久々の迷車列伝・・・今回は平成ABCトリオの第一弾、ある意味、軽初のスーパーカーともいえるオートザム・AZ-1を紹介します。

本当は「名車列伝」で紹介するかで大いに迷いましたが、今回はあえてこっちで紹介いたします。

AZ-1をこよなく愛する皆さん、ご容赦のほどお願いします。


<そもそも「平成ABCトリオ」とは?>
副題に付けた「平成ABCトリオ」って何なのか?お分かりにならない方もいるかと思いますので、この場で説明しますと、バブル崩壊直前の平成初期、いわゆる90年代初頭に発売されたスポーティー軽自動車の3台、オートザム・AZ-1、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノの三台の頭文字を取って「平成ABCトリオ」と呼ばれるようになりました。


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軽自動車サイズなのにこれだけサマになっている車はそうそうない。

ちなみに写真の車体色はメーカー純正のものではなく、あとでオールペイントしているもの



<最初は550cc規格で開発、Cカーレプリカも>
AZ-1は1989年の東京モーターショーで発表された「AZ-550スポーツ」が元になっており、基本骨格は同じ車でありながら、外版を交換することで異なるデザインを楽しむことが出来るという「着せ替えコンセプト」で、前回のモーターショーでも「MX-03」の名前で着せ替えコンセプトを発表しており、AZ-550はその後継として開発されました。



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これがモーターショーで発表された、3タイプ

タイプB、タイプCともに人気があったものの、タイプAの人気はダントツで3タイプ生産する予定を

これ一本に絞ったという逸話がある。とはいうもののドアの開閉形状が違うタイプCを本当に生産

するのかはいささか怪しいものがあった。


イタリアン・スポーツカーをダウンサイズしたかのようなピュア・スポーツのタイプA、都会に、自然に場所を選ばないアーバン・ツアラーのタイプB、ある意味ジョークとも取れるプチCカーのタイプCの3タイプがマツダのブースを飾り、当初の反響どおりタイプAが市販のゴーサインを獲得して生産準備に取り掛かったものの、軽自動車の規格が660cc規格に変更され、それに合わせたボディ拡大と保安規定の関係からタイプAに搭載されていたリトラクタブル(格納式)ライトを固定式に変えるなどの仕様変更から、当初の予定を超え、ホンダのビートやスズキのカプチーノに遅れ、1992年に登場となった。


正直、残念なのは保安上の問題から採用されなかったリトラクタブル・ライトの代わりとなったライトのデザインでなぜあのシャープなデザインに丸目を採用した点、あれはリトラクタブルの穴にクリアのカバーをつけて角目を放り込んだほうが良かったのではと、今でも思っている。



<乗り手を選ぶが、掛け値なしに味わえる楽しさ>
しかしそんなライトのことを忘れさせてしまう、インパクトと魅力がこの車には満載されていました。


まずひとつは軽自動車で始めての採用となった、ガルウィングタイプのドア。すなわち、ドアを開けると、上に跳ね上がるタイプのドアを採用し、軽自動車とは思えない光景を提供することに成功している。


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当時のモーターショーのカタログから。

ドアの形状は「カモメ型ガルウィング」で、狭い空間でも乗りやすいとされた。


さらにもうひとつは、直進安定性を多少犠牲にしても獲得したかった、ミッドシップならではのコーナリングのキレ具合で、いまだにジムカーナなどの競技では現役選手として登場することが多い。


ちなみに、かく言う私もこの車に試乗したことがあるが、最初こそそのフルロック2.2回転(右いっぱいから左いっぱいにステアリングをきる回転数)というすごいクイックなステアリングに戸惑ったものの、体の反応に素直に答える操作性と、660ccとは思えないほどの加速感が、乗っているうちにほほを緩ませてしまう。


絶対的な速さはないのだが、そこはユーノス・ロードスターを世に出したマツダ、速さ以上に操ることで得られる満足感「官能」を味あわせる演出が見事で、ボディのかっちりした感覚といい、足回りのクイックな感じといい、その乗り味は重くなったレーシングカートのようで、長距離の運転には少し向かないかもしれないけれど、近所や峠道を走るにはこれ以上楽しい車はない。



<ボディの強さ、その秘密はスケルトン>
このAZ-1、AZ550のときのモジュール構造を目的とした関係から外販をプラスチックで作り、着せ替えられることを目的とするために、外販以外に強度を持たせる「スケルトン・モノコック構造」を採用している。これにより、軽自動車の中ではかなりの強度を持ち合わせており、平成ABCトリオの中でもガタが少ない(比較するビートとカプチーノはオープンボディなので、直接比較するのは酷な話だが)といわれている。


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AZ-1の透視図と外販をはずしたAZ-1のオールヌード(お宝?)

外販なしでも充分に強度が保たれるように設計されているので、外販の自由度が増す

というのがマツダの見解である。


このスケルトンモノコック構造のおかげで、後にボディキットなども発売されたり、特撮の劇中車になったりと、違った場面でも引っ張りだこになっていたりする。



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これが、AZ-1の外板キット。サイズが大きくなってしまうので白ナンバー登録となる。

日本のサブロー・ジャパンが企画。価格は100万円だったそうだ。

この外板をデザインしたのは、イタリアのピニンファリーナ。フェラーリなどのデザインで有名。



<エンジンはスズキ製>
エンジンと一部足回りは当時提携関係にあったスズキのアルトワークスのものを流用し、直列3気筒のツインカムターボからは64馬力を発生、当時(現在でも)軽自動車の規制枠いっぱいの性能をマークしていました。


それをシートの背後、後輪車軸のかろうじて前(一説にはRRではないかという人もいますがミッドシップと呼んで良いでしょう)に搭載し、荷物を積む場所はシートの後ろか前にあるボンネットを開けて当初スペアを置く予定だったところの空間(当時はタイヤをここに置く予定だったものの、衝突テストでタイヤが飛び出す恐れがあったので、ここに置くことを中止したいきさつがあります)と、使い勝手は決してよくない車ですが、それを補って余りある乗り味をこの車は提供します。


<良くも悪くもマツダの多チャンネル化がアダに>
1992年10月にデビューしたAZ-1は、2年という短命、生産台数も4000台近くしか作られないで生産を終了してしまった。


バブルの崩壊、快適装備の少なさ、乗り手を選ぶ乗り味、短命に終わった理由は後からなら何でも付けられるが、やはりマツダの拡大路線があだになったとしか言いようがない。当時のマツダはマツダ店とマツダオート店の二系統しか存在していなかった中に、ロードスターやコスモなどスポーツに振ったユーノス店とアンフィニ店、そして軽自動車とイタリアのランチアを扱うオートザムと手を広げたものの、ツメが甘すぎたことでマツダの足元すら危うい状態になってしまった。


AZ-1はそのあおりを食ってしまった不憫な車という評価もあるが、そのおかげでこの車が日の目を見たことも事実で、開発者の志の高さとあの痛快な乗り味は、今でも語り継ぐに値する車である。