あのときの手術後
あたしは家族控え室で
毎日、ICUのくるみの
状態をメモに残した
なんで
そんなことしたんだろ?
いつもそんな事細かに
残さなかったのに
術後、2~3日経っても
いつものように
目を覚ますことができず
とても不安が強かった
日を追って思い出す
9/12
心停止の次に
暗闇の底の底へ
落とされた日
面会も終わる時間
夜の21時
どんどん上がる高熱
身体の震え
手足の冷えが酷く
サチュレーションも計れない
この娘の身体の中で
なにが起きているのか
物凄く恐かった
ただあの娘の身体の震えを
抑えるようにさすって
声をかけるだけ
「くぅちゃん、だいじょうぶ
だいじょうぶたよ」
無力
敗血症だった
恐れていたことが
おきてしまった
あの日から
たった12日
2度と逢えない場所へ
連れていかれてしまった
ダンナは
日を追って
なにが起きたか
記してはいないから
わからない
今年は
あえて言うのもやめた
ふたりで
あの日のことを
思い出し苦しむ必要もない
気がした
言わなくても
このころは...
と、順を追って理解しているはず
もうすぐ6年
ただ、あたしたちは
もう2度と
立ち直ることのできない
辛く苦しい思いをしたのに
なにを糧に生きてんだろうね?
仕事して
食べて
寝て
ダンナは
そうしたことで
「生きてる」と
感じるといった
毎日のルーティン
「生きている」以上
仕方ないし
あの娘のもとへ
自分からはいけないから
やっぱり
改めて
「生かされている」以上
「命」の尊さを
痛いほど思い知らされた
あたしたちは
「生きる」しかないのかな
寿命を全うするしか
あの娘に
もっともっと
寿命を、決められた命を
長く、少しでも長く
与えてあげてほしかった