随筆 我らの勝利の大道 58 11/08/25



 仏勅の
  誇りも高き
   同志かな
  三世の使命の
    尊き地涌と

 先日、山陽新聞に、岡山市で行われる「わたしと地球の環境展」に寄せた、私の一文を掲載していただいた。
星の道・人間の道

 その同じ紙面に、NASA(アメリカ航空宇宙局)が公開した鮮やかな「二つの銀河」の写真が報道されていた。
 それは、地球から四億五千万光年離れた宇宙空間に
ある「初期段階の衝突銀河」いわば二つの銀河の遭遇の映像である。銀河同士が接する衝撃は大きく、そこでは新しい星々が爆発的に誕生していく。
 この二つの銀河は、幾百万年を経て、一つへと融合していくという。
 星々は、それぞれの軌道をたゆみなく回転する。その活動によってエネルギーを漲らせながら、壮大な生生流転を繰り返している。
 この大宇宙のロマンをめぐって、私はブラジルの天文学者モウラン博士とも、縦横に対談を広げた。
 語らいの中で、「星に軌道がある如く、人間にも道がある」というのが、私たちの一致した点であった。
 博士が力説された、人間の進むべき最も正しき軌道は何か。それは師弟である。
 日蓮大聖人は、御自身が一年また一年と重ねられた法戦の歩みを、「退転なく申しつより候事月のみつるがごとく・しほ(潮)のさすがごとく」(御書一三三二ページ)と仰せである。
 毎年毎年、八月二十四日を一つの起点として、地涌の人材の大連帯を、成長する大星雲の如く一段と広げてきたことは、私たち創価の師弟の誉れの歴史である。
 また、この日は、二〇〇一年、新世紀の人間主義の指導者を育成しゆく、アメリカ創価大学(SUA)の第一回入学式が挙行された日でもある。
 本年は十一期生が、希望に燃えて新出発している。

壮年・青年一体で

 あの八月二十四日――。
 十九歳の青年の私が戸田先生のもとに飛び込み、正義と平和の闘争に踏み出した時、先生は四十七歳。まさに「壮年」――壮んなる働き盛りの師子であられた。
 「師弟不二」の共戦は、いわば「壮青一体」の共戦でもあったのだ。
 壮年の鍛え抜かれた力と、青年の疲れを知らぬ力とが絶妙に合致して、学会の金剛の強さが生まれた。
 この歴史の上からも、八月二十四日が「壮年部の日」と定められている意義は、誠に深い。
 この日を節として、全国、全世界の壮年部も、力強く前進してくれている。
 経済不況や円高など、壮年を取り巻く環境は、何重にも厳しい。日々、人知れぬ苦労の連続である。
 その中で一人ひとりの友を励まし、奮い立たせゆく対話を、地道に粘り強く積み重ねてくれている。青年のために、青年と共に汗を流しながら、新時代の拡大へ奔走してくれてもいる。その不撓不屈の闘魂に、私は最大の敬意を表したい。
 「男、最も確かな男には、根性がなければいけない」――アメリカの民衆詩人ホイットマンの叫びが、わが壮年部の心意気と重なり合って迫ってくる。

     ◇

 ホイットマンが、人間的にも思想的にも、大いなる成長を遂げたのはいつか。
 研究の第一人者であるケネス・プライス博士は、ホイットマンが四十代の半ば、南北戦争で負傷した兵士たちのために、身を粉にして働き続けた二年間に焦点を定めておられた。

庶民の真っ直中で

 ホイットマンは当時を振り返り、こう語っている。
 「僕はあの野戦病院で、多くの仕事をこなしたよ。ある意味、あれが僕の人生で、最も真実なる仕事だったかもしれない」
 今の学会でいえば、ヤング壮年部の年代に、民衆の中に飛び込み、生と死の狭間で悩める人びとに、手を差し伸べていったのだ。
 プライス博士は、そうした経験によって「民衆の持つ力、可能性を深く感じ取ったホイットマンの確信は、いやがうえにも強まっていったのです。それは、詩のスタイルの変革のなかに、明らかに見て取ることができます」と洞察される。
わが壮年部も、来る日も来る日も、庶民の真っ直中で一歩も退かずに、勇戦を続けている。
 だからこそ、人間として、信仰者として、正真正銘の実力を錬磨し、発揮していけるのだ。
 「ついぞ気落ちすることを知らず、断固として戦うことをやめぬ人間の魂」とホイットマンは歌った。
 この魂が誰よりも光る、人間の英雄、民衆の英雄たる、わが壮年部の同志よ、万歳!と、私は声高らかに申し上げたい。

