随筆 我らの勝利の大道 40 11/02/03


時は来ぬ断固勝ち抜け不二の道

友に歓喜の波動を勇気の励ましを!



 たゆまずに
  この道歩め
    朗らかに

 ノルウェー出身の「平和の文化の母」エリース・ボールディング博士と、私は共に対談集を発刊した。
 今回の「SGIの日」を記念して、女子部国際部の最優秀の友が作成してくれた箴言集の中に、忘れ得ぬ博士の言葉が光っていた。
 「過去の偉大で人間性あふれるリーダーたちは、皆、いつも歩いてやってきた。王座や馬上におさまるのではなく、同じ目の高さに立って対話を行ってきた」
 この博士が自ら出席して「平和の文化」の最先端と讃えておられたのが、創価の座談会である。
 互いの顔を平等に見つめ、互いの話を誠実に聞きながら、足元の地域から、よりよき社会の建設へ力を合わせていく。このたゆみない草の根の対話の積み重ねこそ、民衆の幸福勝利の原動力であろう。
 「常に民と共にあれ。いかなる場所でも民に続け。
 王や貴族が何だというのだ。それよりも誠実な人びとを仲間にせよ!」
 これも、女子部国際部のメンバーが翻訳して届けてくれた、ウズベキスタンの著名な詩人のジリショド・バルノの言葉である。
 わが創価大学に立像がある大詩人ナワイーを学び、そのヒューマニズムを受け継いだ十九世紀の女性だ。深い共感を禁じ得ない至言である。

勝ち戦の大功労者

 立派な甲冑を身に纏いながら、いざという時に退いて、敵の一陣さえ倒せない臆病者もいる。
 反対に、甲冑など纏わずとも、恐れなく突進して、敵の大陣を打ち破る勇者がいる。
 どちらが勝るか。いうまでもなく勝負は明らかだ。
 これは、御書に引かれた譬喩の一つである。(御書一二三ページ参照)
 私には、来る日も来る日も、ありのままの人間性の力で、広宣流布の法戦に挑みゆく第一線の同志の勇姿が胸に迫ってならない。
 破邪顕正の勝ち戦の最大の功労者は、この方々なのである。
 会長に就任して五年となる昭和四十年、私は全国の班長・班担当員の皆様との記念撮影をスタートさせ、各地を訪問するたびに一緒にカメラに納まった。
 今の「ブロック長」「白ゆり長」、あるいは「地区部長」「地区婦人部長」の皆様方に当たるだろうか。
 誰が見ていなくとも、広布のため、地域のため、友の幸福のために、一番汗を流して奮闘してくださっている方々である。私は感謝と励ましを伝える思いで、全国を駆け回った。

     ◇

 二年後(昭和四十二年)の九月一日、学会本部が拡充され、創価文化会館が完成した。この前月、班長・班担当員の皆様は、勇んで弘教の先陣を切り、全国で〝班一世帯〝の折伏を成し遂げ、新時代の開幕を荘厳してくださった。
 法華経の法師品には、「若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(創価学会版法華経三五七ページ)と説かれている。
 この一節を通し、日蓮大聖人は「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書一一二一ページ)と仰せである。
 わが同志が、勇気を出して、一人の友に語る。誠実に、一対一で対話する。それが、どれほど偉大なことか。どれほど尊いことか。
 「冥の照覧」は絶対に間違いないと信じつつ、私は私の立場で、何としても同志を励ましたいと思った。
 その共戦の証として、班長・班担当員の皆様の名前を、私が「色紙」に書いて贈ろうと決意し、全国から名前を寄せていただいたのである。いずこの地であれ、師弟は不二だ。いつも共に戦っているからだ。

色紙の山に向かい

 当時、創価文化会館の六階に設けられた私の執務室の机には、常に色紙が山積みされ、周囲の棚にもギッシリ収められていた。
 毎朝、本部で仕事を開始してすぐに、また、要人との会見等の後に、時には、すべての学会活動を終えた晩に、毛筆を手に、机にうずたかく重なっている色紙の山に向かった。
 中央に「福運」や「福智」等の文字を記した色紙に、一人ひとりの名前を認めていった。心で題目を唱え、ご健勝とご多幸を祈り、固く共に勝利の握手を交わす思いで――。
 日々、無理解な批判や悪口を浴びながら、広布の最前線で〝仏の仕事〝をしてくださっている、この尊極の方々を励まさずして、いったい誰を励ますのか!
 一日に書ける枚数は限られている。たとえ何十枚、何百枚と書いても、激励するべき友はあまりにも多かった。だが、それでも私は書く、精魂込めて書き続ける、と決めた。
 激務や疲労で、一枚書くのがやっと、という日もあるかもしれない。しかし、一枚書けば、一人を励ませる。いな、その一人から、新たな波動が起きる。それが必ず、二人、三人、百人へと広がる。
 この踊躍歓喜の連動が、諸法実相抄に仰せの「地涌の義」に通ずるのだ。
 地方を回るなかでも書いた。自宅に戻ってからも書いた。ひたすら寸暇を惜しんで、筆を執り続けた。傍らには、妻が手伝ってくれていた。そうやって、あの時代の大躍進の勢いをつくっていったのだ。
 「友に勇気の励ましを!同志を仏の如く大切に!」――この私の心を、二十一世紀の広布のリーダーたちも、深く受け継いでもらいたい。ここにこそ、躍進勝利への秘伝があるからだ。

