大学の講義ノート不正販売の撲滅方法を経済学的に考えてみた。 | (旧)薄口コラム

(旧)薄口コラム

※はてなブログに本格移転しています。
http://column-usukuti.hatenadiary.jp/
進撃の巨人の一話で、エレンが泣いたのは何故なのか?
SONYが復活するためにはどういう戦略が必要か?
身近な時事ネタやビジネスなど、さまざまな事に斜めに構えて考察します!


今日時間ないと思ってさっきの記事あげたんですが少しだけ余裕取れたのでちゃんとしたやつを、、、
相も変わらず長くなってしまったので後ほど分割すると思います。



私の通う立命館大学の学生にはテストが近づくとある特定のマンションの入り口に列を作るという奇妙な習性がある。

彼らは一様に鉛筆を手にし、何やら番号が書かれた紙に数字を記入している。

そして入り口の小窓でその紙を渡すと、替わりに小さな引換券を渡されマンションへと入っていく。

程なくして出てきた彼らの手にはB4サイズの袋が握られている。

彼らは袋と満面の笑みを携えてマンションを後にする。


そう、ここでは授業の講義ノートが販売されているのである。
授業に出てない人、出ていてもノートをとってない人、こんな人たちを救おうというどっかの優しい人が始めた講義ノート転売ビジネスだ。

商品の名は「Aノート」。
単位のAと、良いという意味の「えぇ」が掛かっているらしい。

しかもこのノートは何年か分の過去問付き。
それで一冊1000円にみたないのだから買わないはずがない。

さて、そんなノートだが、以前から学校はそうしたノートの購入を問題視している。

そんなものに頼らず真面目に出席者しろだの著作権云々などと学生に言っているが、業者に対しては何もできていないのが現状だ。

利益を被っている学生が、そんな事をいわれて何も得もしないのにノートを使わなくなるはずがない。

合理的な人間を想定した経済学の教授ですらAノートの事になると非合理的な理論に基づいた説法をつらつらと並べるわけである。
誠に奇妙な話だ。


私はまがいなりにも経済学部で4年間の勉強をしてきた。
そこで得た知識を踏まえて、教授たちがなぜか行わない、Aノートを経済学的に撲滅するための仮説を立ててみたいと思う。




まず利益または被害を被っている行動主体をあげてみる。

1.Aノートによって単位が取りやすくなった学生
2.実収入を得る販売業者
3.被害を受けている大学側
の三主体が想定される。

現状は学生と販売業者が利益を受け、学校が損をしているという状況だ。
こうした中、ノートの販売を中止にしようとするのであれば幾つか方法は想定されるが、一番効果的な方法は学生の利益を増やす事によって、販売業者の損益を誘発させることだろう。

こうすることにより、販売は中止されると予想できる。

つまり、
学生▶利益
業者▶利益
学校▶損害
の状態から
学生▶利益増
業者▶損益
学校▶利害ゼロ
にするのが賢い方法だと考える。


こうするためにはどの様な政策を取ればよいのか?
学生の利害について考える。

学生はお金と引き換えにノート(単位)を買ってる。
決して安くは無い値段だ。
ここを上手くつけば学生を動かすことができるのではないのだろうか。






こんな考えの元、私が提案したいのは、学校による各ノートの一括購入及びノートをPDF化したもののフリーダウンロードである。

こうすることで学生はお金を払わずにノートが手に入る訳で、業者からは買わなくなり、関節的に業者だけが損失を出すこととなる。


人によってはノートを使わせないことが目的であり、それでは意味がないというかもしれない。

だが果たしてそうだろうか。

無料で学校がAノートを配ったとしたら、全ての学生は安く手に入るダウンロードへと向かうはずだ。

するとその年だけはノート利用者が増えるかもしれないが、翌年からは業者が販売しなくなりノートそのものがなくなり、利用できなくなる。

動的分析をしたらこのやり方が効果的であることがわかる。

大学がノートの一括購入を行うのも一度でいい。
業者にとっての収入が得られる時期は年に二度だけである。
そのため一回の赤字が与える影響は計り知れない。
一度でもそうした措置をとっておけば、業者にとって確実に次は大学がそうした措置を取らないという確証が得られない限り、販売に踏み出すことはできなくなるのである。


また、業者が大学を相手取り業務妨害、著作権侵害を訴える可能性が考えられるが、どちらも業者側にとっても言えることであるため、裁判になったとして、大学になんの痛みもない。


最後に学生の観点を少し見てみたい。
学生の中には、元々Aノートなどなくとも十分に単位を取れる学生も多くいる。
こうした学生にとって、Aノートのせいで、本来単位が悪いはずであった学生がいい単位を取ることは、相対的に不利益を被っていると考えることができる。
彼らはAノートによって負の外部性が与えられている。

仮にノートがフリーダウンロードとなれば、彼らもノートを手に入れることができ、全員のハードルが等しく上がる事となる。
結果として全員のハードルが上がるのであれば、彼らにとっての負の外部性は内部化されることになる。

これらの理由からも学校によるノートの一括購入及びノートのフリーダウンロード化は有効であると考える。


一部の賢明なAノートユーザーは自分たちが学校からノートをフリーダウンロードすることによって業者が販売を辞める可能性があることに気づくかもしれない。

だが、だからといってその賢明な人たちがお金を出してわざわざAノートを買うとはまず考えられないだろう。

もしAノート存続のために学校からフリーで手に入れるのではなく業者から買う様にするとなると、大多数の学生が業者にわざわざお金を出す状態を作り出さなければならない。

他の人が一人でも無料で手に入れている限り、必ず他のものもそちらに移っていく。

自分だけが損をして、その上業者が存続する可能性も低くなるのであれば、一体だれがそんな役をかってでるのだろう。

少なくともAノートが無くなる可能性に気づいた聡明な彼らはそんな役をかわない。
なぜなら彼らは聡明なのだから。

そこには、一種の囚人のジレンマのような心理が働く。

結局足並みを揃える手だてがない以上、学生側がAノートを存続させるためにあえてお金を払う可能性は皆無であると言えるだろう。


以上を踏まえて、結論としては学校がAノートを一括購入して、無料で配布するという措置がAノート撲滅のための有用な手段であると考える。


そうすればノート購入のためにできた長蛇の列の解消にもつながるかもしれない。

まあこんな話を今まで再三ノートの恩恵に預かってきた私がしたところで、なんの説得力も持ち得ないのだが...