼさ頭で高校ジャージにTシャツでキーボードの前で「うんこ座り」しながら超絶技巧で弾き、彼のリズムで彼の心地よさで自在に歌う様子に「天使」を感じてしまいます。同時に私は「千鳥の大悟さん」のようにまったり岡山弁でしゃべったり、滝藤賢一さんのような顔芸をしながら歌う姿に爆笑もしてますが。

 

 そしてファーストアルバム「HELP EVER HURT NEVER」を聴いて完全に彼の音楽にはまりまして、ほぼ毎日聴くようになってます。全体的にリズムのいいポップス、美しく華麗なコード進行とグルーブ感あふれる歌声が魅力だと思います。とにかくアルバム全曲のレベルが高いです。どの曲もそれぞれ個性が際立ってます。音楽性の豊かさに、彼の中の膨大な埋蔵量が感じられます。音的には今時の若者向けより、どちらかと言えば中高年以上のリスナーが若い頃親しんだ音って感じがします。で、聴いていくうちに彼の詩の世界のすごさに気が付いて、「ただ物ではないぞ」とさらに驚いたんですよね。名だたる昭和のアーティストの楽曲に張り合って超えてくるレベルなんですよね。

 

1回戦  「勝手にシンドバッド」 vs 「何なんw」

タイトルにもなりましたが、何回か聴いて「この曲、令和の勝手にシンドバッド」じゃん、と思いました。

「時代はめぐる」的に符合する要素が複数あります。

 

① 冒頭 桑田「らららーらら、らーらーら」、風「はーれー はれー はーれー」で始まる。

② 内容 どちらも若者の日常的な飾らない恋愛風景が描かれている。

③ 進行 サビへ向かう展開が、個人的な感覚だが近さを感じる。

③ サビ  桑田「今何時?そうねだいたいね~」 

風「それは何なん? さきがけてワシは言うたが」

で、歌詞としては新鮮な話し言葉が絶妙にメロディに乗っている。

 色んな意味でサザンの桑田さんは天才ですが、この曲においては、「勝手にシンドバッド」というドリフのパロディソングのタイトルを使った事と、「今何時?そうねだいたいね~」 の革命的なインパクトだったと思います。でも風さんの世界はもっと繊細で豊かな世界が描かれています。

 

「あんたのその歯にはさがった青さ粉に、触れるべきか否かで少し悩んでる。」

 

ですよ。一瞬で心が岡山の小さな町のお好み焼き屋さんにトリップします。1フレーズ毎に彼と彼女の状況と心情が豊かに表現されています。「勝手にシンドバッド」は「胸騒ぎの腰つき」と言うこれまた驚愕のフレーズで終わるのですが、その言葉のチョイスのセンスはすごいのですが、トータル描かれている恋愛世界は「何なんw」のほうが普遍性がある物語として深くて美しいです。この「普遍性のある物語の美しさ」がアルバム全曲に共通しています。 さらにすごいのが、歌詞だけ見ると向こう見ずな彼女と心配性な彼氏の恋愛の歌のように見えるのですが、実は彼の中の「内なる神様」と、自分の物語だと彼は語っているんですね。みんなの中にいる「内なる神様」はメッセージを送っているよ、みんなが幸せになれるように、という深くて大きな世界観が横たわっているんですね。まさに「Oh My God!!!」ですよね!

 

2回戦  「勝手にしやがれ」 vs 「さよならべいべ」

 2回戦も強敵。昭和の大巨匠「阿久悠」先生のレコード大賞受賞作品です。言わずと知れた別れ際の男の気持ちソングですね。これも独断ながら令和の「勝手にしやがれ」は「さよならべいべ」だと認定しました。この2曲を結びつけたのは私の直感だけで、うまく説明できないんですけど。

阿久 「せめて少しはカッコつけさせてくれ 寝たふりしてる間に出て行ってくれ」と強がったり、「帰る気になりゃいつでもおいでよ」と未練たっぷりに「俺の心の広さ」をアピールしているのに対し、

風 「来んと思ったときはすぐに来た 時間ってこんな冷たかったかな」からの「別れはいつか通る道じゃんか だから涙は見せずに さよならべいべ」です。

 

真正面から現実に向き合っているんですよね。ぽっかり胸に大きな穴を開けて。

「最後までカッコ悪いわしじゃったな」

というフレーズもさりげなく、でも存在感が際立ってます。

  

 女の私にすれば、別れ際の「寝たふり」は現実的には「ガキっぽい」です。「泣かないだけいいか」と大目に見ても、「せめて~少しは~」などと言われたら「いや相当なもんだから、あんたのカッコつけは」と内心思ったりします。この「勘違いぶり」が昭和の男の特徴なんですよ。昭和の男性の皆様ここで「勘違い」しないでくださいね~。「悪い」なんて言ってませんよ~。私は沢田研二さんの「勝手にしやがれ」は好ですし~。対する風さんの詩は昭和の男が最初から最後まで「カッコつけたい」とあがくのとは対照的ですね~。「カッコつけちゃった」カッコ悪い自分を直視する視点があるんですよね。「弱さ」を見つめる強さというか。昭和、あるいは昭和的な男性も内心思う所があるのかもしれませんが、たいてい「みんなこの辺で打ち切っている」ラインで足並みをそろえて、その先は思考停止しているような印象を個人的には持っています。藤井さんようなポジションがびしっと決まってる男性の作品って、日本では少ない部類だと思うし、日本のポップスにありがちな「傷と痛みの共有」ばかりに焦点の合ったウェットさがなく、深いけど軽さがあってドライで心地いいんですよね。彼の詩は非常に哲学的なんですよ。結果かっこいいんですよ。

