随筆 我らの勝利の大道 47 11/05/25

◆青年の新たな陣列 ㊤

――賑やかに若き生命よ躍り出よ――

新生の息吹で「友情」と「仏縁」を拡大

 賑やかに
 若き大軍
  立ち上がれ
 広宣流布の
   時は今かと

 フランスの文豪ロマン・ロランの戯曲に、天空を仰いで放たれる叫びがある。
 「あらゆるものは前進する。地球、事物、人と同じく空もまた進む」
 ――今、まばゆい青葉の彼方に広がる、無限の青年の大空よ!白き雲も舞い飛ぶ、颯爽たる青嵐よ!
 さあ、我らも新たな前進だ!若き地涌の菩薩たちが勇んで躍り出た。
 新青年部長、新男子部長、新女子部長が誕生して、清々しい〝青年学会〝の新出発、本当におめでとう!
 結成六十周年という新生の時に、新しい勝利の大道を新しい力の結合で、思う存分に開いてくれ給え!

前進勝利のために

 半世紀前、カナダ・ケベック州に広がった民衆意識と社会の非暴力改革「静かな革命」の礎を、文学を通して築いた女性、ガブリエル・ロワは綴った。
 「若さとは常に、命のきらめきを分かち与えてくれる」
 誠にその通りだ。
 いわんや妙法は、永遠なる若さの源泉である。
 ゆえに、学会の組織は、常に青年を先頭に、若々しく生き生きとした生命体であらねばならない。それが「広宣流布」という民衆救済と平和創造の行動体としてのきらめきである。
 だからこそ常に――
 新しい息吹を入れる。
 新しい刺激を与える。
 新しい決意で奮起する。
 人事もすべて、広宣流布のさらなる前進のためだ。全員が勝利し、全員が仏の生命を開きゆくためだ。

    ◇

 中国の文化界のリーダーである高占祥先生(中華文化促進会主席)は、私との対談「地球を結ぶ文化力」で論じておられた。
 「新たな時代の指導者として、最も重要なのは――
 ①人材を求める心
 ②人材を愛する徳
 ③人材を用いる大胆さ
 ④人材を育てる道理
 ⑤人材を受け入れる度量である」と。
 どれだけの人材を育て、伸び伸びと力を発揮できる舞台を開いたか。そこに、進歩と発展への鍵があり、指導者の真価も現れる。
 牧口常三郎先生が展望されていた「人道的競争」も、どれだけ平和と正義の人材を育成したか、その競争といってもよいのだ。
 組織の人事の交代にあっても、これまで戦ってきた先輩は、登用された後輩たちの活躍を、わが喜びとし、誇りとしながら、共に向上と躍進へ、一段と加速していただきたい。

師子吼に呼応して

 御聖訓には仰せである。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書九〇三ページ)
 広宣流布は、師匠と心を同じくする弟子の総決起によって成し遂げられる。
 六十年前の五月、第二代会長に就任した、わが師・戸田城聖先生は、大折伏の誓願を叫ばれた。その師子吼に応えて立ち上がった陣列こそ、青年部である。
 師が命を賭して掲げられた「大法弘通」「慈折広宣流布」のために、私も力の限りを尽くして、戦いの火ぶたを切ったのだ。
 まさに、この五月にも、新来の友を招いて、地区の座談会を活発に行った。
 しかし、なかなか入信には至らない。当時の私の日記には、悪戦苦闘の心情が折々に綴られている。
 「どうして、こんなに、正法を、信仰を、求めぬのだろうか?」
 「妙法の力により、いつかは、必ず、信心させて貰いたいと、乞うて来る日が来ることだろう。それまで、頑張ろう。……頑張っていれば良いのだ」
 「正法を、深く、汝自身が理解することだ。
 正法を、広く、汝自身が広めゆくことだ。
 正法を、強く、汝自身が生活に生かすことだ」――
 正法を一人ひとりが受持しゆくことが、行き詰まらざる人生を歩む道である。また、正法を時代の原動力としていくことが、光輝ある幸福と平和な社会の建設につながる。私は、そう確信して、仏法対話を一波また一波と起こしていった。
 そして六十年――。今、世界百九十二カ国・地域に正法は千波万波と広がり、仏法を墓調とした「平和」「文化」「教育」の三色旗は高々と翻った。恩師の切望された「旗持つ若人」も澎湃と続いてくれている。

