みなさんこんばんは「久留米のガキおやじ くまもん」です。

「なつかしTV」の特集ウィーク最後を飾る番組は・・・

「スター誕生!」を紹介していきたいと思います!


「スター誕生!」は1971年10月3日~1983年9月25日まで、NTV系列で毎週日曜日午前11:00~より放送の視聴者参加型の歌手の公開オーディション番組です。(略称「スタ誕!」)

「スター誕生!」の歴代司会者

①萩本欽一(スタート~1980年4月)

②岩谷隆広(谷隼人)・タモリ(1980年4月~1981年4月)

③坂本九・石野真子(1981年4月~1982年1月)

④横山やすし・西川きよし(1982年1月~番組終了)

私自身、全ての司会者の進行振りをリアルタイムでTV視聴していました。

やはり「スタ誕!」の司会といえば「欽ちゃん」ですね・・・。

「欽ちゃん」時代の様子を中心にプレイバックしていきましょう!


【番組の内容は・・・】

●この番組の企画者は「スタ誕!」の審査委員長で売れっ子作詞家の阿久悠(あくゆう)さんで、番組のタイトルの名付け親は番組のチーフプロデューサーの池田文雄氏であります。

明日のスターを夢見る人のための「正統派オーディション番組」であり、毎週厳しい予選を勝ち抜いてきた5~7名の挑戦者が歌で実力を競う番組でありました。本戦で合格後、一定の期間のレッスンを経て「決戦大会」に出場、スカウトマンからの指名があれば、晴れて「芸能界へのデビュー」を踏み出すことになる。


【欽ちゃん時代の番組を振り返ると・・・】

欽ちゃん時代の番組の画像(音声のみです!)

http://www.youtube.com/watch?v=SWpro_0ZdUM

欽ちゃんとみんなのやり取りが楽しいですね・・・。


日曜日の午前11時の時報とともに「番組のスタート!」

 オープニングは「ザ・バーズゼブン」(日本テレビ音楽学院のレッスン生の精鋭メンバー)によるステージ上の踊りからスタート!

 (踊りの間に「スポンサー紹介」のアナウンス)

そして「欽ちゃん」の登場!

 あいさつのあと審査員紹介、そしてオーディションのスタート!

オーディション本選は1回当たり5~7人登場、スタンドマイクの前で1コーラスずつ歌唱する。

●出場者の歌唱のあと、審査員のコメントの時間

 この番組の審査員はかなり「辛口」なコメントでした!

 レギュラー審査員

   阿久悠(作詞家・審査委員長)、都倉俊一(作曲家)、

   松田敏江(声楽家)、森田公一(歌手・作曲家)、

   中村泰士(作曲家)、三木たかし(作曲家) ほか

 阿久の「あなたの歌ははっきり言って0点です。」や都倉の「神経質そうな動作をしながらのコメントも有名でが、子ども心ながら一番怖かったのは松田敏江のコメントの時でした。あれで出演者が落胆・泣き出す人もたくさんいました。

中森明菜が2度目の本選出場の際、あれこれ難癖をつけていた松田に抗議をしたのは有名な話である。

●出場者によるオーディションがひととおり済んだら、欽ちゃんと番組出演者による「ゲーム・コント」のコーナーがありました。

 出場者の緊張をほぐすための多彩な遊びを「欽ちゃんとあそぼう」コーナーで行なってました。

 「こっちむいてホイ!」「ドビン・チャビン・ハゲチャビン」「フルーツバスケット」「古今東西」「あなたにお名前差し上げます」等の数多くのゲームが生まれました。

 このコーナーの主なレギュラー出演者

 黒部幸英(クロベエ)、西山浩司(のちのイモ欽トリオ「ワルオ」、斉藤清六

●ゲストの歌のコーナー

 特に「スタ誕!」出身の新人歌手の「プロモーションの場」にもなったコーナーでありました。

 デビュー曲発売一週目前から四週に亘りタイトルと歌手名のオブジェを客席に設けステージのセットとして使い、新人歌手を大々的にアピールしていた。最終週はメインステージに 移り、生バンドの前で歌を披露した。後年は歌手サイドの意向により様々な演出がありました。

 私自身、柏原よしえのデビュー曲「NO.1」の時の印象が強く残ってます。

●そして、運命の「結果発表」!

