※up主様方へ動画をお借り致します↓おじぎ↓(深々)感謝!!
プレイバック日本歌手協会歌謡祭へ松原健之さんご出演の回がBSテレ東にて放送されます~♪
・10/30(月)17:56~プレイバック日本歌手協会歌謡祭
2009年11月にて、津軽のふるさとを歌唱された回。
この歌大好きで画面で拝めるとは感謝感激です☆彡
CDでもよく聴いては母と喜んでいます★
日高晤郎さんも松原さんのこの歌が大好きでよくかけていらっしゃったなーと思い出しては懐かしんでいます。
流れるようなメロディの中に哀愁を感じ、雄大な景色が浮かぶ温かな歌詞、柔らかに情感たっぷりな歌唱。
伸びやかで幅のある松原さんの歌唱が大好きで、アルバムでは流れる度にいつもリピートしてなかなか先に進まず・笑
何度でも聴いていたくなる程聴き入るお気に入りの名曲♪
そしてこの回にはさらに個人的に楽しみな名曲も沢山!!
ご覧になられる際にはぜひ、お聴きくださいませー☆
この先は独り言。
歌が無いってさみしーねというちょっとネガティブなお話。
歌謡について書きたいことはありながらも、邪心が邪魔をしていましたので(笑)溜ってたことつらつらと。
面倒くせーと思われる方はスルーで↓おじぎ↓
今年も約二ヶ月で終了、あっという間に早かった・汗
もっと歌謡ブログを書きたかったけど書けませんでした。
以前は推しの方々がご出演されていた番組に彼らの姿はなく、
希望を持って毎週予約していた番組もとうとう中断。
ご本人じゃなくても好きな名曲が聴けるからと聴いてみれば、
その歌に対しての表現との乖離、その歌手とご本人歌唱で感じていた歌心との乖離に辛くなり、聴くのもやめてしまいました。
ご自身の歌は自由にされれば良い。カバーは折角お手本の方々がいらっしゃるのですから、考えてちゃんと向き合ってほしい。
ご本人の歌い方を真似るのではなく歌心を感じ取ってほしい。
ご本人と同じ解釈じゃなくても同じ歌い方じゃなくてもかまいません、この方の歌唱も良いねと思えれば良いと思います。
自分らしくとか聴かせる為の技術も大事ですが、その歌の世界観に感じたことをもっと素直に大切に歌ってほしい。
数年前、歌の聴き方が変って歌をもっと好きになれた頃、その頃に出会えた方々も全員ではありませんが、歌心の変化を感じる。
私の聴き方がさらに可笑しくなったのかな?でもあの頃の歌唱は何度聴いても心に響いてきますが、だからこそ現在の歌唱には焦燥のようなムダな力みのようなどこか諦めた自己満足のような、
誰かを楽しませる為というよりもがきのように感じてしまう。
変化を感じた理由にもう一つ、歌に対するコメント。
コメントを聞ける機会がなくても歌唱から誠実さを感じられていれば別に気にならず、そういった方々の歌唱は大好きですが、
歌心の変化を感じた時に聞けたコメント、歌に対してのコメントが空っぽ。曲が良い歌詞が良い歌唱が良い。
これだけ世に受け継がれてきた名曲名歌手ならそれは当たり前。
そうではなく曲がどう良いのか歌詞にどんな想いを感じたのか歌唱にどんな世界を見たのか、それが知りたいけどない。
そういった所からも以前の歌心との変化を感じて悲しくなる。
変らないでいてくださってる方はそういったコメントを聞ける機会があった際には、ちゃんと歌に対する想いが感じられて、
寧ろ歌唱に感じていた通りの心意気との一致に安堵し、聴いていて心地良く、これからもお聴きしたいと思わせてくれます。
そういった方も見受けられる中、そうではない方のほうが多い印象に、歌の良さを素直に書けないでいました。
優しくて温かくて歌に合った表現をきちんとされていた方々、そんな頃を存じているからこそ切なくなります。
聴きたい方の出演がない・歌手と自分の歌心の乖離・以前は歌との向き合い方が誠実に感じられた方々の歌心の変化など、
大好きな歌だからこそ大好きな方々だかこそ・・・辛い。
まあ、聴くのが辛いならやめればいいですね、私が。
