記録です
 
この頃から特別支援級肢体不自由クラス
担任I先生への不信感が増えていく
 
これも記録であって
そのときの気持ちで
障がい児、肢体不自由といっても
くるみは本当であれば
病弱クラス
ただ○○○市にはなく
○小、肢体不自由クラスで
受け入れてもらった
 
でも小学校入学時
「病弱クラス」枠という存在を
あたしは知らなかった
 
五体満足でも心臓病って
理解できますか
目に見えない病気
理解しにくいと思います
 
「見た目元気ね」では困ります
 
 
 
・・・・・
 
 
2013  11/1  秋の社会見学
【く~ちゃん  8才7か月】
 
大きなパナソニックの工場見学
 
あたしは車イスを出してほしい
みんなと同じようには歩けない
「あたしが付き添います」とも言った
 
少し歩いて説明を聞いて
また歩いてって見学はその繰り返し
 
歩いて休んだころ
長く長く休ませてくれたら
説明がきけるでしょう
数分の説明であれば
きっと息が上がってなにも
頭に入らない、きっと
手を膝に付き息を整えてる間に
お話は終わってる
 
くるみは楽しかったろうか
ついていくのに必死じゃなかったろうか
 
 
預けるにあたって
I先生は「大丈夫」だって言った
あたしが付き添うことに
よく断られた
 
母親がそばに居ては...
 
 
この後、先日トイレの下見に出かけた
さぼてん農園へサボテン(碧瑠璃鸞鳳玉)
 
 
ちっちゃなサボテンを作ってきましたサボテン(碧瑠璃鸞鳳玉)
 
いまはもう枯れちゃったな
 
 
普通、普通にこだわったあたし
普通級から来たI先生を信頼してた
 
いつもくるみのそばで...
どのように、どのような言葉づかいで
指導してくれてたんだろぅ
 
「普通」と言っても
身体は普通ではないこと
言語力が普通ではないこと
 
あたしは必死で伝えてきた
 
くるみは心、痛めてなかったろうか
 
いつもいつも
「楽しかった、お弁当ありがとう」
って言ってくれた
 
けど...
 
 
この日、学校へ迎えに行くと
 
 
「この子だけエレベータ使ったんだよ
みんな歩いたのに、K-くんだって歩いたよ」
 
 
その言葉をくるみの前で言ったはず
 
 
 
やっぱり見た目元気で
春の手術、酸素が取れたことによって
理解が薄れていた
 
 
 
わかりますか
常に山頂にいるような状態って
血中酸素が80%くらいだって
 
歩けば70前半~60後半へ落ちること
どういう意味かわかりますか
 
 
むかついた
 
腹が立った
 
もう
 
「そうですか...」
 
だけ言って帰った
 
 
 
この先もI先生とのバトルが
増していく
 
 
 
いまはね
もういいの
 
 
 
くるみの旅立ちの日
 
 
I先生は
ものすごく後悔して
謝罪の言葉を
涙流して
いっぱい涙流して
言ったの
 
 
それ以前に話し合えたしね
 
 
 
くるみも分かってくれてるはず
 
 
 
見た目にわからない病気
 
その子の立場になって
必死に理解を示してくれる
そんな教師が必要
 
 
くるみの病名
 
「純型肺動脈閉鎖症」
 
一回でも検索してくれたろうか
 
 
1年の頃の担任K先生は
少なくとも理解してくれていた
教師のひとりです
心から感謝しています
 
 
 
やっぱり今もどっかで
あたしの胸に刺さってるんだろうな