得点は会場500点、プロは1人につき100点で計500点の1000点満点で、規定の点数に達すれば合格。その点数は7人時250点、5人時は300点。規定の300点時代の頃、305点でしかもギリギリラインで合格した挑戦者も多数いました。

 最初に司会者が「まずは、会場の500点から、どうぞっ!!」と言い、会場から手元のスイッチで“投票”。まれに会場の審査段階で合格者が出ることもある。

石野真子が会場ですでに280点獲得して、この段階で実際に合格(最終は530点)していた。

続いて、司会者が「さあ、審査員の先生方の500点が伸びます!どうぞっ!!」と言い、ドラムロールの音が鳴り続けながらプロの点数が加算される。

 点数の低い順番から点数が表示され、点数表示が「赤色」に変わると合格点到達となり、赤のパトライトが回転するとともに「合格ファンファーレ」が演奏される。

合格者には日本テレビ音楽学院の入学案内書と副賞の奨学金が贈られ、紺色のブレザーコートが羽織られる。最後はバンザイをして締めくくり、エンディングとなった。

全員失格だった場合はエンディングの際、萩本時代は「バンザーイ、無しよ!」とポーズをとって締めくくった。 


【決戦大会の結果で「晴れてデビューへ!」】

●1クール(3ヶ月)に1回、合格者が7、8人たまったところで、観客席に芸能事務所、レコード会社のスカウトマンを集めて行われた。通常通り1人1曲、1コーラス歌い、審査員がコメントし、スカウトマンが質問した。

●全ての出場者が歌い終わった後、バンドの左側に決戦大会専用の「お立ち台」が設けられ、結果発表となった。出場者が一人ずつお立ち台に出て、それぞれがスカウトマンに対しスカウトしてくれるようにアピールした。「○番、○○です。一生懸命歌いました。よろしくお願いいたします!!」というフレーズは、多くの挑戦者が放った。

●萩本時代、なかなかスカウトマンがプラカードを揚げない状況が続くと「お願い、勝たせてあげてよー!」という台詞もよく出た。プラカードが揚がった瞬間、ファンファーレが鳴り、司会者が「揚がりましたーっ!!おめでとうございまーすっ!!」と言っていた。

 

中森明菜「決戦大会」出場のVTRです!

http://www.youtube.com/watch?v=ne4INWbIEts

坂本九さんの司会がなつかしいですね・・・。


【「スタ誕!」出身の主な歌手たち・・・】

●「スター誕生!」に出場、本選合格⇒決戦大会出場「見事スカウト」で実際にデビューした主な歌手をあげてみると・・・

 森昌子、桜田淳子、山口百恵、城みちる、伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、神保美喜、新沼謙治、清水由貴子、ピンク・レディー、渋谷哲平、石野真子、大橋恵里子、金井夕子、井上望、ポップコーン、甲斐智枝美、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、松本明子、岡田有希子・・・ほか



【駆け足で番組内容を紹介してきました。】

1983年の番組終了後、特にアイドルの誕生に関してはこれまで以上に多種多様な方法が生まれました。

芸能事務所系の大規模公開オーディション

 「ホリプロタレントスカウトキャラバン」「全日本美少女コンテスト」

テレビ番組での公開オーディション

 夕やけニャンニャン「ザ・スカウト アイドルを探せ!」(おニャン子)

雑誌等メディア活用

 「MOMOCO」(モモコクラブ)など・・・

街頭スカウト

なかには「プリクラ」「写メ」で写真送付のオーディションがあるのも時代の変化ですね・・・。

番組終了後『スタ誕』復活を望む声がありました。しかし、中三トリオを仕掛けた堀威夫(ホリプロ創業者)は後のインタビューで「当時は3分で作れるカップ麺が受けた時代だから昨日の素人がアイドル、スターになれる番組が受けた。今は高い金を出して並んででも美味しいものを求める時代だからもう最大公約数を求めるテレビはスターを作る番組は作れないだろう。」と語っていました。


【「スタ誕!」のDVDも発売されました!】

●2011年には番組の偉大なる軌跡をまるごと収録したDVDボックスが発売されました。当時をなつかしむのも良いでしょう!

いかがでしたか?

なつかしTVの特集ウィークはここで終了となります。

次回よりいつものペースで連載いたします。

最後までご愛読ありがとうございます。