     ◇

 当時、私が懸命に同志への色紙を認めている渦中、創価文化会館にお迎えしたのが、「欧州統合の父」と名高いクーデンホーフ・カレルギー伯爵であった。伯爵との語らいは、私の対談集の「第一号」となった。
 広布の最前線に立つ皆様と心で握手を交わした宝城から、世界の知性との交流も始まったのだ。
 今、学会本部では、新しき「創価文化センター」、そして「総本部」建設に向けて、着々と準備が整えられている。関係の方々のご尽力に感謝したい。
 私は妻と共に新たな決意で、日本中、さらに全世界の愛する地区・ブロックの健気な同志に題目を送っている。一人も残らず健康で幸福で、いよいよ威光勢力を増して、断じて広布と人生の勝利を!と、ひたぶるに祈り抜く日々である。
 この冬は、日本海側を中心に、記録的な豪雪が続いている。また、鳥インフルエンザや霧島連山の新燃岳の噴火なども起き、心配している。大変なご苦労をなさっている方々に、心からお見舞い申し上げたい。

痛快に陣列を拡大

 五十五年前、あの大阪の戦いのなかで、私が愛する関西の同志と深く心肝に染めた法華経の経文がある。
 「魔及び魔民有りと雖も、皆な仏法を護らん」(法華経二五七ページ)との一節である。
 何人たりとも、広宣流布の味方に変えてみせる。この烈々たる祈りと勇気と勢いで、私たちは痛快に陣列を広げていった。
 今、ジャズと人生と仏法の語らいを進めているウェイン・ショーターさんも、この仏法の大きさに共鳴されながら、言われていた。
 ――私は毎朝、起きると、「さあ、今日も勝利の喜劇を演じよう」と思います。敵意や悪意など悪鬼の働きをも味方にするのが、仏法です。私たちがそれらと共存しながら打ち勝つ道は、一緒に笑わせることではないでしょうか。これは、ちょうど、飛行機が離陸する時、空気の抵抗を味方につけるのと同じです――と。
 味わい深い言葉である。
 正義の人生は、明るく朗らかである。その明朗さに満ちた民衆のスクラムほど、強いものはない。
 大聖人は、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同一二二四ページ)と宣言なされている。
 私も、この御金言の如く一歩たりとも退かない。
 万代までも行き詰まらぬ創価の常勝の大道を開くために、人知れず手を打ち続けている。
 今月は、戸田先生の生誕の月である。二〇一一年の二月十一日、このお誕生日で百十一周年――。幾重にも「一」が重なり、私たちを「一番幸福に!」「一番星と輝け!」と、先生が励ましてくださっているように思えてならない。
 友よ、立ち上がろう!
 「学会は、永遠に師弟を根幹にして異体同心の団結で勝っていくのだ」
 恩師の師子吼を胸に、全同志が一丸となって、勝利の大行進を開始したい。

 時は来ぬ
  断固勝ち抜け
    不二の道

 二年後(昭和四十二年)の九月一日、学会本部が拡充され、創価文化会館が完成した。この前月、班長・班担当員の皆様は、勇んで弘教の先陣を切り、全国で〝班一世帯〝の折伏を成し遂げ、新時代の開幕を荘厳してくださった。
 法華経の法師品には、「若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(創価学会版法華経三五七ページ)と説かれている。
 この一節を通し、日蓮大聖人は「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書一一二一ページ)と仰せである。
 わが同志が、勇気を出して、一人の友に語る。誡実に、一対一で対話する。それが、どれほど偉大なことか。どれほど尊いことか。
 「冥の照覧」は絶対に間違いないと信じつつ、私は私の立場で、何としても同志を励ましたいと思った。
 その共戦の証として、班長・班担当員の皆様の名前を、私が「色紙」に書いて贈ろうと決意し、全国から名前を寄せていただいたのである。いずこの地であれ、師弟は不二だ。いつも共に戦っているからだ。

色紙の山に向かい

 当時、創価文化会館の六階に設けられた私の執務室の机には、常に色紙が山積みされ、周囲の棚にもギッシリ収められていた。