随筆 我らの勝利の大道 45 11/04/20

◆聖教は永遠に師子吼

皆の力で正義の城は厳然

創刊60周年 我らは信念の言論で勝つ

さあ今日も民衆に勇気と希望の光を!

 「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」(御書九八六ページ) 病魔と闘う健気な母を励まされた御聖訓である。 日蓮大聖人は、さらに、「而して法華経にあわせ給いぬ一日もい(活)きてをはせば功徳つもるべし」(同ページ)と強く仰せになられた。 かけがえのない一日だ。我らは今日も妙法を唱え、信心即生活、仏法即社会という最も正しき生命の軌道を、真剣勝負で進み抜く。 どんな苦難が立ちはだかろうと、我らは恐れない。一歩また一歩、勇敢に踏み越え、今日という一日に「極楽百年の修行」(同三二九ページ)に勝る宇宙大の「心の財」を、明朗に積んでいくのだ。 この価値の日々に、弾む活力と息吹を贈り続けているのが、聖教新聞である。

晴ればれと  
今日も生き抜け   
戦いて  
わが人生の   
誉れを残せや

師弟不二の大闘争

 おかげさまで、聖教新聞は、新たな決意を燃え上がらせて、輝く創刊六十周年を迎えることができた。 戸田先生の事業が窮地に陥った渦中、激しい攻防戦を続けていた恩師と私の師弟の間で着想され、全くのゼロから立ち上がった機関紙こそ、聖教新聞であった。 仏法では、「師子吼」とは師弟不二の言論戦を意味する。まさしく聖教は、師弟共戦、異体同心で、正義の師子吼を広げ抜いてきた。 一万七千号を遥かに超える脈々たる精神闘争の軌跡は、無数の友の熱誠で成し遂げられた。 「少数の個人の力で時代が創造されるものではない」とは、大指導者・孫文を陰で支えたジャーナリスト、戴季陶の言葉である。彼の筆名は「戴天仇」――旧王朝を不倶戴天の仇と定めて、言論の牙を研いだ。 目覚めた民衆の力が大河のように合して、滔々と流れてこそ、時代は動き、社会は変わる。民衆の中で生まれ、民衆に育まれた聖教新聞は、永久に民衆と共に進む正義の言論城である。 読者の皆様をはじめ、聖教を愛し、支え、育ててくださったすべての方々に、私は満腔の感謝を捧げたい。

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広宣は  
無冠の友の     
足音に

 新聞は「総合力」の結晶である。団結の象徴だ。 記事、見出し、写真、広告などの掲載情報はもちろん、紙面を組み上げて電送するシステム、紙やインクの調達、印刷、輸送、そして最前線の販売店、配達員、通信員の方々いかに多くの皆様の努力と真心に支えられていることか! 今回の大震災のなか、この偉大な総合力に深謝せずにはいられなかった。 震災直後から、不眠不休で救援に当たるリーダーたちと共に、記者は被災者のもとへ走り続けてくれた。 宮城、福島、岩手、青森、茨城等の印刷所の方々も、トラブルを復旧し、印刷の体制を整えてくださった。トラックでの配送も、悪路のなか、どれほど困難を極めたことであろうか。 宮古市や石巻市などで、避難生活を送りながら、必死に配達に奔走してくれた販売店の友らもいた。 道路は寸断されている。配達員の方々と決めていた新聞置き場も津波で流されて、どこか分からない。 そんな状況でも、懸命に連携を取り合い、皆で協力して、避難所にいる友へ、一部また一部、丁寧に配ってくださったのだ。 震災から数日、一般紙も配られていないなかで、聖教新聞だけが配られていた地域もあったようである。日頃、車やバイクを使って配達されていた方々も、ガソリン不足のために、自転車や徒歩で回ってくださった。家族あげての応援も、ありがたい限りだ。献身のリレーによって、聖教は届けられたのである。 だが、街の大半が流されてしまった地域もある。被害はあまりにも甚大だ。 私と妻は、犠牲になられた方々に、重ねて懇ろに追善の題目を送らせていただく毎日である。 新聞の宅配が不可能な事態に陥った場所も少なくない。販売店、配達員の皆様が、どれほど辛く、悲しい経験をされたことか。その苦衷に、私も胸を衝かれる思いである。しかし、心は断じて負けてはならない。私たちは、いやまして強盛に「立正安国」を祈る。やがて再び手にした聖教新聞の周りに、希望の歓談の輪が広がる日々の蘇生を願う。 全宇宙の仏天よ、尊き〝無冠の友〝を守りに護り給え!と祈り、叫ばずにはいられない。 日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書一五三ページ)と仰せである。 文字の力によって民衆を救う――この蓮祖の大精神のままに、我ら学会は、聖教新聞と共に、世界広宣流布を進めてきた。 民衆救済への大熱情が込められた聖教新聞を配り、誠実一路に広めゆかれる、配達員、新聞長をはじめ同志の皆様方の福徳は、折伏弘教の功徳にも劣らない。生々世々、燦然と輝きわたっていくのだ。

