長い間闘病中だった母が
3月18日14時17分に旅立ちました。
1月頃から主治医からは厳しい話をされてましたが
本日3月25日が母の誕生日で
77歳になる予定だったので
家族みんな誕生日までは
生きられるんじゃないかと思っていたし
19日に家の近くのナーシングホームに転院予定で、
病院だと面会制限あるけど
そのナーシングホームだと
面会は24時間いつでもできて
家族以外でも会えるということで
毎日会える事や
誕生日のお祝いをできるのを
楽しみにしていたので
急すぎて本当ショックでした
母は私が幼い頃から病弱で
2回結核になっていて
一年以上の長期入院をしていたり
別の病気になって手術をしたり
11年前には心不全になり
COPDという肺の病気にもなり、
その頃から
夜寝る時は人工呼吸器をつけて
寝るようになりました。
そして母は
一年前から誤嚥性肺炎に何度かなっていて
昼間も酸素が必要になり
在宅酸素療法もしていました。
今年の1月に誤嚥性肺炎になってからは
水の飲み込みもできなくなり
気管に入ると危ないということで
2ヶ月半もの間、絶飲食でした。
元々、持病のことがあり
母には厳しい水分制限がありました。
ですが、決まった水分の量よりも
「もっと飲みたい」
と言っていた母が
2ヶ月半も水分も全く飲めなくて
苦しい辛い2ヶ月半だったと思います。
でも私には最後まで泣き言を言わず
長年本当によく頑張っていました。
4年前に
私の腎臓癌ステージ4が発覚した時
私はショックで毎日
親の前でも子供の前でも
どこでも泣いていたんですが
ある時余命のような事を言われて
また大号泣していた時に
母に言われました。
「もう泣くのはやめて笑顔でいなさい。
笑顔でいたらきっといいことあるから」
みたいな事を優しく言ってくれました。
その言葉を聞いて私は立ち上がれた。
それまでは正直怖くて
ブログやTwitter(X)で情報を見るのも躊躇してたけど
Twitterで同病の方と話したり
患者会に入れてもらったら
驚く程に皆さんが前向きで明るく治療されてて
私も気持ちを入れ替えることができました。
母は病弱だったけど
私は癌になる前までは
出産以外での入院は一度もした事がなかったし
熱ですら10年に1回くらいしか出さない程に
健康に産んでもらえた。
癌になった事で
随分心配かけた事は申し訳ないと思うけど
母を見送れた事は良かったと思います。
これからもお母さんが頑張っていたように
私もこれから先何があっても頑張るからね。
お母さん、今までありがとう。
そして誕生日おめでとう。