巣立ちの時
    
        白河夜舟              
 樋口一葉の「たけくらべ」は子供の世界から押し出されて大人の世界の入り口にたたずむ子供たちの群像を描いた作品です。子供の世界にも競り合いや喧嘩はありますが、子供のルールで回転しています。ところがそういった流儀がすべて呑み込まれて大人の世界に放り込まれます。別の論理や価値観が支配する世界です。
勝気な美登利は遊女の世界へ、真如は僧侶の世界へ、鳶職の父を持つ長吉、金貸しの子の正太郎など、大人の社会の中に足を踏み入れる戸惑いと不安とためらいを抱きながら、それでも時の流れに流されていきます。
現代の子らの巣立ちも似たようなものかもしれません。生まれて死ぬまで誰でも幾つかの関門をくぐり抜けていかなければならないわけですが、最初の関門が受験であったり、就職なのでしょう。こともなげに通り抜けていく人もいれば、足を引っ掛けて転んでしまう人もいます。
てんかんという病気のあるなしに関わらず社会に巣立っていくわけですが、県外の大学を目指して浪人しているけれど、まだ発作が止まっていない患者さんがやってきました。受験まで数ヶ月しかありません。病気のせいで未来を潰してしまうのは治療している方も心苦しいものです。限られた時間内で精一杯薬を調整しました。春に合格したと聞いたときはホッとしました。やがて一人暮らしで大学を無事に卒業し、就職もしました。
あるいはその女性は、アメリカ流儀の男女雇用機会均等の文化が日本にも浸透し、就職できたのだけど、定時で帰れるアメリカ社会と違って、日本社会は夜遅くまで縛られます。睡眠時間を削られた生活を1ヵ月続けているうちに、発作を起こしてしまいました。就職した時点では、内服治療を終了し、経過観察のみでしたので病気については会社に報告していません。1ヶ月の自宅待機を命じられ、挙句の果て、両親が呼び出され、丸く言いくるめられて、葉はクビです。
発作のせいで休職中の公務員がやってきました。1年ほど発作が止まったので復職を勧め、診断書を書いたら彼の上司が数人診察室にやってきて、嘱託の産業医は休職が妥当と言っていると、このまま2年間の休職をさせたい様子。主治医としての意見を再度伝えて、どうなるのだろうと思っていたら、別の産業医の診断を仰いで復職可の診断書が出て、復帰しました。1つの肉体的ハンディを抱えてしまうと、受け入れてもらうのが難しい社会のようです。WHOでは生物学的障害に対して、これを社会的ハンディキャップと呼んでいます。
親元を離れて、県外の大学に進学し単身生活を始めたはいいのですが、きちんと薬を飲んでくれなくて発作を起こしてしまったり、飲み会で急性アルコール中毒になったりする患者さんもいます。こういう方は性格も野放図で友達も多いので、発作を起こしても周りが面倒みてくれるのでキャンパスライフを楽しめます。
あるいは単身で大学生活を送っているのですが、もの忘れのために勉強が思うようにいかず、みずからADHDだと診断してんかんではないと言う患者さん。親元から通っていたときは発作もなく、もの忘れもなかったのですが。聞けば、ほとんど薬を飲んでいなくて意識が途切れる発作が頻繁に起こっていました。
WHOではこれを個人レベルの障害と呼んでいます。

進学や就職と巣立ちの時期がやってきました。
てんかん患者さんも羽ばたいていくわけですが、頑張ってください。
「てんかん医が見た記憶の謎」白河夜舟著(アマゾン電子書籍)にもこの問題を記載しております。この原稿は全国の地方紙に20回連載されて好評を博した随筆集です。