みなさんお元気ですか? 自称・音楽評論家「出雲のガキおやじ くまもん」です!


「ビーイング系」音楽ブームについて語る④

~1990年代中盤「ビーイング系ブーム」以降を語る~


●forever you(ZARD)

 1995年3月10日リリース

 「just believe in love」他、全10曲収録のアルバム


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【前回の記事~Part③~のおさらい】

●1990年代前半、とりわけ1992~1993年の「ビーイング系」音楽の勢いは最大の絶頂時期でありました。

 この頃はビーイング系アーティストが新曲を発表するたびに「ヒット間違いなし」の状況であり、各種音楽チャートの上位を独占する状況となりました。

特に1993年はバブル崩壊後の不況のさなか、TUBE・B'z・ZARD・WANDS・大黒摩季・DEEN・T-BOLANを中心に450億円前後を売上げを記録、空前の「ビーイングブーム」となりました。


【「ビーイングブーム」の影響を受けて・・・】

●「ビーイングブーム」は、「ビーイング外部」のアーティストまで影響を及ぼしました。

西城秀樹

テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」エンディング主題歌「走れ正直者」以降、一時期であるがビーイング傘下のレコード会社「BMGルームス」(D.O.G. HOUSEレーベル)に所属していました。(西城自身はもともとは当時のBMGビクターの所属で、実質「レーベル異動」でした。)


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WINK

1993年リリース「咲き誇れ愛しさよ」ではビーイング作家陣を迎えての制作。

(大黒摩季:作詞、織田哲郎:作曲、葉山たけし:編曲)

「ビーイングブーム」は外部まで大きく影響を及ぼした。


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Key West Club(中谷美紀&東恵子)

1991年デビュー、「ビーイング」の「アイドル部門」といえるべき存在。

(実際は「スターダストプロモーション」所属~現在「ももクロ」が所属)

中谷のソロ活動の充実により、ユニットは自然消滅。

音楽制作は「ビーイング」が全面的に行なっていました。


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杉本彩&逸見政孝(夜も一生けんめい‘S)

1990年代初頭のNTV系列人気番組「夜も一生けんめい」から生まれたヒット曲。この番組から生まれた曲は「ビーイング」が大きく関与していました。

(逸見さんは当時人気のフリーアナ、人気絶頂の1993年末に逝去)

のちの「カラオケブーム」のけん引役となる「夜もヒッパレ一生けんめい」→「THE夜もヒッパレ」につながる。


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【空前の「ビーイングブーム」のその後】

●「ビーイング絶頂期」の1993年がおわり、翌年の1994年「ビーイング」に大きな変化が訪れます。

1994年春以降、ビーイング系のCD(アルバム)の制作クレジットから代表者の長戸大幸の文字が消えます。

従来は必ず

Executive Producer:DAIKOH NAGATO

とクレジットされていましたが、突如なくなりました。


ビーイングの首領(代表者)長戸大幸は耳の持病悪化を理由に音楽プロデューサーを一旦、引退しました。

ビーイングの実質的な(表の)代表者は中島正雄(のちに「日本コロムビア」の代表へ)に代わり、ビーイング自体のクレジット表記もBeing⇒BMFと変化をしております。

●1992~1993年にデビューした「ビーイング系」の新人グループもその後が続かず、新曲のリリースがないなど「一過性」のブームで終わっております。

その一方で、B`z・TUBE・ZARD・WANDS・DEEN・大黒摩季などのアーティストは引き続きシングル・アルバムを次々とリリースを行い、ヒットを連発してます。


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1995年には、流通販売も自社で行う目的でJ-DISCを設立。これにより制作から、発売・販売・宣伝全てをビーイング自前で行う仕組みが完成しました。


●1994年以降、音楽業界の流れが「ビーイング系」から、「音楽プロデューサーブーム」

すなわち3人のTKプロデュースへのブームへ移行するようになります。

3人のTK=小室哲哉(TRF・安室奈美恵など)

       小林武史(Mr.Children・MY LITTLE LOVERなど)

       角松敏生(VOCALAND・KONTA・米光美保など)

 偶然ですかイニシャルがTKと一致しますね・・・。


さて次回のPart・5では最終回を迎えます。

最終回では「現在のビーイング系」~本拠が関西に移転しての活動~を中心に書いていきたいと思います。


本日も最後までご愛読いただき誠にありがとうございます。