 

3回戦 「ブッダのように私は死んだ」 vs 「死ぬのがいいわ」

 「ブッダのように私は死んだ」も桑田さん作で、坂本冬美さんが歌って話題になった曲ですよね。私は以前、坂本さんの歌唱が素晴らしいのに対して、桑田さんの詩が残念だという記事を書きました。恋の果ての死の世界の淵いる女の気持ちというモチーフはいいと思うんですよ。ただ桑田さんの詩はちょっとやり過ぎ感が目立ち過ぎました。私が一番「やれやれ」と思ったのは最後の「やっぱり私は男を抱くわ」というフレーズなんですよね。殺されてこの悟りで「ブッダのように」はないだろうと思うんですよね。女は「仏」のように男を愛せと?「男の夢」に少々うんざりしたりしたわけですよ。

 

同じように女の愚かさを描いた藤井さんの「死ぬのがいいわ」は、

 

わたしの最後はあなたがいい

あなたとこのままオサラバするよか死ぬのがいいわ

 

なんですが、結構怖い女の執念を歌っていますが、淡々とした歌声と曲調とのバランスも良く、女がこのように描かれても嫌悪感は無いんですよね。紛れもない女性の影の一面だと思います。死ぬまでは思わなくても好きな男に対する女の執着心というのは、私も持っております。良いも悪くもなく、ありのままとして。こういう描き方が秀逸だと思います。男も女も同じ人間として見ている感じがします。

 

 詩に共通しているのは「上手く逃げてない」んですよね、彼の思考が。男側にも女側にも。そして「生と死」からからも。感情的なレベルではなく、高いところから見ているような俯瞰の視点があります。ご家族等育った環境も大きいですが、私の想像ですが、お名前の「風」という意味を自分の中で長年育てた事が一因としてあるのではと思います。そういう意味で素晴らしいお名前だと思います。若くして無常観を掴んでおられる。 「もうええわ」という曲も名曲なんですが、

 

「内なる風に吹かれて もうええわ」

 

というフレーズの「内なる風」が彼の中の内なる神様で、「もうええわ」が心にある無常観を象徴していると感じます。「手放し、ゆるす」心です。そしてアルバムは安らかな「帰ろう」という感動のラストへ向かって行くのですが、その曲順にも物語を感じます。こういう深読みができるといのが優れた表現作品でありハマる要素だと思います。

 

 最後は彼のピアノについて。

 私は自分が全然ピアノ下手なくせに、他人の弾くピアノの音には厳しいところがあって、「いいピアノ」のゾーンが狭いです。「上手いな~」とは思う事は多いですけど、「この音、好き」とは中々思わないです。これはピアノが私の中では「マウントツール」としての記憶があって、どうしても小学校時代のおけいこ競争に負けて脱落した劣等感を刺激するからだと思ってます。なので演奏に混じる「弾けちゃう自分アピール臭」に敏感になっていて、単に音数多く高難度曲を弾きこなしている演奏に感動することは少ないです。

 藤井さんの演奏には、超絶技巧やパワープレイから私が時折感じる不要な匂いが無いです。弾く姿に「プライド」を感じないんですよね。ひたすら「音楽いいなあ」って骨の髄まで音楽が染みついた人の演奏なんですよね。まだ本当にお若いのに既に50年くらい弾いてる人みたいな空気なんですよ。なのでこの方おじいさんになってもこうやって歌って弾いているだろうなあと思うし、その姿を思い浮かべると幸せな気持ちになります。これからも彼の演奏を楽しく聴かせていただきます。私が一番好きで聴いてきたピアニストは矢野顕子さんですが、彼女の息子さんが「風太」さんというお名前です。こじつけっぽいですが何かご縁めいていて、いつか矢野さんと藤井さんのコラボを聴いてみたいですね。

 おまけですが、ぜひ藤井さんにカバーしていただきたい、私が大好きな恋愛シティポップスはこれ。

  今井優子さん 「さよならを言わせて」

名曲です。

 

 長くなりましたが、藤井風さんの音楽に触れた感動をお伝えしたくて書きました。あちこちで「風の時代」の到来が言われておりますが、私にとっては風さんの音楽が「新しい時代が来た」実感を与えてくれました。ファーストアルバムでありながら非常に高い音楽性と完成度、三浦大知さんの「球体」以来の出会いの感動をいただきました。今後に期待する気持ちもありつつも、あくまで風さんらしさ風さんの世界を大切に活動してほしいと願っています。

 なお、タイトル及び本文の「令和の勝手にシンドバッド」「令和の勝手にしやがれ」と言う言葉の意味は、昭和の名曲の世界を藤井さんが継承してると言う意味ではなく、昭和ポップスの金字塔である「勝手にシンドバット」「勝手にしやがれ」の基本設定は、令和の藤井さんの新たな意味づけで「何なんw」「さよならべいべ」という形でさらに美しく花開いたという私の賞賛に由来します。

 

今日もお付き合いいただきありがとうございました。

それではまた。