随筆 我らの勝利の大道 35 10/12/16

◆青年よ快活に対話の波を ㊦

『勇気』は慈悲に通ず
『真心』は必ず伝わる

創価家族の温かき励ましを社会へ!

確信の声で響け希望の哲学

 大功徳
  無量無辺に
    築きつつ
  今日の舞台に
   負けず舞いゆけ

 日蓮大聖人は、厳然と仰せである。
 「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書一一二一ページ)
 今、女子部の尊き〝華陽〝の天使たちが、溌剌と仏法を語り、幸福のスクラムを広げている。
 ある友は長年の友人に、ある友は地域の知人に、ある友は未入会の家族に……と、誠心誠意の対話を実らせた体験を、妻と心を熱くしながら伺っている。
 「使命の華」と舞いゆく青春は、なんと尊く、美しく、そして明るいことか。
 「我もいたし人をも教化候へ」(同一三六一ページ)――真剣に題目を唱え、一人、また一人と仏縁を結ぶ。この偉大で崇高な乙女の信心が、幸福と希望のスクラムを広げているのだ。

     ◇

 折伏の根本は「祈り」である。そのうえで、友に仏
法を語り、幸せの種を植えていく折伏行の中で大事な点を幾つか確認したい。
 第一に「勇気」である。
 折伏を実践すれば、一人の生命と真摯に向き合い、一人の人生に関わらざるをえない。長年にわたり、大勢の人を折伏してきた人でも、新しき友情を広げゆく対話には勇気がいる。
 勇気がないと、その弱い心が壁になる。しかし、まず、相手の人の幸福を真剣に祈る。これほど強いことはない。折伏の闘士は「慈悲の祈り」という勇気の出し方を知っているから、決して負けないのだ。
 戸田先生は語られた。
 「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。
 仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」と。
 ゆえに、相手がすぐに理解できなくとも、確信ある声の響きで、希望の哲学を語り切っておくことだ。
 ドイツの哲学者へーゲルは、「人間は自分が何であるかを自分の声で現わす」と指摘していた。
 折伏の声は、最高の「仏事(仏の仕事)」を為す仏の声なのである。
 第二に「真心」である。
 十九歳で信心した私もそうだったが、広大深遠なる仏法を完璧に理解して入会する人などいない。
 「宿命転換」等の哲理を語る学会員の言葉の端々に溢れる確信に、心を動かされた人もいる。何よりも、紹介者の誠実な振る舞いへの信頼や、自分を思ってくれる真心への感動に、背中を押されるものだ。
 近年、興味がない、悩みがないなどと、無関心で無気力な反応をする若者も多いといわれる。だが、その人を思う、こちらの真心は必ず伝わっている。
 現在、私が鼎談を重ねている世界的なジャズ音楽家で、SGI(創価学会インタナショナル)メンバーのウェイン・ショーターさんも、体験を語ってくれた。
 ショーターさんが入会して間もない頃、ヨーロッパで演奏していた時、ある駆け出しの若い女性ドラマーと会った。人生の道に迷っている様子で、大変に心配だった。ただ、ゆっくり話をする時間もなかったので、題目を力ードに書いて手渡した。
 その後、会う機会がないまま案じていたところ、今から十年ほど前、見違えるほど立派な、幸福に輝く姿で報告に来てくれたのだ。あの題目のカードのおかげで、SGIメンバーとなることができた――と。
 「閉ざされた心」を開くのは、相手の幸せを願う「開かれた心」である。
 開かれた心で率直に語る――その力は実に大きい。
 欧州の統合に尽力した、フランスの社会事業家ジャン・モネも述懐している。
 「信頼感情を作り上げるということは、考えている以上に簡単なことであると思う。『率直さ』、これがまさにその秘けつなのである」

青年学会を大きく

 第三に「団結」である。
 創価家族ほど、人間味あふれる温かな心の世界はない。その世界にふれて、皆、発心できるのである。
 折伏に懸命に戦う友を、皆で応援していきたい。異体同心の団結ありてこそ、広宣流布の折伏は進む。
 私自身、自らの対話に、〝折伏の大将軍〝であられた戸田先生に応援していただいたこともあった。
 私もまた、時間の許す限り、同志の折伏の応援をさせていただいた。
 青年部の諸君も、壮年・婦人の信心の先輩たちに、大いに応援していただくことだ。そして、学ぶことだ。
 ブロックや地区、支部をあげて、青年の挑戦を全力で応援し、皆で祈り、励ましていく。そこに、青年学会が一回りも二回りも、大きく広がる道がある。

