みなさんお元気ですか? 「出雲のガキおやじ くまもん」です!
「なんでもJOCKEY!」のお時間となりました。
今日から7月です。おつきあいよろしくお願いします。

7月最初の「なんでもJOCKEY!」本日は景気づけに「夏らしく・盛り上がる曲」をご紹介します!

2014年7月1日(火)「今日の一曲」
「夏はDON'T WORRY」(JADOES)

本日はなつかしバンド「JADOES」(ジャドーズ)をご紹介いたします。
JADOESは藤沢秀樹(ヴォーカル・ベース)・斎藤謙策(パーカッション)・島村幸男(ドラムス)・平間あきひこ(キーボード)・伝田一正(ギター)以上5名がメンバーです。

写真:左より 島村・藤沢・平間・伝田・斎藤
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【実は先に「お笑い」で売れました】
元々は獨協大学と立教大学の学生のバンドでした。
ライブのMCでやったモノマネ芸が受けて、1986年のレコードデビュー以前からオールナイトフジや冗談画報などでお笑い芸人としても一世を風靡した前史があります。
得意な芸は。「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃんッ!」というブリッジのフレーズで繋ぐ一発芸。荒井注、遠藤周作、長嶋茂雄、紙を破る音のマネなどを見せました。小森のおばちゃまのモノマネで歌うチャカ・カーンもレパートリーでした。
この当時交友を持っていたお笑い仲間には、かけ出し時代のウッチャンナンチャンなどがおり、彼らとは特に親しくて「お笑い×音楽&お笑い」という対バン型式でライブをやったり、ウッチャンナンチャンがテレビ番組などでレギュラーを持つようになると、JADOESもたびたびゲスト出演してました。

【そして「音楽バンド」でのデビュー】
お笑い芸人グループとして注目を浴びていた彼らは、1985年のある日、音楽活動でのデビューをしたいばかりに、彼らが音楽面で尊敬してやまなかった角松敏生の自宅の郵便受けに直接デモテープとプロフィール表を投函。それには「今度、×××というテレビ番組に出ますんで観て下さい」とも書かれてありました。突拍子もない彼らの存在に角松敏生は度肝を抜かれたが、これに応えてジャドーズのプロデュースを請け負い、1986年11月、シングル「FRIDAY NIGHT」とアルバム『IT'S FRIDAY』で晴れて音楽バンドとしてデビューを果たしました。
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「セールス面」ではいまひとつでしたが、キャリアを重ねて良質のサウンドを作り出せるようにはなっていました。
1990年あたりからは角松プロデュースから卒業、セルフプロデュース路線へ進みます。

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その後もセールスがなかなか伸びず、平間・島村が脱退3人での活動・・・。
やがて再び「お笑い」へシフトします。
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【その後の「JADOES」】
正式には解散してませんが、メンバーはそれぞれのソロ活動で活躍してます。
●藤沢秀樹:のちの「ダンス☆マン」として活躍
  1998年にカール・カールトンの「She's A Bad Mama Jama」をカヴァーした「背の高い やつはジャマ」でCDデビュー。
1999年にモーニング娘。の大ヒット曲「LOVEマシーン」の編曲を手がけたことでアレンジャーとして注目を浴びる。以降、多くのアーティストへの楽曲提供も行っている。2000年にモーニング娘。の「恋のダンスサイト」と郷ひろみの「なかったコトにして」で第42回日本レコード大賞編曲賞を受賞し、郷ひろみの応援ゲストとして第51回NHK紅白歌合戦に出場した。
●伝田一正:「ダンス☆マン」のバックバンド「ザ・バンドマン」のギタリスト「ジャンプマン」で活躍
●斎藤謙策:「ダンス☆マン」のバックバンド「ザ・バンドマン」のパーカッション「ステージチャッカマン」で活躍
●平間あきひこ:その後2人組ユニット「NUTS」を結成(1997年解散)、音楽プロデューサー・アニメソングの作曲者として活躍。キテレツ大百科の「お料理行進曲」など手がける。
●島村幸男:ラジオのDJ・ナレーターで活躍
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本日はマイナーでしたが好きな和製ファンクバンド「JADOES」を紹介しました。
皆様も暑い夏を楽しく乗り切っていきましょう!
本日も最後までおつきあいいただき誠にありがとうございます。

「夏はDON'T WORRY」(JADOES)
藤沢秀樹・斎藤謙策:作詞 藤沢秀樹:作曲 JADOES:編曲
1991年5月21日発売(日本コロムビア)