くろやぎです。


リーマンショックによって特定の一国の失敗が世界中に波及して大きな影響を与えるなど「グローバル化ってやばくね?」という声がちらほら…

いやあまり聞こえてこないけど、グローバル化の魅力が全くわからなくて困っています。


そんな中で「グローバル人材」とはどんなものであるべきか?について、所感を。

所感なので事実と反しているかもですがあしからず。


グローバル人材は誰がために闘うのか?

グローバル人材としての戦場を当然世界中、競争相手を外国人ビジネスパーソンとした時に、生き抜いていくために必要なものは「何を背負っているか?」のように思う。

他の国の人はおそらく自分たちの所属する共同体、すなはち家族や仲間、地域そして国家、さらには神様をも護る意識があるんじゃないか。

では日本のビジネスパーソンは?
家族や仲間こそ背負うだろうけど、地域や国家、宗教は?

それに、英語を話せて外国のビジネス慣習を学んでいけば世界中どこでも通用する人材になれる!という主張があったとして、それには疑問が生じる。

なぜなら世界中で最もポピュラーな言語を話し、最もポピュラーな市場に精通しようとする試みは単なる「コモディティ化」にすぎないと思えるからだ。

精度の高い無味無臭の歯車。

(俺はなりたくても実力的になれないけどねσ(^_^;) )

宇多田ヒカルとPUFFYがアメリカで活動した時期に、その顛末がどうなったかと同じようなことかもしれない。


いまがグローバル化の時代だとするなら、なおさら日本人として日本を知り日本を背負い戦おう。ガラパゴスであることはそれだけで価値の源泉なのだ。このアドバンテージを活かしてみてはいかがだろうか?


乱文失礼

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