2011.06.03 SP 魂の人間賛歌「ジャズと人生と仏法を語る」第10回

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永遠なる前進の曲〔上〕
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【池田SGI会長】このたびの東日本大震災に際して、ショーターさん、ハンコックさんから、万感こもるお見舞いのメッセージ(本紙四月十一日付)を送っていただきました。

 被災地の皆様方からも、深い感謝の声が寄せられております。本当にありがとうございました。

【ウェイン・ショーター】 あらためて、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

 私たちは、今回の大災害に対して、たんなる傍観者でいることなど、決してできません。もちろん、部外者の立場で、今、日本の皆さんが経験している苦しみが分かるなどとは言えません。

 しかし、日本の皆さんが、直面する苦難を乗り越えようとして取られている勇気ある行動と勝利の姿は、よく知っています。心から賞讃したいと思います。愛する日本の皆さんと苦難を乗り越えるため、私自身、共に新たな出発をしようと決意しています。

【ハービー・ハンコック】 私も、ウェインと全く同じ思いです。被災地の同志の方々が、自らも被害に遭(あ)いながら、地域の友を励まし、献身されていることに胸を打たれております。

 学会員が常日ごろから行っている励ましの行動、また信仰活動の中で語り合い、育(はぐく)んでいる慈悲の行動は、大震災の日本において、即座に、そして力の限り実行されたのです。

【池田】 自身は九死に一生を得るも、最愛のご家族を亡くされた方がおられる。大津波で家も職場も根こそぎ奪われた方も少なくありません。それでも、自分より大変な方々のためにと救援活動に奔走している青年たちに、私はこう伝えました。

  ── よく戦ってくださった。よく生き抜いてくださった。よく耐え抜いてくださった。

 そして、創価の精神を発揮して、人々の大救済に命を懸けて戦い続けてくださっている。感謝しても感謝しても感謝しきれない。

 君たちの体験こそが、学会精神の真髄であり、誉れである。,

 君たちの献身こそが、師弟の魂の脈動であり、誇りである ── と。

【ショーター】 池田先生のご指導のもと、私たちは、いつも人間の生命や尊厳と関わっています。非常時だけでなく、ふだんから、お互いに支え合い、より人間らしく進歩し、成長できるよう助け合っています。

 人類の歴史は一面、「分断の歴史」といえるかもしれません。しかし、私たち創価の連帯には、慈悲の行動を通して、「全人類を結びつける」使命があるのだと思います。

【池田】 その通りです。今回、世界中から、お見舞いのメッセージをいただきました。一つ一つが、尊き真心の宝の言葉です。

 エマソン協会のサーラ・ワイダー元会長も語ってくださいました。

 「体験を共有することで、人と人との、より深い結びつきも生まれます」

 「その体験は、必ずしも成功にあふれたものではなくともよいのです。人々が直面する困難や、それを乗り越えようとする挑戦の物語に、心から耳を傾け合うところに、癒やしの力が生まれるからです」

 厳しい試練の中だからこそ、互いに人間の善なる心を胸に深く光らせ、絆を強めることができます。世界の心ある識者も、被災地の方々の人間味あふれる励まし合いの姿に、人類の明日への希望を見出すことができたと、共感のエールを送ってくださっています。

【ハンコック】 本当に想像を絶する大災害でした。皆、「なぜ、こんなことが起こったのか」と問わずにはいられない心境と察します。しかし、何にもまして重要なことは、「私たちは、これから何をすべきか」と共に考えていくことではないでしょうか。

【池田】 そうですね。日蓮大聖人の「立正安国論」は、こ存じのように、鎌倉地方を襲った前代未聞といわれる“正嘉(しょうか)の大地震”(一二五七年)を機縁として執筆されました。

 冒頭は「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)・遍(あまね)く天下に満ち広く地上に迸(はびこ)る」(御書17ページ)という客人の悲嘆から書き起こされています。それは、まさしく、当時の人々が抱いていた“なぜ、こんなことが”との思いであったことでしょう。

 その痛切な憤俳(ふんぴ=言い表せぬ憤り)を分かち合いながら、大聖人は対話を進められていきます。そして経文に照らして邪見を正され、遂には客人が共に「速(すみやか)に対治を回(めぐら)して早く泰平を致し」(同33ページ)との行動の決意に立ち上がるまで導いていかれるのです。

 とくに大聖人は、仏法の明鏡(めいきょう)の上から、大地震などの天災、飢饉や疫病に続いて、さらに「他国侵逼(たこくしんぴつ)の難」「自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難」という戦争や内乱を起こすことがあっては断じてならぬと、為政者に厳しく警鐘を鳴らされました。

 とともに、苦難の時代を生きる健気(けなげ)な庶民には、「大悪をこれば大善きたる」「各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300ページ)と絶対の希望と勇気を贈られたのです。

 大切なのは、対話を手放さないことです。正しき哲学を打ち立てるために、一歩、前へ踏み出すことです。自分につながる、すべての人々と共に!
今から広がる、明るい未来のために!