    ◇

 間もなく、ナポレオン家の子孫であるシャルル・ナポレオン公と私との対談集が発刊される予定である。
 その中で「指導者論」が大きな焦点となった。
 私は師から学び、心がけてきた三点を申し上げた。
 一、自分自身は偉くなることを求めない。皆を偉くしよう。
 二、家柄や学歴、社会的地位などで差別することは絶対にしない。皆、人間として平等に大切にしていこう。
 三、第一線で、一生懸命に健闘してくれている人を最大に大事にしよう。慢心や要領のある幹部には、あえて厳しくしよう。賞罰を明確にし、公平にして、皆がやる気を奮い起こして団結していけるようにしよう。
 ――これには、ナポレオン公も、深く共鳴してくださった。
 ナポレオン公は、こう言われている。
 「ナポレオンは、『強い意志』と『聡明なビジョン』、そして『自由な思考』をもって、力ある青年を結集していくならば、錯綜した苦難の渦中にあっても、必ずや、それを突破して、時代を転換する偉業を成し遂げることができることを示しました」
 実際、ナポレオンが世界に躍り出る勢いとともに、新進気鋭の人材が次々に台頭していった。
 一七九九年、フランス共和国の第一執政に就任した時、ナポレオンは何歳であったか。三十歳である。
 若き指導者を中心に、意気盛んな同世代の青年たちが固まり、さらにその核の周りに、広く社会から進取の英知と力が結集していったのである。若さから迸るスピードにこそ、他を圧倒する強さがあったとも分析されている。
 ともあれ、今日ほど青年の熱と力の糾合が待望されている時代はあるまい。
 わが青年部が、満を持して、今再びの「拡大」に挑む時が来たのだ。
 それは、人間革命による自らの境涯の拡大である。
 また、勇気の対話による友情と仏縁の拡大である。
 そして、信念の行動による社会貢献の連帯の拡大なのである。

娘の祈りと真心で

 正しき信仰は、自分だけではなく、家族も、友人も、縁する眷属も、皆を幸福へとリードしていける究極の力である。
 釈尊の時代に、純真に信仰に励むローヒニーという女性がいた。彼女の父は、仏法に無理解であった。
 ある時、世間の悪口を挙げ、なぜ仏教徒になったのかと、娘を問い詰めた。
 「おとうさん」と、聡明な娘ローヒニーは答えた。
 「あなたは〈道の人〉たちのことを、わたしに尋ねてくださいました。わたしはあなたに、かれらの智慧と戒行と努力とをほめたたえましょう」
 娘は、父の誤解を解きほぐすように〈道の人〉――釈尊と弟子たちの真実を、明快に語っていった。
 「かれらは、働くことを欲し、怠けず、すぐれた活動をなし」「清らかな行ないをなし、三種の悪の根本を除き、あらゆる悪を捨てています」
 「種々なる家から来て、また種々の国々から来ていますが、相互に親しんでいます……」
 真剣な娘の話に、父は心を動かされていった。
 「ああ、そなたは、われらのために、〔この〕家に生まれたのだ。そなたは、ブッダと真理の教えとにたいして信仰あり、修行者の集いにたいして熱烈な尊敬心をもっている……」
 娘が〝おとうさん、信心しましょう!〝と語りかけると、父は頷いた。
 「わたしは、そのようにみごとなブッダと、真理の教えと、修行者のつどいとに帰依します」
 ――理解してもらうまで時間のかかる場合もある。しかし、娘の祈りと真心は必ず父に通ずる。父の心を変える時が必ず来る。
 信仰のことで家族が争う必要はない。日頃の親孝行を心がけ、自分が成長する姿を見てもらって安心していただければよいのだ。
 御聖訓には、「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり」(同一五二八ページ)と仰せである。
 わが華陽の乙女たちは、幸福の太陽である。
 一家にあって、地域にあって、社会にあって、朗らかに女子部が立てば、そこから明るい希望の光が、燦々と輝き出るのだ。

 華やかに
 心光りし
   青春の
 高貴な城をば
  日々に築けや