随筆 我らの勝利の大道 32 10/11/14

◆「行学の道」を共々に ㊦

御書根本に人生と社会で勝て

最高峰の哲学を心肝に染めよ!
『思想界の王者』の誇りを持て!

「任用試験」は人材・躍進の力なり


 わが人生
  わが一族の
   幸福を
  妙法蓮華で
   晴れ晴れ勝ちとれ

 古今東西の哲学・思想を包含する英知の結晶――それが、日蓮仏法であり、御書である。
 「観心本尊抄」には、
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と示されている。
 仏法は人生に勝ち、社会で勝つためにある。
 苦境の時ほど、御書を繙くのだ。そうすれば、目の前が明るくなる。闇夜が晴れ、希望の光が差し込む。勇気の太陽が昇るのだ。
 わが胸に、世界を照らす太陽を抱いた人には、乗り越えられない迷路はない。
 創価学会が、乱世を突き抜け、勝ち抜くことができた理由も、行学の二道を励み通してきたからである。
 御書の研鑽こそ、広宣流布の推進力であり、「創価民衆学会」の盤石な土台である。そして、「創価青年学会」の人材・躍進の原動力なのである。

常に現実の中で!

 古来「諸経の王」と讃えられる法華経――。過日、その〝法華経展〝がインド東部のコルカタ(旧カルカッタ)で行われた。
 ここでは、インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ博士が寄贈してくださった、梵文法華経の世界初の校訂本(ケルン・南條本)の初版本も展示された。〝独立の父〝マハトマ・ガンジーが手にした本と同じ刊本である。
 博士は語っておられる。
 「日蓮大聖人は、法華経に基づいて、いまだ知らぬかなたの浄土ではなく、娑婆世界、すなわち私たちが住むこの現実世界こそが、真の仏の国土であると喝破しています。そして、苦悩渦巻くこの社会を、仏の理想の社会にするために、法華経の精神を弘め、脈動させていかなければならないと訴えました」
 「特に、私が創価学会を評価するのは、その『社会
性』です。空理・空論をもてあそぶのではなく、現実のなかで仏法を展開している点です」
 我らは「現実のなかで」という根本軌道を、絶対に離れない。牧口先生が「仏法は生活法」と提唱された道を堂々と進む。
 以前、アメリカの同志と確認し合ったように、SGI(創価学会インタナショナル)の愛称は、「ソーシャル(S)・グッド(G)・インスティテユーション(1)」(社会の善なる団体)である。
 先日も、夫の仕事で台湾に滞在していた創価同窓の副白ゆり長さんが喜びの手紙を届けてくれた。
 ――台中市を訪れた時のこと。たまたま語り合った若い女性が、彼女が学会員であることを知ると、満面の笑みで、「私は、あなたに感謝します」と握手を求めてきた。驚いて理由を尋ねると、市を挙げて創価の社会貢献に感謝している、との答えが返ってきた――というのである。
 台湾SGIは、内政部より「社会優良団体賞」に十六回連続で輝いている。
 「世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけり」(同一一七三ページ)と謳われよと、大聖人は仰せになられた。その通りの実証が世界で花開いている。

異体同心で広布へ

 大聖人は厳命された。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書一三三七ページ)
 だからこそ、どこまでも「異体同心」で進むのだ。
 古代ギリシャの劇作家メナンドロスは喝破した。
 「ものみな獅子身中の虫で腐っていく。全て破滅をもたらすものは、内部にあるのだよ」「ありとある悪の中でも最大の悪は、今も昔もこれからも、滅びに至る嫉妬だ」
 仏法の洞察とも、深く一致する。広布の途上にも、嫉妬に狂った撹乱の悪党らが出来してきた。
 しかし例外なく、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同一一九〇ページ)との無惨な末路をたどってきたことは、ご存じの通りである。
 創価学会は、広宣流布のための組織である。社会の繁栄と世界の平和に貢献する、価値創造の人材を育成するための団体である。
 「異体同心」――一にも仲良く、二にも仲良く、三にも仲良く、心を合わせて前進していくのだ。

