ニコニコ+♪

ニコニコ+♪

ピグ・ピコ・ごはん・イラスト・見て楽しくなるような日記

久しぶりにブログを書くことになりました

 

R6.3.14 20:34 S子こと、私の仕事の相棒でもあった「せっちゃん」が亡くなりました

 

彼女にとっては2020年からが激動で、離婚、ガンときつい出来事が続きました

 

2020年3月のある日、夕方電話がかかってきて「くるみさん・・・私離婚したにぃ」と。

 

せっちゃんの家族は3人家族でホントに仲の良い家族だったんですが、子供が中2になった時にダンナが友達に誘われたからと「東京で単身赴任で働きたい」と言い出しせっちゃんと子供を置いて東京に行ってしまいました

 

私たちにはわからないけれどやっぱり色々あったんだと思いますが、聞いた私としては「え?子供が多感な時期だし、これから受験になるのに今行く?」って感じでした

案の定、子供はちょっと不安定になって成績は下がり、第一志望の高校は受験できず第2希望のところに入ったものの途中で登校拒否になったりいろいろありはしましたが一浪して無事大学にも進学しました

 

でも、一浪中の「予備校の費用はダンナがもち、生活費は私が持つ。あまり子供には関わりたくない、こっちが具合悪くなる」と極端に子供を嫌がりだし「なんか変だな~」と思っていましたが子供が大学合格と同時期に離婚となったようでした

 

「まぁ、離婚と聞いてもビックリはせんわ」と言ったのですがそれから1か月くらいして婦人科に検査に行くと「ここでは診れないので紹介状書きます」と言われて「明日病院にいく」と。

帰り際、「一人で行くの?一緒にいってやろうか?」と言うと「なんで?検査するだけで?一人でいいわ」と

「いや、誰か一緒に行かんの?お姉ちゃん一緒に行ってもらった方がいいんじゃね?ダメなら私が行こうか?」と言うと大笑いで「え~?なんで??大丈夫やわ」とのこと

 

で、翌日の夕方せっちゃんが泣きながら電話をかけてきて「私、ガンやった」と

「だから一緒に行ってやろうか?って言ったやん!!」と言うと「まさかこんなことになると思わんやん」と

「ここで診れんから大きい病院に行ってって言われた時点である程度予想はつくやろ!」

「だって、私健康だけがとりえやったにから・・・」と泣いてるせっちゃんに「お前はあほか!」とばかりに追い打ちをかける私

 

手術はできるとのことだったので「じゃあ、大丈夫や!元気になる!大丈夫」と励ましました

離婚しても旦那の持ち家に住んでいたので「そんなんいろんな意味で悪いで」と周りの意見も聞いて住みやすい場所のマンションに引っ越しました

 

そして無事手術を終えましたが、少しリンパにもかかっていたとのこと

その後、2か所転移が見つかり1つは心臓のところなので何もできないとのことで抗がん剤をやることになりましたが何度目かのクールでアナフィラキシーショックがおこり全クールできないまま中止になり、放射線治療に切り替わったものの心臓の近くはできないと心配事をかかえたままの治療は終わりました

 

一昨年の秋くらいに、腫瘍のせいでおしっこがでなくなり3か月周期のステント治療で普通に生活できるようになりました

去年の春「新婚旅行で行ったパリにまた行ってみたい。観光はしなくていいので暮らすみたいに行ってみたい」と言い「弟一緒に行く?」と訊くと「弟は飛行機がダメ」「じゃあ子供と行けば?」「訊いてみたけど行けそうにない」と言うことで7月に一人でツアー予約していましたが出発1週間前に骨折でキャンセル

 

せっちゃん夫婦は新婚旅行でフランスワールドカップが観たいとツアー予約していました。

出発前日TVで「日本からのチケットがほとんどとれていないことが発覚しました」とニュースで見た私はすぐに電話

「取れてないっていってるけど大丈夫?」と聞くと「えぇ??ちょっと電話してみる!」と言い旅行社に電話するも繋がらず・・・

結局一番見たかった試合は見れずに違うチームの試合を見ることになったそうです

「やっぱりパリとは縁がないんやわ」とガッカリ

 

8月、甥と韓国旅行に行くはずが直前にコロナにかかりキャンセル

 

10月は姉弟3人でハワイ旅行を計画し、「今度こそキャンセル保険入っとく!」と

「誰と行くん?弟は行く?」「うん、お姉ちゃんと弟と行く」「そっか、じゃあ今回は行けるわ」

今回は無事に行けて「すごく楽しかった」と

 

そして前から医者に勧められていたホスピスを見学

そこで医師と面談で「ごはんは食べられるか?痛み止めは飲んでいるか?」など聞かれましたが「ごはんも食べられるし、痛み止めのロキソニンで間に合ってる」ことを伝えると医者が「何しに来たの?」みたいに首をかしげ、何より中にいる患者さんを見たせっちゃんは「私、まだホスピスに入るほどじゃないな」と「なんかちょっとだけ元気がでた」とのこと

 

そして12月「なんか鎖骨のあたりのリンパが腫れてきた。血液検査で貧血もひどくて、カルシウムが高くなってるから入院レベルと言われたけど入院はしたくない。でも最近かなりキツクなってきたから年明け仕事がいったん落ち着いたら休んでいいかな?」と言い出し1月10日からお休みに入りました。

 

1月18日、午後から二人でせっちゃんのマンションでモスバーガーを食べたのが、元気なせっちゃんを見たのが最後

 

