随筆 我らの勝利の大道 44
11/04/07

◆庶民の勝利が学会精神


関西魂は世界の光なり

 温かく
  また絆も強き
    同志かな
  創価の家族は
     世界の柱と

 戸田城聖先生は、烈々と師子吼された。 「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上には、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」 昭和三十年、懐かしき大阪・中之島の中央公会堂での宣言である。 ただ苦しみ悩む民衆のために!これが立正安国を誓願する学会精神である。四月二日、恩師の祥月命日を迎え、いやまして創価の負けじ魂は燃え上がる。 「負けじ魂」とは、そもそも日蓮大聖人が御聖訓に記されている言葉である。 今回の大地震・大津波の後、学会では直ちに各地の会館を一時避難所として開放し、被災者の方々の救援に全力で当たってきた。懸命に助け合い、励まし合ってきた。現地での不眠不休の献身に、感謝は尽きない。 学会本部の要請で寄せられた救援物資の中には、関西から届いた「負けたらあかん」と染め抜かれたタオルもあった。それを手に、勇気を湧き立たせた友も多かったと伺っている。 十六年前、あの阪神・淡路大震災を耐え抜き、不死鳥のように復興を遂げてきた関西である。この不屈の心こそ、関西魂だ。 兵庫が生んだ哲人・三木清は「闇の中へ差し入る光は最も美しい」と叫んだ。 深い闇に覆われた時代だからこそ、我らは手に手を取り合って立ち上がる! 「人間の力がどれほど尊極であるか」を示し、そして「民衆の連帯には勝ち越えられぬ苦難はない」ことを実証し抜いて、世界に希望の大光を贈りゆくのだ。

一念に辛労尽くし

 昭和三十一年の「大阪の戦い」に臨むに当たって、私は日記に書き記した。 「仏天の加護を信ずるのみ。いや、美名にかくれた言語でなく、全魂を傾け、全霊を尽くして、初めて、仏天の加護を願うことだ」 師匠の広宣流布の構想を実現するために、何が何でも、断固として勝ってみせる!滾り立つ闘魂の塊となって、青年の私は関西に突入した。 常に生命に刻む御文は、御義口伝の二念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書七九〇ページ)の一節であった。 通途の仏教では「億劫」という長遠の修行を積み重ねて、初めて成仏できると説かれる。しかし日蓮仏法では、妙法を信受し、立正安国のため、すなわち人びとを幸福にし、社会を安穏にするために、苦難を恐れず勇猛精進することが、既に〝億劫の辛労を尽くす〝修行を行じているのである。ゆえに、その一念には、本来、わが生命に具わる仏の偉大な力が沸々と湧き上がってくるのだ。 関西の友は、私の心を心として、広宣流布の勝利のため、どんな苦労も厭わぬという決心で、祈り動き、語り戦ってくれた。地面を這うが如き庶民の奮闘によって、いかなる障魔も打ち破る仏の勢力が大結集していったのである。 「決意した民の行進の足を、何ものも押しとどめることはできない」――これは、同時代、アメリカで公民権運動を指揮していたキング博士の信念であった。

一人一人が建設者

 「やればできる」と皆が自信をもち始め、新しい人材が躍進し始めるなかで、重要な跳躍台があった。昭和三十一年の四月八日、難波の大阪球場で行われた大阪・堺の連合総会である。 この日は雨であった。 だが、皆、降りしきる雨など物ともせず、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)との御文を身で拝しつつ、意気軒昂の大総会を飾ったのである。この愛弟子たちの勇姿を、恩師も嬉しく見守ってくださった。 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(同一一九〇ページ)と仰せの如く、関西の全闘士が「師子王の心」を奮い立たせていったのだ。 大阪支部の弘教は三月が五千五世帯、四月が九千二世帯と躍進した。 そして、戸田先生の会長就任五周年を迎えた五月、不滅の一万一千百十一世帯の金字塔がそびえ立ったのである。 その一世帯一世帯に、誠実と慈愛の人間ドラマがあった。その一人ひとりが、濁世末法に妙法を弘め、証明しゆく尊き地涌の菩薩である。 折伏した人も、新たに入会した人も、全員が妙法の大功力を体得し、幸福になってもらいたい。地域と社会の依怙依託となってもらいたい――私は、そう祈り続け、励まし続けた。 ともあれ、人生に迷い、苦悩に沈んでいた民衆が、今や生きる喜びと自信をもち、毅然として頭を上げたのだ。社会の谷間で孤立していた庶民が明日への希望のスクラムを組んで、新たな社会建設の主役として胸を張って躍り出たのだ。 アメリカの仏教研究家クラーク・ストランド氏は、「学会における師弟の絆は、弟子に根底から自信を与え、成長させるものなのだ」と強調されていた。

