随筆 我らの勝利の大道 41   11/02/18

◆「仏法西還」の大光  ㊤

恩師「地球の広布は君たちが」

アジア訪問から50年――
『人間主義の太陽』は昇った!

一人立て!ガンジスの大河も一滴から

 羽ばたかむ
  我らの心は
    自由なり
  宇宙の幸福
    翼でつつみて

 今月初め、NASA(米航空宇宙局)が注目すべきニュースを発表した。
 それは、太陽系以外で約一千二百個の惑星を発見し、そのうち五十四個の惑星には、生命に不可欠の「水」が存在する可能性があるというのである。
 大宇宙にあって、地球は決して孤独な「生命の星」ではない、同様の条件の星はたくさんあると、最新の探査は示しているのだ。
 戸田先生がお聞きになられたら、「ますます仏法の先見が科学によって証明される時代に入ったな」と、呵々大笑されるであろう。
 「この大宇宙には、地球のような星が幾つもある。
 日蓮大聖人より、そっちに行って、また広宣流布をしてこいと言われたら、御命令のままに出かけるさ。地球の広宣流布は君たちに託すよ」と、壮大なロマンを語られる恩師であった。
 大聖人は、駿河国(静岡県中央部)の南条時光の母への御手紙に、仏法の宇宙観の一端を明かされている。
 「東西南北・八方・並びに三千大千世界の外・四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う、天には星の如く・地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬えば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し」(御書一五七〇ページ)と仰せである。
 ともあれ、大宇宙には、衆生の住む世界が無数にある。これが仏法の洞察であった。そして、この悠久の大宇宙をも包みゆく、人間生命の深奥を徹して究明したのも、また仏法である。
 「外なる宇宙」と「内なる宇宙」の探究――そこには、インドに発する東洋の大英知が光っている。

師弟不二の誓願で

 前進の
  東洋広布に
    恩師あり

 新潟県の佐渡で記された「顕仏未来記」には、「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(同五〇八ページ)とある。
 月氏の国・インドから、釈尊の仏法は中国、さらに日本へと流れ伝わった。その光が消えんとする濁世末法において、世界の民衆を救う大白法が日本から興隆し、西を照らしていく、との大聖人の大宣言である。
 この御遺命の実現に立ち上がられた戸田先生は、私たち青年に「仏法西還」の夢を、幾たびとなく語ってくださった。
 すなわち、アジアの民衆の幸福と平和を開く「東洋広布」である。
 〝一日も早く、仏教発祥の大恩あるインドヘ!〝
 それは恩師の願いであるとともに、不二の弟子として私自身の誓願となった。
 その第一歩が、一九六一年(昭和三十六年)の一月・二月、私が敢行した最初のアジア歴訪の旅である。
 不惜身命の決意で、香港、セイロン(現スリランカ)、インド、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、カンボジアの六カ国・地域を巡った、忘れ得ぬ十八日間であった。
 当時は、第二次世界大戦が終わって十五年余。アジアは、いまだ貧困と戦火、また分断の傷に苦しめられていた。日本の侵略に虐げられた国々も多かった。
 本来、豊かな自然に包まれ、明るく逞しき民衆が暮らす大地である。
 私は、仏が慈しむ「我此土安穏」の時代の建設を祈りに祈った。
 以来、五十年を刻む。
 この佳節を記念し、香港で三万人の大文化祭が開催されたのをはじめ、アジア各地で多彩な行事が続いている。マカオ、台湾、韓国、フィリピン、タイ、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシア、スリランカ、ネパール、そしてインドで――。
 あの国でも、この地でも、地涌の同志が社会で活躍し、信頼を勝ち得て、生き生きと乱舞している。こんなに嬉しいことはない。
 「アジアの民に日をぞ送らん」と、恩師が願われた通りに、赫々たる新時代の夜明けが来た。
 いかなる苦難の群雲が湧き起こるとも、もはや絶対に消えることなき、希望と幸福と平和の大光はアジアに輝き始めた。
 「人間主義の太陽」は、燦然と昇ったのだ!