     ◇

 昭和二十六年秋、戸田先生は、聖教新聞に発表された「班長に告ぐ」(後の「青年訓」)で、青年の心を乱打してくださった。
 「奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ」
 今のように、毎朝、聖教新聞が届く時代ではない。
 当時は、全国どこでも学会員がいるわけでもない。県内の青年部員は一けたという地域も珍しくなかった。
 だが、「班長に告ぐ」を謄写版で刷ったワラ半紙は、青年の手から手に、津波のように渡っていった。組織は〝タテ線〝の時代である。遠方で苦闘する同志のもとにも、ワラ半紙は届けられていった。
 二年後に入会した新潟のある青年は、そのワラ半紙を手に、一人立ち上がった。十数人に同志を拡大し、東京での第二回男子部総会に駆けつけてくれたのだ。
 「撰時抄」に曰く――
 「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」(御書二八八ページ)
 広宣流布とは、一人から一人への「対話拡大」「仏縁拡大」に実質がある。
 戸田先生は言われた。
 「われ自ら南無妙法蓮華経なりと決めきって、妙法を流布していくんだよ」
 わが青年部の諸君よ、私と共にもう一度、〝青年学会〝を創るのだ。さらにさらに強く大きく、広宣流布を推し進めていただきたい。
 未来は青年の「熱」と「力」で決まる。いや、断固として決めるのだ!

     ◇

 大聖人は、若き南条時光に、中国の「竜門の滝」の故事を引かれ、成長を望んでおられた(同一五六〇ページ参照)。
 この「竜門の滝」には、多くの魚が集まって登ろうとする。だが、激しい水の抵抗や、烏や漁師からも狙われ、容易に登り切ることができない。しかし、その困難を突き抜けて登り切った魚は竜となる。
 「登竜門」の語源となった話である。
 この故事を通し、大聖人は、成仏がいかに困難かを示してくださっている。
 堅忍不抜の執念を持ち、戦い続ける人、信心し切った人こそ、真実の勝利を手にできることを、若き門下に教えられたのであろう。
 学会の組織は、この大聖人の仰せ通りに、皆が一生成仏の信心を全うするためにある。最高の善知識だ。
 大聖人は、時光に対し、「たが(違)ふ事あらば・いよいよ(弥)悦びとこそおもひて」(同一五四二ページ)とも仰せである。
 思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ。何があっても強気で、思い切り戦い抜いていくのだ。これが、創価の青年である。学会精神である。
 ひとたび、戦いを起こしたからには、「能忍(能く忍ぶ)」という仏の大力を発揮して、勝利するまで、前へ前へと進むのだ。
 明年で青年部の結成より六十周年。いやまして切磋琢磨し合いながら、〝青春の登竜門〝を堂々と勝ち登っていただきたい。

若き力で心を結べ

 地球一体化の時代だ。躍進する青年の波動も、国境を超えて地球を巡る。
 二〇〇八年の九月、埼玉青年部総会の意義を込めた三万六千人の大会が盛大に開催された。ここに参加したブラジルの青年リーダーは大きな触発を受けた。
 翌二〇〇九年五月、今度はブラジルの青年たちが、新時代を我らの手で開くのだとの「誓願」を高く掲げて、二万人の文化総会を行ったのである。
 会場は四半世紀前(一九八四年)、念願叶って十八年ぶりに訪伯した私とブラジルの同志が師弟の再会を果たした、あの忘れ得ぬ「大文化祭」と同じ体育館であった。
私も、「インターネット中継」で、凛々しきブラジルの若人を見守りながら、何度も万歳を叫ぶ思いで、励ましを贈った。

 賑やかに
  世界一なる
   ブラジルは
  来る年来る年
    勝利の行進

 そして「師弟不二の正義グループ」と命名された、この誓願の青年たちは、一年後の今年、皆が「勇気の対話」を実らせたのだ!
 その勝利と歓喜の波動は、本年の十月、広布の旗が翻る大埼玉の「師弟常勝大会」(青年部総会)に返ってきたのである。
 まさしく若き地涌の菩薩たちが、全地球を舞台に、威風堂々と、対話の大波を起こしゆく時代となった!
 本当に嬉しい。私には、青年こそが燃え輝く「希望の光」である。
 広布の新時代は、未来を生き抜く青年が創るのだ。青年が照らし、晴れ晴れと勝ち開くのだ。
 ドイツの思想家ニーチェは叫んだ。
 「おまえはおまえ自身をのりこえて登らなければならない。――上へ、上方へ、おまえがおまえの星々をも眼下に見おろすようになるまで!」
 青年よ、わが対話の英雄たちよ、勇んで民衆の大地へ飛び込め!友情光る対話の旋風を起こしゆけ!

 恐るるな
  何も恐れず
    断固立て
  正義のスクラム
    我らの時代と