【ショーター】 本当にそう思います。被災地へのメッセージでも触れましたが、私が妻のアナ・マリアを飛行機事故で失ったのは、一九九六年の七月十七日のことでした。すぐに、池田先生から励ましの言葉をいただきました。

 「奥様は、あなたの心に永遠に生き続けていきます。二人は永遠に一緒です」「ときには、深い孤独と悲しみを覚えるかも知れない。しかし、苦難が深いほど、人生の真価は輝くのです」と。

 この先生の激励を受けて、私は、ただひたすら題目を唱えました。

 悲しみのあまり自暴自棄になり、自分を破滅させることもあり得たでしょう。恐らく車を暴走させて崖から転落したり、酒に溺れてしまったりしていたかもしれません。

 しかし私は、もし自分が、「人間にとって音楽が意味するもの」を追求し続けなければ、妻は悲しむだろうと考えました。そして、作曲の仕事を続けることが、自分の使命なのだと思えるようになりました。

 先生が断言してくださった通り、妻は私の心の中に生き続けていました。

 「そうだ! 妻を失望させてはいけない。彼女は私がどう生きていくのかを、陰から見守っているはずだ」そう思ったのです。

 こうして四、五週間後には仕事に復帰し、日本への巡業へと旅立ちました。

【池田】 家族を亡くされた方々に励ましを贈るため、あえてご自身の辛い体験を語ってくださいました。胸が強く揺さぶられます。心から感謝します。

 日蓮大聖人は、夫を失った南条時光のお母さんに、“ご主人はきっと霊山浄土で、この世界のご家族の様子を昼夜に見守っておられるでしょう”と励まされました。そして「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」(同1504ページ)と仰せになられています。

 後継の家族が毅然と立ち上がり、勝ち栄えていかれることが、亡くなられた方の成仏の何よりの証明です。

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【ハンコック】 よく分かります。

 あの時、ウェインが、ほとんどの時間を周囲への励ましに費やしていたことを覚えています。

 アナ・マリアさんは多くの人々にとって、大切な友人でした。ウェインは、その人々を慰めることに時間を使っていたのです。ウェインが慰められていたのではないのです。

 ウェインは、強さと勇気を兼ね備えていました。それらの特性は、仏法の実践を通して生命から発するものでした。じっと動かないのではなく、むしろ、この悲劇によって苦しんでいる友を積極的に助けようとしました。私は、その行動に脱帽します。

 ウェインは、自身の振る舞いを通して、日蓮仏法の信仰者としての真髄を示してくれたのです。

【ショーター】 ありがとう! ハービーが妹のジーンさんを飛行機事故で亡くした時も、立派な信仰者の振る舞いで、周りを勇気づけていたことを、私は忘れておりません。

【池田】 ジーンさんは、現金を自動で引き出せるATMのシステムを開発するなど、天才的な女性だったと伺っています。音楽にも造詣が深く、ハンコックさんと共に作曲された曲で、グラミー賞も受賞されていますね。兄妹で美しい生命の讃歌を綴り残してこられました。

【ハンコック】 ありがとうございます。妹は、まさに驚異的な人間でした。学問にしろ、スポーツ、音楽にしろ、手を付けたことは何でも、極めてよくできました。旅行雑誌へ手記を寄稿したこともありました。しかし、一九八五年、飛行機事故で亡くなったのです。

 事故の知らせを聞いた瞬間、私は、何よりも、母のことが心配になりました。母親にとって、わが子に先立たれること以上に悲惨なことはありませんから……。

 しかし、駆けつけてみると、三十人近くの人が集っていましたが、惨事で亡くなったにもかかわらず、明るい雰囲気で、皆が妹を偲び、その人生を讃えていました。母も一緒になって、妹のために題目をあげ、妹の生涯を讃嘆していたのです。妹が特別な存在だったことを、全員が確信していました。私には、これこそ彼女が望んでいたものだったと感じました。

【池田】 気高き妹さんの人生の大勝利の象徴ですね。

 多くの方々から惜しまれ、偲(しの)ばれることは、それ自体が「成仏」の目に見える証拠といえます。そのことは、自ずとご家族に感得(かんとく)されていくものでしょう。これは、学会の友人葬で感銘を広げる清々(すがすが)しい光景でもあります。

 ともあれ、人生の途上にはさまざまな試練があります。仏法で「八苦(はっく)」の一つとして「愛別離苦(あいべつりく)」があげられているように、最愛の家族との死別は、ことのほか深い悲しみです。

 日蓮大聖人は、その悲嘆に寄り添っていかれました。武士のわが子を争いで亡くした母へのお手紙の中では、「たとえ火の中に入ろうとも、また自らの頭を割ってでも、わが子の姿を見ることができるならば、惜しくはないと思われることであろうと、心中が察せられて涙がとまりません」(同930ページ、通解)とも仰せになっています。

 さらに、南条時光の弟が十六歳の若さで急死したとの訃報(ふほう)に対しては、「人は皆、生まれては必ず死ぬ定めであることは、万人が一同に承知していることですから、その時になって、はじめて嘆いたり、驚いたりするべきではないと自分も心得て、人にも教えてきました。しかし、実際にその時に巡りあってみると、夢か幻か、いまだに分からないのです」(同1567ページ、通解)とまで綴られています。

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【ハンコック】 胸に染み入る言葉です。妹が亡くなった後、私自身は、なぜか、しばらく涙が出ませんでした。

 私はそのことに不安を覚えていました。“なぜ、泣けないのだろう”と。

 妹ジーンの死からしばらくたって、彼女が好きだったハワイの海に、遺灰(いはい)をまくことにしました。両親と私、そして私の娘でハワイに行き、遺灰の入っていた骨壺を抱えた時、私は、ついに初めて泣き崩れて、涙を流しました。

 まだ小さかった娘が、鳴咽(おえつ)している私を見て、「お父さん、お父さん、大丈夫?」と声をかけてくれました。私は「ああ、大丈夫だよ、いや、それ以上になったんだよ」と応えたことを思い出します。その時、やっと自分の思いを外に出すことができたのです。

【池田】 よく分かります。

 御聖訓にも、「故聖霊(こ・しょうりょう=亡きご家族)は法華経の行者でしたから、即身成仏は疑いありません。だから、嘆いてばかりいることはないのです。しかしまた嘆かれるのが、凡夫の道理でありましょう。ただし聖人の身の上にも、この嘆きはあるのです