執念・勇舞・団結

 なぜ関西で「〝まさか〝が実現」の民衆の勝利劇が成し遂げられたのか。当時を振り返って、草創の母は、こう語っておられた。 「一つは最後までやり通す執念。もう一つは喜んで実践し抜く姿勢。それと、団結ですわ。みんなホンマに仲が良かったです」本当にその通りである。 第一に、執念で勝つ。 御書にも「今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(同一四四〇ページ)と、最後まで歩み切る総仕上げの重要性を教えられている。 第二に、喜び勇んで勝つ。 「まい(舞)をも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」(同一三〇〇ページ)との御金言のまま、皆が全生命を歓喜に躍動させ、底力を発揮していくのだ。 第三に、団結で勝つ。 ♪君が愁いに 我は泣き  我が喜びに 君は舞う 名曲「鳴呼黎明は近づけり」に謳われる通りの究極の人間の絆が、関西には結ばれている。創価の師弟は、この強靱な絆を広げ抜いてきた。だから強い。絶対に負けないのだ。

     ◇

 昭和三十一年の八月、大阪の大勝利を受け、新しい十六支部が誕生した。 京都をはじめ関西の四支部、札幌をはじめ北海道の四支部、さらに秋田、新潟、大宮、浜松、名古屋、岡山、高知、そして福岡――と直接、新生の支部旗を授与される戸田先生の会心の笑みが脳裏に蘇る。 今年は恩師の第二代会長就任から六十周年――。 日本列島を埋め尽くす、勝利の旗の林立をもって、我らの五月三日を荘厳したいと私は祈っている。

民は強しの歴史を

 阪神・淡路大震災でも、創価の同志は必死に救援の最前線に立つとともに復興の牽引力となった。 甚大な被害の神戸で、「まちづくり協議会」の中心者の一人として、安全で、美しく人情味あふれる郷土の再生に尽力されてきた、わが地域部の壮年は語る。 「あれほどの被害にあっても『もういっぺん、やろやないか!』と団結し、震災に打ち勝った人間の素晴らしさを伝えていきたい」 その負けじ魂は今、東北や関東の被災地に脈打つ。 日蓮大聖人は、「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同一五九五ページ)と嘆いておられた。 荒れ狂う乱世に屈しない正義にして堅固なる「民の力」のネットワークにこそ、蓮祖の願われた「立正安国」の一つの実像があるといっても過言ではない。 大聖人に直結の我らは、「民の力強し」「民衆は強し」と、声を張り上げて宣言できる常勝の歴史を、断じて永遠に残していくのだ。
〝威風堂々の誓い〝

 関西の
  若き同志は
   立ちにけり
  威風堂々
    使命の道をば

 一九九八年の五月、大阪で行われた関西青年部総会で私は申し上げた。 「若いのだ。できないはずがない。諸君は、戦い抜くべきである!生き抜くべきである!永遠不滅の歴史をつづるべきである! 未来はすべて諸君に託すのだから」 そして、後継の青年部のためにと、「威風堂々の歌」の指揮を執った。 京都で誕生した庶民の手作りの名曲だ。 〝威風堂々の誓い〝とは、「最後は絶対に勝つ!」ということである。ここに、学会精神の真髄がある。 今再び、師弟不二の魂を燃え上がらせ、全同志が、威風堂々と前進しよう!

 何ものも
   恐れぬ
    創価の魂を
  天下に示さむ
    天下を正さむ