随筆 我らの勝利の大道 49 11/06/24

◆人間世紀の母の曲  ㊤

――婦人部万歳!創価の太陽に感謝――

――今日も平和と幸福の種を蒔こう――

「法華経の行者」の祈りは叶わぬ事なし


 崇高な
  元初の太陽
     貴女たち
  慈愛で包めや
   あの人この人

 新生の太陽が昇った。
 世界第一の平和と幸福のスクラムである、わが婦人部の結成六十周年の六月。
 「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書一一三五ページ)との御聖訓の通り、創価の母たちは、いよいよ若々しく、ますます福運に満ち満ちて、前進
している。
 全国、全世界で、婦人部総会が活発だ。毎日のように歓喜と決意に弾ける報告を頂戴している。
 東日本大震災の被災地域でも、母たちは健気に、また「負げでたまっか!」「負げでらんね」と励まし合って集っておられる。
 私と妻は合掌する思いで伺い、皆様のご多幸を懸命に祈っている。
 アフリカのケニアからも、婦人部の記念の大会が明るく有意義に行われた様子を伝えていただいた。
 会場は、名門ナイロビ大学の会議場である。多くの来賓や友人が賑やかに集われ、二人の婦人部の方の感動的な体験発表に続き、「母」の歌の合唱、ダンスが披露された。
 さらに、高名な国際弁護士が〝アフリカにおける女性の人権〝について講演され、SGI(創価学会インタナショナル)の草の根の運動に深い期待を寄せてくださった。
いずこの天地でも、妙法の女性は確かな平和と幸福の調べを奏でつつ、「最善の喜び」を創り広げている。
 その生命の歓喜の光は、向こう三軒両隣の地域や、身近な市町村から、大きくは人類社会まで、生き生きと照らしていくのだ。

「白ゆり」の如く!

 婦人部結成の時、戸田城聖先生は詠まれた。

 白ゆりの
  香りも高き
    集いかな
  心の清き
   友どちなれば

 創価の「白ゆり」と咲き出た婦人部を、恩師は最大に慈しまれていた。
 五十五年前(昭和三十一年)の六月、歴史に燦たる〝大阪の戦い〝の大前進のなか、戸田先生と私は、中之島の中央公会堂で意気高く行われた大阪・堺支部合同の婦人部総会に出席した。
 戸田先生は、広宣流布という正義の前進には、大難の嵐のあることを示され、こう指導を結ばれた。
 「たとえどのような三障四魔が起ころうとも、われわれは断じて信仰をやりとげ、おたがいに助けあい、迷うことなく幸福な生活を一日一日と築きあげていこうではないか」
 どんな難が襲いかかってこようとも「負けたらあかん」という関西魂の炎を、恩師はいち早く婦人部の心に灯されていたのである。
 この日、私は申し上げた。
 「大阪中の市民からも慕われるような立派な信心を貫いて、花にも負けず、美しく咲き誇る活動を!」
 これが、恩師と私の二人で出席した、忘れ得ぬ婦人部総会となった。

 ♪母よ あなたは
  なんと不思議な
      豊富な力を
   もっているのか……

 過日の婦人部幹部会(本部幹部会)の席上、男女青年部の「しなの合唱団」「富士合唱団」が、偉大な母たちへの感謝を込めて、美しいハーモニーで「母」の歌を捧げてくれた。
 婦人部「白ゆり合唱団」による、愛唱歌「今日も元気で」等のコーラスも本当に美事であった。
 来る日も来る日も、生き抜く力、負けない力を示して母たちは進んだ。民衆勝利の創価の大前進は、まさしく母の「不思議な豊富な力」のお陰であった。
 母よ!あまりにも尊き母たちよ、ありがとう!
 私が長編詩「母」を発表したのは、婦人部結成二十周年にあたる昭和四十六年の十月四日、大阪市で行われた関西婦人部幹部会である。
 この長編詩から抜粋して、曲がつき、「母」の歌が誕生したのは、その五年後のことであった。
 このたび結成六十周年を記念し、「母」の歌碑が創価世界女性会館に設置され、新たな、そして大きな喜びが広がっている。