昭和の時代の歌は音楽も歌詞も歌唱も優しい。
聴く人の為に作ってくださって歌ってくださってる。
寄り添ってくれたり元気づけてくれたりと心に力をくれます。
明るいものはハツラツ軽快に・哀愁はゆったり美しく・ユニークな歌では遊び心満載に・お洒落で夢があって楽しませ上手。
それぞれの歌に合った素直な表現で魅了してくれます。
言い方悪いですが、知らない歌手でも知らない歌でも聴いていたくなりますし、例えばながら仕事で流れていても自然と心に響いてきて耳に残り、思わずどなた?なんて歌?と振り向きます。
名曲って、聴かせるって、そうなのかなと。
一瞬聴いただけで耳に残るものなのだなと思いました。
だからなのかな、その頃の方々が現在でもご活躍してくださっていると嬉しいです。谷村新司さんの旅立ちはショックでしたが。
そういった方々のような歌を聴きたく生で拝めた方々はテレビより残念でヒドくショックでした。
・飲みながらタルそう話し、だらしなく歌う人。遠方から駆けつけ、時間が押しても待ち続けた人は、この人の歌をちゃんと聴きたかったのでは。
・見目はバッチリ、歌はどのような歌でもおんなじ表現。それぞれの歌が何を伝えたいのか、歌たちの声を聞こうともぜず、自分らしさのみで楽に歌う人。
・熱いから普段着でという人。華美な格好で夢のある歌を歌われる方がラフな味気なさ。熱射病になってまで衣装を着てとは思いません、炎天下で待ちわびた人に寄り添う言葉をかけるとか薄着も合わせて二着用意しとくとかできなかったのでしょうか。
心ないみなさまにガッカリ・・・今までお会いした方々にはこのような方はいませんでした。地方公演ってこんなものなんでしょうか?田舎ですもんね。
そんなわけで今年は聴きたい方がお近くへいらっしゃりませんでした。道内でも日帰りでは行けない所ばかり・・・とほほ。
数年前は来てくださってももう来てくれないねこんな田舎に。
そう思ってた矢先に南こうせつさんがお近くへという情報が!
だがしかし時既に遅く完売・・・無念↓↓
谷村さんの事もあったので会える時にお会いできたらと思っていましたが、母をぬか喜びさせてしまっただけでした。
南さんは私が帰省するずっと前、まだ母が元気だった頃お近くへ来てくださり生で拝めたそうで、テレビで拝んだ通りの方だったと、懐かしんでは話してくれます。
軽快でパワフルなお話の仕方からも歌唱からもにじみ出てるというより全部出ちゃってるじゃない?という位歌が大好きな方。
リクエストが殺到するとまとめてメドレーで歌ってくださったことが相当嬉しかったようです。
そりゃ嬉しいですよね、聴きたい人の聴きたい歌を目の前で、しかもリクエストに快く応えてくださったわけですから。
そういったサービス精神含めて、聴く人々に愉しんでほしい喜んでほしいという心意気や歌への想いの強さが伝わってきます。
南さん、歌心を大切にしてくださって、今も変らないでいてくださって本当にありがとうございます↓おじぎ↓深々
またお近くへ来てくださった際にはお会いできたら嬉しいです。
そんなこんなで(どんなだ・拳)今年は聴きたい方の歌が殆ど聴けていません。あと二ヶ月・・・お聴きできるだろうか。
私はそれこそつべさんなどで聴きたいものだけを聴けますが、母はテレビやラジオやCDとなると限られてくると思います。
私ほど突き詰めてはいないというかそんな余裕もないのか、流れてきてくれた歌の選択肢なく聴いているんだと思います。
感じていることは私ほどではなくても同じようには感じている部分もあるみたいで、谷村さんの事もあって寂しそうです。
選択肢のある人は自由に聴けば良いですが、そんな括り無く心ある歌とこれからも出会って行けたらと切に願います。
後半かた~い独り言を失礼いたしました↓おじぎ↓深々
大好きな事なのに書けないもどかしさが溜っておりました・汗
最後までお付き合いいただきありがとうございました↓おじぎ↓