広宣流布の大旗を

 「信念とは何ぞや?」 これは、戸田先生が聖教新聞の記念すべき創刊号、すなわち昭和二十六年四月二十日付の一面に執筆された論説の大見出しである。 先生は「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」と宣言され、今こそ「勇まなくてはならない」と訴えられたのであった。 この世のありとあらゆる悲惨に挑んで、民衆の一人ひとりが絶対的な幸福を勝ち取るため、そして現実の社会に平和と安穏と繁栄を築きゆくため、我ら師弟は「広宣流布の大旗」を掲げて立ち上がったのだ。 いかなる三障四魔の濁流が襲いかかろうとも、我らは正義の使命の旗を断じて手放さない。誉れ高き、その大信念の旗印こそ、聖教新聞である。 御書には、「ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」(一一三八ページ)と記されている。 圧迫に屈しない一貫した信念の言論には、時とともに必ず良識からの信頼を勝ち広げる力があるのだ。

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 戸田先生は、あの「大阪の戦い」に臨んだ昭和三十一年の年頭の聖教新聞には、「社会に信念の人を」と寄稿された。 先生は、当時の日本の指導者層に蔓延する「頼りなさ」「底の浅さ」を憂慮されていた。ゆえに、民衆が賢明になり、力を持たねばならない。そして「生き生きとして、はちきれるような生命力」をもった〝信念の人材〝を育てなければならない。そのために「正しい宗教によって生命力を強める」のだと、その意義を力説された。現代の日本社会は、さらに確固たる〝信念の人材〝を渇望しているといっても過言ではあるまい。 揺るがぬ「生命尊厳」の信念をもって、民衆のために満々たる生命力で貢献しゆく人間指導者を、私たちは胸を張って、地域へ社会へ送り出していくのだ。

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 東北が生んだ信念の偉人・新渡戸稲造博士は、「新聞の力はきわめて重大」と叫び、自ら健筆を揮った。私どもの先師・牧口常三郎先生とも交友が深く、創価教育に共感を寄せておられた博士は言われた。 「『〝黄金時代〝』はわれわれが自ら作るものである」「われわれ自身の思想と行為によって、金ともなれば鉛ともなる」と。

黄金時代の柱たれ

 日本は、この大震災を乗り越え、復興への坂を断固として登り切り、新たな人間共和の「黄金時代」を何としても作っていかねばならない。 聖教新聞は、その言論の黄金柱として、いよいよ強く厳然と光っていくのだ。 聖教新聞は、今や「セイキョウネット」を介して、全世界に発信されている。この五月三日からは、「セイキョウオンライン」としてリニューアル(一新)され、更に内容・サービスが充実するとも伺った。世界が聖教の動向を見つめる新時代が到来しているのだ。 私が対談したアメリカの未来学者ヘンダーソン博士も語ってくださった。 「民衆のスクラムを広げながら、一歩また一歩と道を切り開くこととともに、メディアを有効に活用しながら、メッセージを呼びかけていくことが重要だと思います。 この点でも、『聖教新聞』は、成功を収めているのではないでしょうか」と。 暗いニュースが打ち続く時代だからこそ、人間の善性に光を当て、民衆の結合を強め、よりよき人生と社会を築くために、励ましのエールを贈りたい。 御手紙を通して、幾多の門下に生きる力を贈られた大聖人の御心を拝し、聖教新聞は、生きる勇気と希望を発信していくのだ。 大聖人の御執筆は、迅速であられた。門下からの急な報告にも、使者を待たせぬよう即座に御返事を認めて託してくださることも、しばしばであられた。 速さは慈悲であり、誠意である。勝利の力である。 創価学会は、これからも万事にわたって〝誠実なスピード〝で勝ち進むのだ。

負げでたまっか!

 先日、聖教新聞の一面に、福島県の母たち、乙女たちが手に手を取って、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」を大合唱する写真・記事が掲載された。その躍動の姿に、妻は胸を熱くしていた。 「絶対に負げでたまっか!」――東北の母の命の叫びが、紙面から響いてくるように思えてならない。 草創期、中米のドミニカ共和国へ、日本から農業移住した友は、故郷の母から送られてくる聖教新聞を握りしめ、荒れ地を開墾し、広布の開拓に走った。 聖教は、〝どんな苦労も必ず変毒為薬できる〝という、母の祈りの便りでもあったのだ。 今や、ドミニカ共和国SGI(創価学会インタナショナル)は大発展を遂げた。昨年の隣国ハイチの大震災に際しても、直ちに手を差し伸べ、共々に前進してこられた。

人間の底力を触発

 聡明な華陽の姉妹が決意を込めて届けてくれた箴言集に、アメリカの作家・ストウ夫人の言葉があった。 「進退きわまって、すべてが思い通りにいかなくなり、もう、少しも耐えられないと思うようになっても、決してそこで諦めてはいけない。形勢が一変するのは、まさにその場所、その時からなのだ」 その通りだ。これこそ、人間生命の底力である。 「失望」を「希望」に! 「落胆」を「勇気」に! 「諦め」を「執念」に! 何があってもへこたれず前へ前へ突き進んでいく。その究極の力こそ、「絶対勝利」の信心である。 聖教新聞の最大の強みは何か。尊き母たち、女性たちが温かく支持し、愛読してくださっていることだ。 聖教の創刊六十年は、婦人部の結成六十年と一体不二の歴史でもある。 めぐり来る五月三日は、「創価学会母の日」である。目覚ましく伸びゆく青年と一緒に、偉大な母たちへ勝利の讃歌を捧げたい。 さあ、聖教と共に―― 人びとに喜びと安心をもたらす「智慧の対話」を! 庶民を苦しめる悪を打ち破る「正義の対話」を! 新しい未来を断固と勝ち開く「信念の対話」を!

勝ちまくれ  
師子となりて     
走りゆけ  
遂には笑顔の     
勝利の万歳