東京ちひろ美術館

2006.02.26 東京ちひろ美術館(練馬区下石神井)
ちひろ美術館の友の会に入会しています。会員の特別限定開館日に東京に行ってきました。
ちょうど、このブログをはじめる前のことです。いわさきちひろのファンではないのですが、安曇野ちひろ美術館の居心地の良さのヒミツが知りたくて…。美術館をぐるっとしたあと、いわさきちひろの長男の松本猛さん、奥さんの由理子さん、ちひろの本の編集者、3人のお話を聴きました。
ちひろさんが絵を描きながら編集者の方に「あいまいにしておくの。きちんとしたのはダメね」と言われたそうです。松本猛さんが、補足して、見る人が入り込めるように、そうしていると言っていました。女性らしいバランスのとれた強い言葉だと思いました。
このブログも、そろそろあいまいなまま終わりたいと思います(笑)
ようやく、前より、ましになりつつあるかなぁと思えてきたところなんですけどね。私は不平不満の多い人間ですから、自分のことをあれこれ書くと、とんでもないことになってしまいます。本当、ごまかしながらやっていました。隠し切れないところも多々ありましたけどね。このブログを通して、見たものを素直に感じとる練習をしていたような気がします。
最後になりましたが、今までこのブログを見てくれた皆さん、あたたかいコメントを書いてくれた人たち、参考にさせてもらった素敵なブログに感謝いたします。
大人になること
絵本がたくさんある図書館のとなり第2展示室「ちひろの人生」の入口に展示してあるものに気がつきました。何度も来ているはずなのに、はじめて気づくなんて…。昼寝ばかりしているからだと言われてしまえば、返す言葉がありません。
2006.10.31 安曇野ちひろ美術館(松川村)
人にはよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれども私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
とはいってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同していました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。
ですから私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころの私にはもどりたくはないのです。
ましてあのころの、あの下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
もちろんいまの私がりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。
少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。
でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。
いまちょうど逆の立場にたって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。
(いわさきちひろさんが亡くなる2年前に書いた「大人になること」より)
2006.10.31 安曇野ちひろ美術館(松川村)
人にはよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれども私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
とはいってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同していました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。
ですから私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころの私にはもどりたくはないのです。
ましてあのころの、あの下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
もちろんいまの私がりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。
少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。
でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。
いまちょうど逆の立場にたって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。
(いわさきちひろさんが亡くなる2年前に書いた「大人になること」より)