翌週あたりからぐんぐん悪くなったようで2月初めには自宅で酸素吸入をしながら車いすで移動、介護ベッドに寝る生活に代わっていきました。

 

「くるみさん・・・私、もう働けんわぁ。事務長と退職日を決めて欲しい」と電話口で泣く彼女にたまらず私も号泣

 

事務長に相談し「まだ休職期間はあるから時期をみて自分で決めさせた方がいい」と言うことになりました

理事からは「輸血をすぐしてもらった方がいい。輸血すると随分違うんや。彼女は本当に命を諦めるの?!」と言われすぐに電話で伝えました

彼女も輸血をする気が起きていましたが医師からは「できなくはないけど・・・」と

ただ、既に血管がかなり細くなっているのでそれなりにリスクがあると訊かされ諦めたとのことでした(お姉さん情報)

 

せっちゃんが休んでから毎日「今日はどうかい?」と職場での出来事をラインで送っていましたが途中から「体調良いわけないから体調を訊くのはやめよう」と思い、毎日職場での出来事だけを送るようにしていました

既読になったりならなかったり、返信あったりなかったり・・・

 

でも3月に入り、返信があっても文字の打ち間違いが増えなんだかわからない・・・

もしかして薬が強くなって朦朧状態なのでは??と思っていると「ラインの文字小さくしたら打てんことなった」と返信がきてちょっと安心

 

でも既読になるのが遅くなりだしたので「もしかして薬が強くてライン返すのが辛いんじゃない?もしそうなら「あ」を、文字が小さくて打てないのなら「た」を入れて」と送ると「ゆっくり打てば大丈夫」と返信がありました

 

でも翌日も、その翌日も、その翌日も既読にならずやっぱり気になったのでお姉さんに訊いてみようと「こんばんは」と送ってもお姉さんからも既読にならず

 

すると2時間後くらいにお姉さんから電話があり「先ほど8時34分に亡くなりました」と

お姉さんからは「せっちゃんから誰にも亡くなったこと言わないで。でもくるみさんにだけは伝えて」と言われたと

お姉さんは「こんなこと言ったら顰蹙なんだろうけどちょっとホッとしました」と

 

自分の病気の状態を誰にも知られたくなかったせっちゃんは私には状態を伝えてくれていましたが「誰にも言わんでな」と必ず言っていて、私も事務長と理事にしか言っていませんでした。

いろんな人から「せっちゃんどう?」と訊かれても「う~ん。良かったり悪かったりみたいやわ~」くらいしかこたえることができませんでしたが亡くなってからも誰にも知られたくないとは・・・

 

でも、そういうわけにはいかないので理事、事務長、事務室内だけには伝え「本人の希望でほかの部所には言わないで」とお願いしました。

 

大したものです・・・・1週間たっても全く情報は漏れてませんでした

 

葬儀は「家族だけでやるので何もしないでください、四十九日を過ぎてから良かったらお参りに来てください」とのことでしたが私とK代さんとMさんだけは30年来の仲間だからとのことで参列を許されました

可愛い遺影の前に綺麗にお化粧をしてもらったせっちゃんが棺のなかで眠っていました・・・

 

弟さんが「くるみさん?」とあいさつに来てくれましたが、この弟さんが本当に優しい人で独身なのですが仕事もアパートも隣町なのに雨の日も風の日も毎日せっちゃんのマンションまで来て「女性だからリンパで足が腫れたら可哀そう」と毎日毎日マッサージをしてくれてたと言う本当に優しい弟さん

「ヒロくん?」と言うなり「あなたのような弟は本当におらんよ、本当にお疲れ様」と号泣する私

 

お姉さんに闘病中の写真、酸素吸入をしている姿や虚ろな顔、浮腫がきて内出血の起きた足の写真を見せてもらいましたが、家で看取るというのは言葉は悪いけれど家族にとっては本当に残酷だなと思いました、あまりに可哀そうな姿

あんなに元気だったのにどんどん弱っていく姿を毎日見続けないといけない地獄

 

せっちゃんは幸せだっただろうと思うけれど家族はきっとボロボロだろうと思いました

「こんなこと言ったら顰蹙なんだろうけどちょっとホッとしました」と言ったお姉さんの言葉を思い出しまた涙がでました

 

何をしても涙が止まらないため遺影の元写真をデータで送ってもらい携帯の待ち受けにすることにしました

お気に入りの写真を待ち受けにしても次第に慣れてくるので慣れるためにはこれしかないと思いました。

なので携帯を見る時可愛く笑ってるせっちゃんの顔が一瞬ふわっと出てきて「ふっ」と笑ってしまいます

 

そして昨日、お姉さんとせっちゃんの子供さんが挨拶にきて「もう言ってもらっても良いから」と許可をもらいました

 

死亡退職なんて今までほとんどいなかったので私にとっては初めての経験でやったことない仕事をいろいろやらないといけなくて結構大変

「やっぱり先に退職させとくべきでしたね」と謝るお姉さん

 

「いろいろ手のかかる人だったけれど最後の最後まで手をかけさせやがったな」って感じ

 

せっちゃんは天然で私にとっては間の抜けた妹みたいな感じでとても可愛かったけれど、「もう私の前をスタスタ歩いて帰る姿も見れないんだな」とか「なんかあれば一番に教えてあげてた話し相手はもういないんだな」と思うと涙がでます

 

せっちゃん、お疲れさまでした

一緒に仕事ができて楽しかったよ

一番ストレスな年末調整まで手伝ってもらってありがとう

せっちゃんには感謝しかないです、本当にありがとう

 

またいつか会おうね!

ばいばい

                          合掌