混沌(カオス)に怯まず前へ

 六十四年前、あの最初の出会いの折、私は戸田先生に感謝を込めて、即興の一詩を捧げた。
 「夜明け前の混沌に
  光もとめて
  われ進みゆく……」
 プライス博士は、この詩を通し、「一つの状況から、よりよき状況へ向かおうとする明白な希望」を感じ取ってくださった。
 博士は語っておられる。
 「混沌を前にして不安を覚え、歩みをとめてしまうか。あるいは、未来を信じて前へと進みつづけるか――その差は、自身の可能性に対する信があるかないか、にかかっております。
 さらに、善は必ず悪に勝つ、と信ずることができれば、また一歩、前進できるのです」
 深く、また温かなご理解をいただき、光栄である。
 法華経には、「地涌の菩薩」が登場する。
 敷衍すれば、いかなる混沌の世にあっても、人間生命の可能性を信じ、正義の勝利を信じ抜いて、民衆の大地に勇んで躍り出る希望の存在といってよい。
 重苦しい無力感や窮屈な閉塞感が漂う時代だからこそ、我らは地涌の生命力を呼び覚ましていくのだ。
 なお、この六月には、ホイットマン生家協会のウィリアム・ウォルター会長をはじめ先生方が、この大詩人の名前を冠する尊き「文学の英雄賞」を贈ってくださった。私は、この栄誉を敬愛するアメリカをはじめ世界百九十二カ国・地域の同志と分かち合わせていただきたい。ホイットマンの雄々しき獅子吼を胸に!
 「試練が大きければ勝利も大きい」と。

師弟は弟子を信頼

 ホイットマンが若き弟子ホラス・トローベルに語った言葉が蘇る。
 「私は、いつもは表に現れない、忘れられたような陰の人びとに、大きな尊敬の念を持っている。
 結局は、そのような目立たない無名の人たちが一番偉いんだよ」
 誰が見ていようが、いまいが、人のため、法のため、社会のために、尊き汗を流しながら歩き、働き、戦う。正義を叫びに叫び、一人また一人と、平和の連帯を広げていく。
 その庶民に勝る「偉人」はいない。
 この庶民が勝つ時代、庶民が凱歌をあげる時代こそ、ホイットマンも夢見た未来ではないだろうか。
 その未来を、弟子のトローベルも、共に見つめていたに違いない。
 ホイットマンは彼に全幅の信頼を寄せた。
 「私はいよいよ君の若いはつらつたる肉体と精神に、私自身を任せようという心持ちになっている」
 「(その重要な理由は)君が私を理解しており、単に熱心だけでなく、権威をもって私を代表してくれることを頼めるからだ」
 トローベルが五十代半ばのホイットマンに初めて出会ったのは、十五歳の頃であった。そして交友を深めるにつれ、師匠の手足となって、喜び勇んで東奔西走した。さらに無数の悪口や無理解に晒され続けている師を支え、その真実を宣揚するために奮闘していったのである。
〝師のために〝行動することを最大の誇りとし、誉れとして――。その誠実一路の生き方は、詩人の逝去後も全く変わらなかった。

共に「種」をまく

 ホイットマンの生誕百周年の日(一九一九年五月三十一日)、六十歳になっていた弟子トローベルは、眼前に師匠がいるかの如く詩に詠んだ。
 「(私トローベルは)あなたと倶に今でも種を播いているのです、播いて播いているのです」と。
 これが師弟である。
 これが弟子の道である。
 私もまた恩師・戸田先生にお会いし、求めて弟子となって六十四年間、片時も先生を忘れたことはない。
 「師弟不二」の大道を、「常随給仕」の弟子の道を、まっすぐに歩み通してきた。そして今、従藍而青の弟子たちが続いてくれている。一点の悔いもない、我らの誇り高き大道である。

     ◇

 青年部の秋の教学試験(一級)に向け、真剣な研鑽の息吹も伝わってくる。
 教材の一つ「撰時抄」は、私も入信してすぐに拝読した重書である。
 「法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」(御書二八八ページ)
 この仏勅の通り、壮大な世界広宣流布の未来を開くために、私は全力で、あらゆる障魔を乗り越え、三類の強敵を打ち破ってきた。
 これからも、いやまして、創価の偉大な人材を育てゆくために!そして広布の尊貴な全軍が思う存分、勝利勝利の歴史を打ち立てていくために!毎日毎日、仏法勝負の真髄に立って、祈り、戦い抜いていく決心である。あの十九歳の誓いのままに!

 師弟不二
  仏法勝利の
   法理なば
  断固勝ち抜け
    勝ちまくれ