2011.07.08 SP 魂の人間賛歌「ジャズと人生と仏法を語る」第11回 〔上〕


【池田】 ますます元気な、お二人の活躍、本当に嬉しい。

 ハンコックさん、さきのグラミー賞、おめでとう!
しかも、いっぺんに二部門の受賞、あらためて、お祝い申し上げます。通算では、これで十四回目の快挙になると聞いています。全世界の同志が、万歳!
万歳! 万歳! と喜んでいます。

【ハービー・ハンコック】 池田先生、即座に心温まる祝電を頂き、ありがとうございました。どんなに忙しい最中でも、真心の励ましを贈ってくださる先生に感謝申し上げます。度重なる激励に、いつもいつも元気と勇気をいただいております。私は、先生の弟子として勝利できたのです。

【ウェイン・ショーター】 本当におめでとう、ハービー! 音楽家として、同志として、共に前進する戦友の栄誉を心の底から誇りに思うよ。

【池田】 常に苦楽を分かち合ってこられた、お二人の「友情」と「創造」の誇り高き行進に、私は最大の敬意を表します。

 受賞アルバムを、私は何度も聴きました。偉大な人間の讃歌であり、生命の讃歌であり、そして平和の讃歌です。強く強く心を打たれました。

 ちょうど、授賞式の直後(2月17日)、東京の信濃町では、新しい「創価文化センター」の起工式が行われました。奇(く)しくも、その一角は、かつて一流レコード会社のスタジオがあって、ハンコックさんも三十年以上前から、録音を行っていた場所です。来賓の方々も、その縁を聞かれ、感銘を深くされていました。

 来年の秋には完成して、日本そして世界の尊き同志をお迎えする予定です。お二人も、ぜひ、お招きしたい。創価の文化の宝城ですから!

【ハンコック】 嬉しいです。精魂を込めてレコーディングを行った、懐かしい思い出の場所です。
この鼎談(ていだん)でも取り上げてくださったように、今回、賞を頂いたアルバム「イマジン・プロジェクト」は、異文化への尊敬や、我々は皆、同じ「人間」だと認識することの大切さについて表現した作品です。

 池田先生が常々、語られている通り、私たちは同じ「ルーツ」(起源)からきており、同じ「母なる地球」から生まれ出ています。言語や文化の違いはあっても、はるかに似通っている点が多い。ですから、お互いに「人間」として、我々が望むグローバル化(地球一体化)を積極的にデザインして、その建設と創造へ、何かを始めよう!
と呼びかけています。

【池田】 素晴らしいことです。

 互いに励まし合い、生きる喜びや感動を広げながら、よりよき未来へ、具体的な行動を起こしていく ── 。そこには、弾む生命の共鳴があり、前進のリズムがあります。

 わが創価の友は、今日も希望に燃え、勇気に燃えて、日本中、世界中で、社会に貢献しています。大震災の被災地でも、愛する地域の復興のために、皆、懸命に尽くしています。

 この誉れの同志に、魂の凱旋曲(がいせんきょく)を贈ってくれているのが、お二人です。

【ハンコック】 ありがとうございます。

 人々が生命の低次元の境涯から抜け出して、お互いを必要としていることに気づき、皆が真に幸福でなければ誰も真に幸福にはなれないことに気づけるように、人々を励ますため、私たちのやるべきことはたくさんあります。

【ショーター】 皆がお互いを必要とするという点は、音楽も同じです。というのも、作曲していると、一音一音が「人格」を備えているように感じます。組み合わさることで、すべての音が動き出し、別の音へ変化し、成長していくのです。そこでは、どの音も、他の音調なしには、完全な音にはなれません。

 これは、SGIの会合や活動にも当てはまるのではないかと思います。そこではあらゆる種類の人たちが、同じ人間として、対話し、自分の考えを述べ合い、研鑽(けんさん)するので、自分自身を磨き、成長できる可能性が一段と高まるのです。

【池田】 嬉しい発言です。

 万人成仏の道を示したのが法華経です。その会座(えざ)で、竜女(りゅうにょ)は、頑(かたく)なに女人成仏を信じようとしない増上慢の舎利弗(しゃりほつ)らに対して、「我が成仏を観よ」と叫びました。