ハーモニカの音色

 四月、東北の被災地でも、東日本大震災後初の創価家
族の座談会が開催された。
 宮城県のある座談会――参加者が皆、ありったけの思いを語った最後に、壮年リーダーが、鞄からそっと小さな包みを取り出した。
 ハーモニカだった。
 「婦人部の皆さんのために感謝を込めて、演奏させていただきます」
 ハーモニカから流れ始めたのは「母」の曲であった。
 彼自身も、お母さんの吹くハーモニカに励まされてきたのだという。
 ハーモニカが奏でる「母」の清らかな調べは、優しく、懐かしく、座談会場を包んだ。
 頷きながら耳を傾ける友、小声で口ずさむ友、聴き入るうちに涙ぐむ友……やがて、何ものにも負けぬ尊き母の心を思い、皆の目が明るく輝いていった。
 「母の人生は苦労の多い人生だったけれど、とても勇敢で、喜んで他人のために尽くす人だった。いまわたしたちはその母のために生きなければならない」
 これは、『若草物語』で有名なアメリカの作家オルコットの言葉である。

     ◇

 日蓮大聖人は、千日尼に「此の度大願を立て後生を願はせ給へ」(御書一三〇八ページ)と仰せになられた。
 荒れ狂う濁世にあって、地域の友を抱きかかえて悪戦苦闘する女性リーダーを励まされた御聖訓である。
 広宣流布の大願を立て、自他共に未来永遠の幸福境涯を勝ち開いていく――この御本仏が示された道を、婦人部は晴れ晴れと進んでいる。

絶対無事故を深く

 天までも
  轟きわたらむ
   母たちの
  祈りの深きは
    仏と等しく

 「祈りからすべては始まる」とは、婦人部「実践の五指針」の第一項である。
 今日も母は真剣に祈る。
 深き祈りから、今日一日を始める。決意の祈りを心に抱いて今日を走る。
 母は祈る。強盛に、また決然として祈る。夫の健康を祈り、子の成長を祈り、家族の幸福を祈る。地域の友の活躍と無事を祈る。「事故がないことが勝利!」と、絶対無事故を祈る。
 今日の安穏を祈り、明日の平和を祈る。
 「いつも祈っている母の姿が胸から離れません」と涙を浮かべる青年がいた。
 母の祈りには、限界がない。行き詰まりもない。臆病も弱々しい迷いもない。ひたぶるな祈りの底には、絶望やあきらめを追い払う勇気が燃えている。
 妙法の祈りは、断じて勝つという誓願だ。祈ったその時に、すでに未来の勝利を深く決するのである。
 「因果倶時・不思議の一法」(同五一三ページ)をこの身に行じゆくのだ。
 大聖人は、厳然と約束くださっている。
 「大地はささばはづ(外)るるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(同一三五一ページ)
 これが「法華経の行者の祈り」である。
 大地や大空をも、また大海や太陽をも、わが友の如く励まし、動かしゆくような絶対勝利の力――その大功力を師弟不二で証明してきた信心の女王こそ、尊き創価の婦人部なのである。
 瞬時も止まることなく、大宇宙を回転する青き地球は、この偉大な母たちの題目に包まれているのだ。

善の価値の花々を

 私は、かねてより二十一世紀のビジョンを多次元から提唱してきた。
 「アフリカの世紀」
 「女性の世紀」
 「人権の世紀」
 「対話の世紀」
 「教育の世紀」
 「生命の世紀」……。
 冷笑する人も多かった。しかし私は、未来を見つめ、善の種を蒔いてきた。
 御金言には「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(同九七一ページ)と仰せである。
 祈りを込めて種を蒔き、大切に守り育む。それはそれは、想像を絶する労作業である。だが、この地道な努力の積み重ね以外に、広宣流布の大樹を育てることはできない。
 私と共に、喜び勇んで、来る日も来る日も、仏縁を広げ、一つ、また一つと種を蒔き続けてこられたのが、婦人部の皆様方である。
 どんなに悪口罵詈されようとも、挫けず、弛まず、そこに希望の種を、ここに友情の種を、あそこに平和の種を――と民衆の大地に蒔いてくださった。いな、粘り強く発芽を促し、育んでいかれたのである。
 あらゆる善の価値の花を咲かせながら、皆が幸福に輝く並木路を、私たちは全力で創り開いてきた。
 今、誰人も考えられなかった世界広布の大発展を遂げ、二十一世紀の平和と文化と教育のビジョンも実現し始めている。
 これからも、創価の母たちの「誠実」と「根性」と「賢さ」と「忍耐強さ」がある限り、いよいよ広宣流布の勝利の大輪が咲き薫っていくに違いない。
 「真剣」――この二字で、我らは勝っていくのだ。

 いついつも
  世界の果てまで
    喜びを
  走れ舞いゆけ
     種蒔く母よ

 ――豪雨災害のあった鹿児島、宮崎、熊本など九州の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。また、梅雨入りした東北の皆様、どうかくれぐれもお体を大切に!