アンパンマンをみると弱い者イジメする子になる | (旧)薄口コラム

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ちょっと乱暴なロジックを、、、


ちっちゃい頃、誰もが一度は見たことがあるアンパンマン。
アンパンマンがバイキンマンをやっつけたり困っている町の人を助けるという、とてもいいお話です。
もちろん僕もちっちゃい頃見てたし、多分大好きだったアニメです。


ただ、アンパンマンって決して「正義の味方」ではないと思うんです。
確かにアンパンマンは困った人を助けてるけれど、それはあくまで目に入った友達が困っている姿を見つけた場合に助けている。
か弱い人が困っている姿を見つけると助けに行くのであって、それは善悪の判断ではありません。
その点であくまでアンパンマンは「弱い者の味方」であって、「正義の味方」ではない。

僕たちは、しばしば「弱い者の味方」という事と「正義の味方」という事を同じ物だと考えがちです。
しかし、必ずしも弱い者を助ける=いい事とは限らない。
貧しくて仕方がなく盗みをしたって人がいたとしたら、それはどんなに立場が弱かったとしても悪いことに変わりはありません。
本来、強い弱いの判断と良い悪いの判断は別でなければならないはずなんです。
アンパンマンを正義の味方だって考えてしまうとこの辺の判断がごっちゃになってしまいます。


仮に正義の味方=弱い者の味方とすると、困っている人を助けることが正しいということになります。
もちろんそれ自体は間違えじゃない。
ただ、そうするとトラブルがあったとして、相手側が問答無用で悪いということになってしまうんですよね。
チカラの強いものと弱いものを比べたとき、圧倒的に前者はマイノリティになりがちです。
そうなってくると、時にマイノリティの主張や言い分に耳を傾けず、一方的に悪いと決めつけてしまうことになりかねないのです。

バイキンマンをみていると、時々かわいそうに思うことがあります。
アンパンマンって、バイキンマンを見つけるとすぐにやっつける体制に入ることがある。
これは、行為でなく存在を悪としています。
バイキンマンが悪いことをしているからやっつけるではなく、バイキンマンがいるからやっつけるというよう感じ。
実際にはバイキンマンは殆どの場合で悪いことをして村人を困らせているので、アンパンマンが理不尽にやっつけるということはないのですが、正義と弱い者を助けることを同じと考えてしまうと、こういった事態に陥りがちです。

たとえば学校でクラスの大多数がAという意見を持っている中で、ひとりがBという意見を出す。
そうするとそれは、中身の良し悪しの前に否定的に捉えられたりします。
特にその意見を言ったのが頭の切れる人(強い人)だった場合はなおさら。
タチが悪いのは、多数派には少数派を排斥しているという自覚がないところ。
みんなで共有している感覚が正しくて、そうでないものは間違えであるという判断を、無自覚のうちにしてしまっているのです。
これって強い弱いの判断と正義と悪の判断をごっちゃにしてしまっているアンパンマンと同じ構造。
本来マイノリティの意見にも、その人なりの正義があり、出てきたアイデアのはずです。
それを聞かずに否定的意見だと排除するのは、すごく危険な行為だと思います。

今、そういうのがすごく多い。
学校の学級会やサークルのミーティングだけでなく、たとえば原発問題などの社会問題にしてもそう。
そういう問題って全て、弱い者の味方=正義の味方みたいな考え方と根っこのところがすごく近い気がします。

お父さんお母さんは、ただただ「アンパンマンってエライね」って子供に言うのではなく、たまには「バイキンマンってなんでこういうことしてるんだろう?」って問いかけてあげてもいいのかなって思います。

アンパンマンって、正義の味方になりたいんじゃなく、ただ困っている人を助けたいだけなんですよね。
やなせさんがアンパンマンマーチに込めた意味を読むと、その辺が伝わってきます。