前回の続き。
実家は自営業でした。
小さい頃から私は両親が言い争う声を聞いて、夜中に起きてしまう子どもだった。
幼稚園の頃、お母さんの隣で腕を巻きつけて離れないように眠るのに、父の怒鳴り声で夜中に起きた時には、母は隣にいなかった。夜中まで、両親は仕事をしていたので、父の機嫌が悪くなり母が怒鳴られる。
母が泣いてるんじゃないか?
私は心配でいつもそろりそろりとベッドを抜け出して仕事場を覗きに行っていた。
「起きちゃった」とわざと起きて、喧嘩を止めていた。
母が泣いてる事が度々あって、私はとても不安だった。
母はよく実家に遊びに行った。
私もついて行く事が多かった。そこで母は身内に父の事を相談し、よく泣いていた。
それを見るのも辛かった。
私は俗に言う良い子だった。
何も言わない事が良い事なのだと思っていた。学校でいじめられても母に心配をかけたくないから言わなかった。
私にとって母は素晴らしい存在だった。
いつも明るくて、子ども達を優先させた。父からは怒鳴られ、自分のことを我慢して、お母さんは幸せなのだろうか?とずっと思っていた。
父の怒鳴り声は私が発狂した小学校4年生くらいまで続いた。
ある晩、限界を迎えた私は「もう喧嘩しないでよーー!!」と両親の前で狂ったようにわんわん泣いた。
ずっとずっと、母がだいすきだった。
母のようなお母さんになりたいと思っていた。
だけど、自分の娘がちょうど高学年になって、思春期に入った頃、小さな自分がフラッシュバックするようになった。
気づかれないように、そっと階段を降りて、母が泣いてないか見に行く。そんな自分の小さい背中を思い出すようになった。
ずっと封印してたものが溢れ出すように、その時の感情が押し寄せてきた。
そこから愛と憎しみが同居するようになった。
お母さんは、なぜ私の話を聞いてくれなかったのか?言わなかったんじゃない、お母さんが心配で何も言えなかったのに。
私も娘のように、本当は何でも話をしたかった。
どうして安心して眠らせてくれなかったのか?
娘達がスヤスヤ寝てるのを見るたびに、小さな私が反抗してきた。
両親だって生活するために、大変だったのだ。頭では分かっている。
だけど、いまだに引きずっている。
多分わたしはアダルトチルドレンと思う。
親の喧嘩が子どもに及ぼす影響は計り知れない。
私はそれを反面教師にして、子ども達の前で喧嘩したのは15年の結婚生活で1度だけ。
娘達の話は聞くようにしているし、寝る前にはラブを伝えるようにしている。
それ以外で不満に思う事はあるかもしれないけどね。。
この感情をどうしたら良いものか。最近もフラッシュバックが激しくてとても悩んでいる。
でも、もう戻れない過去。楽しい事や幸せな時間もたくさんあった。何より愛してくれていたと分かっている。
母は完璧ではなかったのだ。
素晴らしい母でもなかった。
1人の悩めるお母さんだったんだ。
私だっておなじ。
孫達に囲まれて幸せそうな両親。
私がこんな事で悩んでいると知らずに
幸せな老後を送ってほしい。
やっぱり
私は昔から母の幸せを願っている。