常識とは、
その人が18歳までに
身に付けた偏見のコレクションである  -アインシュタイン-


38年生きてきました。
(その内、母歴11年)

私自身
母との記憶が
鮮明になってきたのが
小学校上がった時くらい

その時
ちょうど母も38歳でした

38年
それなりに
色々な事ありました

意識せずとも
こうしたら、こうなる…。
ってな図式が、
生きやすい図式っていうのかな、
何パターンか備わりました。

私の場合

周りに寄せる
自己主張しない
謙虚に振る舞う 

そんなパターンが
いつからか
占めるようになってたと思います。

それが苦で仕方なかった
って事もけしてなく、
元々の気質が
そうだったのかもしれないし
そうする事が生きやすい
って事を私の心は
なんとなく掴んだのかもしれません 

それで自分が傷つかない術も
学んだのでしょう。

だから、

自己主張のハッキリした
我が子には正直参りました 笑


自分がしたい事がハッキリしてる
寄せない!
ブレない!

子どもは基本
皆そうかもしれないけど
私自身
母親がそう言うなら
そうなんだろうな。
って納得してしまう
あまり主張しないタイプだったのも
あったせいか
むちゃくちゃ戸惑いました。

ゆう事聞いてくれない!
自分と違う!!
って。

今となれば
全部当たり前なんですけど 笑

子育ては
度々こうゆう錯覚に陥りますね

そして母の愛情という名の
押し付けが
子どもたちの常識(偏見)を
育んでいくのかしら、と 笑

なかなか自分とは違う個性の子どもを
信じて見守る、は難しいです。

そしてついあーだこーだ言ってしまうけど、
それは我が子が無駄に傷つかないため
(ような気がする術)を
ただ母は、
少し先に生まれてきた者として
伝えたいだけなのかもしれないのかな、
とも思うのです。