前回、話題にあげましたように、ドイツのコーチビルダー、カルマン社が倒産、管財人の監督下で再建をするとされています。

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カルマンの歴史は結構古く
元々は馬車の生産を生業にしていたそうです。


カルマンというと、日本においての知名度は、もっぱらカルマン・ギアというVWビートルをベースにしたスポーティクーペ(日本で言えばスペシャリティカーか?)と、コンバーチブルを真っ先にあげる人が多いと思います。

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カルマンギアの広告写真から
VWビートルのエンジン、足回りを流用したクーペとコンバーチブルの
スペシャリティモデル。アメリカでビートルのパーツが流用できる事
から、アメリカで大ヒットを飛ばしました。


しかしカルマンの歴史は意外と古く、20世紀初頭に馬車を製作するコーチビルダーを祖に自動車の車体製造と馬車の製造を行う企業として立ち上がり、各自動車メーカーのオープンカーへの改造などが得意分野とされていました。

何故オープンモデルが珍重されていたかというと、寒い土地であるドイツにおいて、日光を浴びることは欲求として求められることであり、VWビートルの前身であるKdfにも既にオープントップモデル(これもカルマンが手がけていると聞きます)が用意されていた事からも、よく分かると思います。

だからこそ自動車車体に関するノウハウが高く、少量生産の乗用車オープンモデルに関してカルマンが手がけているモデルが多いのもうなづけるところです。

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ポルシェの初期に関して、カルマンがコーチビルドしていた時代もあり
356や911のボディをコーチワークしていた時代もありました。
その後、ポルシェはロイター社(シートメーカー、レカロ社の前身)を
買い取り、自社でボディワークをするようになる。


特にVWとの付き合いは長く、70年代のタイプ2マイクロバスをベースにしたキャンピングカー、やゴルフ2をベースとしたスペシャリティクーペ「コラード」やゴルフ・カブリオ、現在のニュービートル・カブリオレなど多く手がけています。

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カルマンはコンセプトカーの製作も行っており、70年代に出したこのモデルも
思索とは思えないクオリティで展示、恐らくトヨタの初代MR2におけるデザイ
ンモチーフになったのではないかと思われます


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左、VWゴルフのコンポーネントを利用し、スクロール型スーパーチャジャー
「Gラーダー」で加給するスペシャリティカー「コラード」
右、日産マーチ(マイクラ)の、クーペカブリオモデル「マイクラCC」あの
ボディサイズに折りたたみ式ルーフを搭載できたのは、カルマンの技術力の
賜物です。


しかし、やはりカルマンというと避けて通れないのは、カルマン・ギアの存在です。ポルシェと一線を画す、ユルいキャラクターのカルマン・ギアは、スポーツカーというよりもスタイリッシュなクーペという存在であり、あの流線型ボディはとても艶かしく、引き締まったボディの356とは違う、グラマーな美女のような佇まいは、カルマンとギアのタッグだからなせる業ともいえます。

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最近のカルマンの仕事から・・・
左上、ニュービートル・カブリオレ
右上、アウディA4カブリオ
左下、クライスラー・クロスファイア
右下、メルセデス、Cクラスカブリオ



最近では、ニュービートルのほか、メルセデスのSLKやクライスラーのクロスファイア、日産マーチ(現地名マイクラ)CC、ルノー・メガーヌCCなどの量産を手がけていたものの、このところの金融危機から、オープンモデルの生産終了が決まり、それがカルマンの経営を圧迫したといわれています。

カルマンが今後どのようになるのかは、まだ余談を許しませんが、今後を注目していきたいところです。