出でよ地涌の菩薩

 懐かしき
  あの日あの時
    ガンジスの
  大河を見つめて
    広宣誓わむ

 私がインド訪問の第一歩を印した当時、メンバーは
一人もいなかった。
 夕闇迫るガンジス川のほとりに立ち、広布の展望に思いを凝らしながら「無数の地涌の菩薩を出現させてみせる」と深く決意した。そして大地に題目を染み込ませる思いで真剣に祈りながら、釈尊やアソカ大王などのゆかりの地を巡った。
 それから十八年後(一九七九年)、私は尊き地涌の先駆者であるインドの皆様方と初めてお会いした。
 ニューデリーの私の宿舎に勇んで集われたのは、四十人ほどであったか……。哲人の眼差しが輝く、一人ひとりの顔を見つめながら、私は強く語った。
 「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
 この頃の人口は約七億。同志は本当に少なかった。
 しかし、法華経の涌出品には、「一一の菩薩は、皆な是れ大衆の唱導の首にして、各おの六万恒河沙等の眷属を将いたり」(創価学会版法華経四五三ページ)と説かれる。
 地涌の友には、一人ひとりに、大きく賑やかに広宣流布の陣列を広げゆく力が具わっているのだ。一人の生命に無限の可能性を信じ抜く人間主義こそ、法華経の魂といってよい。
 インドの詩聖タゴールの小説に登場する女性は、毅然と語っている。
 「一人ででも闘うつもりですから。そして、胸をはって言いますわ、負けないわ、必ず勝ってみせるわ、とね」
 私には、朗らかな常勝の母たちの「負けたらあかん」の心意気と重なり合って響いてくる言葉である。思えばタゴールは、大阪、京都、兵庫、奈良と、関西にも足跡を留めていた。

母の連帯で平和へ

 インドのチェンナイ(旧マドラス)に、創価池田女子大学が誕生したのは、二〇〇〇年のことである。チェンナイは、私がインドに最初に降り立った、思い出深き原点の天地だ。
 創立者のセトゥ・クマナン博士は、創価教育の最高の理解者である。博士と私を結んだ機縁は、「母」の詩であった。詩人でもある博士は語っておられた。
 「すべての人びとが、この詩のように母を思うことができれば、人類の抱えるあらゆる問題は解決できるはずです」
 そして「女性こそが生命と平和の守り手」との私の考えに賛同してくださり、女子大学の建設に着手されたのである。
 同校では、折々に、英訳の「母」が、凛々しき乙女たちの澄み渡る声で歌われている。

 ♪母よ あなたの
  思想と聡明さで
      春を願う
  地球の上に
  平安の楽符を
      奏でてほしい
  その時 あなたは
  人間世紀の母として
      生きる

 歴史を振り返れば、どれほど多く、母たちの悲しみの涙が流されてきたか。
 海よりも深い母の慈愛には、人びとを正しき軌道へと導く力がある。ゆえに、母たちの強く賢きスクラムによってこそ、揺るぎない平和の大道も開かれる。
 今、インド創価池田女子大学と、創価大学・創価女子短期大学との交流も深まっている。

     ◇

 タゴールが何度も足跡を残したのが神奈川の横浜であった。特に最初の訪日では、現在の中区本牧の三漢園に長期滞在した。
 「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」
 当時、タゴールが日本で詠んだこの詩は、私たちも深く胸に刻んできた不滅の師子吼である。
 思えば、私は〝会長辞任〝から三カ月後、同じ横浜の神奈川文化会館で、インドの大詩人スリニバス博士を歓迎した。人間勝利の世紀を展望し、詩心の復興を語り合ったことは、今も忘れることはできない。
 大聖人は、神奈川の地で健気に戦う日眼女(四条金吾夫人)に仰せである。
 「釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし、二人たがひに思へば・すべてはなれず」(御書一一一四ページ)
 「釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか」(同一一一五ページ)
 大聖人は、妙法に生き抜く女性に、釈尊と一体不二の仏の生命を見出しておられた。普く賢い智慧の力も、病苦などあらゆる苦悩に打ち勝つ力も、広宣流布のために働く女性の命にこそ脈打っているのだ。
 まさしく、婦人部の皆様の姿である。
 師弟一体、万歳!
 勝利の人生、万歳!
 この創価の母の心を受け継ぐ華陽の乙女たちが、世界中で生命尊厳と平和の讃歌を歌いながら、人類を調和へ導きゆく未来を、私も妻も信じてやまない。

 不滅なる
  宇宙に一点
   君が星
  偉大な曲で
    偉大な光を