一昨日仙台に行く用事があったので、気にしていた “風立ちぬ”を見ました。
公開後1ヵ月以上過ぎているので、ガラガラかと思っていきましたが、メンズデーということもあり
同世代の方々がそこそこ入っていたようです。
そして、堀辰雄氏の「風立ちぬ」の一節には、ポール・ヴァレリーの詩の一節が、
風立ちぬ、いざ生きめやも。 そして、宮崎監督は上のように・・・生きねば!
1903年生まれの堀越二郎氏・・・1903年は航空界においては、記念すべき年。
ライト兄弟が、動力飛行をした年です・・・すなわち、飛行機が誕生した年です。
映画の中で二郎少年が、夢の中でカプローニ伯爵と出会う。
カプローニ伯爵は実在の人物で、イタリアでカプロニ社という飛行機メーカーを作った方です。
(写真はいろいろなところから無断借用)
宮崎監督の「スタジオ・ジブリ」もカプロニ社のCa.309ギブリ(Ghibli)から、取り名付けられた
そうです。
これがその飛行機。
映画には、いろいろな飛行機が出てきています。
映画のシーンにあったように初飛行で離水はしたものの、すぐ湖に墜落したようです。
youtubeにその状況が移されているものがあるらしいのですが、墜落シーンはないとか、
あの映画のように、カプローニ伯爵がフィルムをダメにしたからでしょうか!?
それとカプロニCa-90 映画の中で工場の従業員と家族を乗せたう飛行機。
ドイツ ユンカースの飛行機
翼の厚さや尾翼の形もそのまま・・・この飛行機も映画での話のように翼の中に通路があり
エンジンのところまで行けたくらいの大きさだったようです。
そして二郎の友人の本庄の設計した爆撃機
96式陸上攻撃機・・・実際 三菱重工製、設計技師は本庄季郎氏(実在の人物)
本機は、太平洋戦争開戦初頭のマレー沖海戦でイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウエルズと
巡洋戦艦レバルスを撃沈した爆撃機です。
七試の二年後に再度担当した九試・・・正式採用されて九六艦上戦闘機となった。
それまでが、布の翼の飛行機が主流であったものを、全金属製とし沈頭鋲を使い、
欧米との飛行機作りの歴史の差の数十年を一気に縮める画期的な性能、そして
何よりも美しい飛行機であったようです。 堀越二郎氏はゼロ戦よりこの九六について
多く語る方が多かったとの情報もあります。
この映画では、堀越二郎氏と堀辰雄氏を重ねてこの映画の堀越二郎氏を作り上げたようですが
先日テレビで、プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿スペシャル 風立ちぬ 1000日の記録 が
放送されました。
映画の中の喫煙シーンが物議を醸したようですが、この番組の中でも宮崎監督は、仕事に行き詰まると
気分転換のためか、タバコをくゆらせていました。
映画の中でのタバコは、非常に有効な小道具であったと思います。(どこかの協会さんは騒ぎすぎ)
映画の中の堀越二郎氏は、堀越二郎氏本人と堀辰雄氏、そして宮崎駿監督の三人を
重ねていたのでは?!と思えてなりません。
アニメではありながら、大人のアニメ見させてもらいました。
現在も、次郎が生きた時代と同じように行きづらい時代になっています。
東日本大震災があったり、経済の停滞があったり・・・。
生きねば・・・。 (大人にも子供にも向けられた言葉でしょうか)