 実践の教学が伝統

 今月の二十八日には、いよいよ学会伝統の「教学部任用試験」が行われる。
 創立八十周年の大佳節の月を、皆で、世界最高峰の大哲学を喜び学びながら、晴れ晴れと飾るのだ。
 勇んで受験される皆様!
 親身に応援される皆様!
 その麗しき求道と励ましと成長のドラマを、私は嬉しく見つめている。
 日蓮大聖人は、私たちに仏道修行の根本の軌道を示してくださった。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候」(同一三六一ページ)
 学ばなければ、人びとを納得させられない。実践の伴わない教学は、自身の成長にも、社会の変革の力にもならない。
 「行」と「学」の両輪――この実践の教学こそが学会の伝統である。
 衣の権威を笠にきて威張るだけで、広宣流布の信心もない、折伏もしない邪宗門らに、大聖人の御精神がわかろうはずがない。
 この一年、海外四十六カ国・地域でも、実に十二万人の尊き求道の友が教学試験に挑戦している。
 十九年前、邪宗門から滑稽千万な破門通告書が送付された「魂の独立記念日」――その十一月二十八日に行われる任用試験は、まさしく、我ら「創価の行学」の威風堂々たる勝利の象徴といってよい。

     ◇

 日興上人は「御書を心肝に染め」(同一六一八ページ)と遺誡された。
 御聖訓をわが心に染め、肝に銘じていくのだ。生命に刻みつけていくのだ。
 ある時、「講義に感動しても、家に帰ると内容を忘れているんです」と、戸田先生に相談した人がいた。
 「忘れてもいいんだよ、大丈夫だから」
 先生は笑みを浮かべて、友を励まされた。
 「忘れても、忘れても、忘れても、講義を聞いていくと、忘れられない何ものかが、あなたの命の中に残っていくよ。その積み重ねがやがて、あなたの力になっていくよ」と。
 大切なのは、日々、粘り強く、学び続けることだ。
 任用試験は、生涯にわたる修行の出発点である。
 焦る必要など、まったくない。すぐには、わからないことがあっていいのだ。だからこそ、「ああ、そうだったのか」と心の底から納得できた喜びは大きい。

繰り返し繰り返し

 繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
 そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。
 深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
 御書に仰せではないか。
 「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(同一四七四ページ)
 「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(同一四四八ページ)
 自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
 「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。
 私は今、〝二十一世紀の戸田大学〝という思いで、「大白蓮華」には御書講義「勝利の経典『御書』に学ぶ」、そして聖教新聞には「御書と青年」を連載させていただいている。
 女子部教学室をはじめ全国の華陽の乙女、そして男子部、男女学生部の友から、毎月のように感想文集が届けられる。綴った一人ひとりの幸福勝利を祈り、御宝前にお供えしている。

      ◇

 大聖人は宣言なされた。
 「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(同一三〇四ページ)云々。
 本年の任用試験の教材の一つになっている「阿仏房御書」に仰せのように、仏法の眼で見れば、妙法を唱えゆく人は皆、尊極の宝塔である。誰もが妙法を証明する多宝如来である。
 いかなる出自も境遇も、老若男女の違いも、民族も人種も、貧富も階級も、その人が宝塔と輝く妨げにはならない。病気や障がいがあろうが、いかなる災難や宿命が襲おうが、幸福になることを邪魔されない。
 誰もがわが生命の輝きをもって、今世の使命の道を進み、自他共の幸福の道を開くことができるのだ!
 その人間尊敬と生命尊厳の哲理は、世界中で、自由・平等・人権・平和・環境等の普遍的価値を求めて戦う〝精神の闘士〝たちの信念とも、深く強く響き合っている。
 「日興遺誡置文」に曰く「爰に我等宿縁深厚なるに依って幸に此の経に遇い奉ることを得」(同一六一七ページ)と。
 仏法を学べば学ぶほど、世界広宣流布の大願に生き抜く、崇高な師弟の使命と宿縁に、わが生命は打ち震える。
 恩師が烈々と叫ばれた如く、我らは「思想界の王者」の誇りと自覚を胸に、師子王の心で、前進しようではないか!
 今日も御書を拝し、世界の友と心を通わせながら!

 一筋に
  この道歩めや
   広宣の
  勇気と希望で
    愉快に進めや