 御書には、これは舎利弗を責めた言葉であると説かれています。すなわち、自らと関係のない「竜女の成仏」と思うのは間違いであり、「我が成仏」すなわち自分自身の成仏と捉えていきなさい、との叱責が込められているといわれるのです(御書747ページ)。

 独りよがりではない。皆が切磋琢磨しながら、共々に成仏という最高の幸福境涯を開いていくのが、私たちの創価の世界です。だから、苦しんでいる人、悲しみに沈む人を放っておけないのです。

【ハンコック】 学会の座談会には、対話があります。それは、一方通行ではなく、誰もが自分の人生や生命の法則に関する質問ができる場であります。私たちの座談会では、池田先生の指導を大いに学び合うので、この会合を「池田大学」と呼んでいます。

【池田】 人権の闘士・キング博士の盟友であるハーディング博士との対談でも話題になりましたが、アメリカの同志たちの間では、体験を「シェアする(分かち合う)」ことが大切にされていますね。

 幸福や喜びは、独り占めしようとしたり、奪い盗ろうとすれば、消え去ってしまう。分かち合えば、それだけ大きくなり、永続していくものでしょう。

 今、東北をはじめ被災地でも前進と希望を掲げ、座談会が行われています。そこでは被災した同志が、悲しみを分かち合い、励まし合い、歌を朗らかに歌って、再起を誓い合っています。こうした心の復興が、どれほど地域社会の力になっているかわかりません。

【ハンコック】 学会活動は、人生に信心をどう生かしていけばよいのかという体験を、まさしく「シェアする(分かち合う)」機会です。

 他の人の話を聞き、「そういう思いで祈るのか!」と、一自分では考えなかったような“応用法”を知り、感動するのです。

 私たちは学会活動を通し、メンバーが互いを応援し、支え合い、つながり合うことの価値を学ぶことができます。

 それは決して、上から下へのトップダウンではありません。学会の会合では全員が平等です。幹部などの中心者はいるかもしれませんが、それは他のメンバーより上という意味ではありません。

【池田】 その通りです。偉ぶっている人は、少しも偉くないんです(笑い)。

 中国の妙楽大師(みょうらくだいし)は、「教弥(おしえ・いよいよ)よ実(じつ)なれば位(くらい)弥よ下(ひく)く教弥よ権(ごん)なれば位弥よ高き故に」(同340ページ)と述べています。教えが真実であればあるほど、より低い機根の人をも救えるとの意義です。リーダー論に約するならば、信心が深まれば深まるほど、いよいよ、わが身を謙虚に低くし、より苦労しながら、大勢の人に尽くす生き方です。

【ショーター】 池田先生が、そうしたリーダーの手本を示してくださっていますから、深く理解できます。

 座談会は、他のいくつかの宗教に見られるような、いわゆる信仰告白の場とは違います。普通なら、自分自身の中にしまっておくようなデリケートな話題についても、当惑を恐れず、自由に語り合えます。座談会は、参加者が、それまで胸の内にしまって誰にも明かしたことのないことまで率直に語れる場なのです。

 座談会は、相手の立場に立ち、男女や人種や世代の違い、文化的・地理的な環境の違いによって生じる問題の本質を深く理解していくのに役立ちます。そうした善意と同志を思う精神は、権力や富の獲得のみを願う心とは、まさに対極のものです。

 したがって、座談会は、異なる国の人々が、対話を通してお互いの相違を乗り越え、人類全体の立場に立って力を合わせていくための範例ではないかと思います。

  ── ♪ ──

【池田】 戸田先生は言われていました。

 「社会がいくら暗く、殺伐(さつばつ)としていても、学会の会合だけは、本来、絶対に明るい、自信と勇気に満ちた会合でなければならない」と。

 たとえ行く時には気持ちが沈んでいても、帰りには元気はつらつと、歌を口ずさむような心で帰ることができる。これが、創価の集いです。

 アメリカで、女性として最初に最高裁判所の判事に任命されたサンドラ・デイ・オコナーさんは、語っておられました。

 「社会変革は、立法府や裁判所だけではなく、主に家庭や道ばた、職場において、人々の心を変えていくことにかかっている。私たち一人一人が、成功への重要な役割を担っている」

 私たちは、創価の対話の交響楽を、さらに賑やかに広げていきたい。地道に見えても、ここにこそ、心の支えが見つからない現代社会を蘇(よみがえ)らせる確かな道があるからです。