ずっとブログお休みしてました。


久しぶりの再開です。



くーちゃんの新学期が始まり、クラスの子からの言葉の暴力みたいなものがあったり、その他たくさんの出来事があり、校長先生とお話したりと忙しくしてました。

この話はまた後程ブログに書く予定です。


父は救急車で運ばれた日から今も入院してます。


入院生活二ヶ月半。


今回父が食事が摂れなくなった原因は、夏の暑い時期の7月28日に父が冷房もつけず車に乗り、熱中症になったのが原因だろうと母と話しています。


病院の先生も、「この状態になったのは、きっと何か大きなきっかけがあったはず」と言われてました。


母はすぐに病院に連れて行けばよかった。軽い熱中症かな、と思い、父の身体を冷やし、家で様子をみていたからいけなかったのかもと自分を責めています。


結局、その熱中症の後から食事がだんだん入らなくなり、体力も意識も低下して、救急車を呼び、入院になりました。


認知症がある、と言うのと、コロナ禍で自宅近くの病院はどこも受け入れ拒否。

結局、高速を使って1時間弱の場所にある病院が受けいれてくれました。


そこでは点滴治療をし、食事も食べれる時は食べてくれました。


その頃は起き上がり、寝返りも出来、尿意訴えもあり、会話も全くできない訳ではなく、家族ならば言いたいことは分かる程度は出来ていました。

自分のペースで、を大切にしていた父なので、今したくない事など(オムツ交換など)は抵抗していたようです。


認知症もあり、目が離せない状態だったので、看護師が忙しい時間帯は特別に付き添い可能だったので、そこで父とゆっくり過ごせたので母、妹、私には大切な時間になりました。


救急車で入院した病院は長くはいれないので、もともとのかかりつけの病院に転院しました。


今もその病院に入院していますが、面会はweb面会のみなので、直接は会えませんが、画面上だけでも様子が伝わるので安心します。


今は口からの摂取は無理、とのことで、IVHをしています。


面会で見る父はとても穏やかです。


今までがよほど身体がきつかったんだな、と分かるくらい表情が違います。


この前の面会では、私の娘、父にとっては初孫の名前を口にしました。

大学生になったことをきっと覚えていたんだと思います。お金がかかるから(多分学費です)、と話してました。


今の状態は、本来父の望んだ老後ではありません。

だけど、誰しもが病気になりうるし、事故に遭うこともあり、皆が幸せな老後が送れるとは限りませんが、父にはしたい事がたくさんあったので、少しでも叶えることが出来てたらなぁと悔しいです。


レビー小体型認知症は本当にこわい病気だと、つくづく感じます。

父は診断されてから約4年自宅で過ごしましたが、幻視と常に戦ってたので、母には会えないし、知らない人は常にいるし、とても不安だったと思います。


もう父とは普通に会話することは出来ず、それを考えると悲しくなります。