随筆 我らの勝利の大道 26 10/08/22

◆悠久の天空を仰いで(下)


時代は仏法の叡智を待望

 この七月、地球から約十六万五千光年離れた大マゼラン銀河のタランチュラ星雲で、質量が太陽の二百六十五倍という、観測史上、最大の恒星が発見された。 これまで、理論上、恒星の質量には限界があるとされていたが、「もっと重い星が見つかる可能性も」との専門家の意見も出ている。


永遠に探求は続く

 宇宙は不思議に満ちている。一つ新たな事実が発見されると、それ以上に謎が増えていく。永遠に探究は続くであろう。 戸田先生は、よく「科学が進歩すればするほど、仏法の法理の正しさが証明される」と語っておられた。 この師の洞察通り、今、東洋の叡智に注目が集まる時代に入っている。 五、六世紀インドの天文学者アーリヤバタは地球の自転や重力の存在を指摘した。こうした先見を育んだ文化に根ざす仏教は、例えば、それ以前の「倶舎論」に宇宙の姿を説いている。 ――須弥山を中心とした四大洲と日月等からなる世
界(小世界)が千個集まったものを「小千世界」、その千倍を「中千世界」、さらにその千倍を「大千世界」(三千大千世界)といい、みな生滅を繰り返す、と。 三千大千世界は小世界の千の三乗――十億の小世界の集合である。 太陽系のような星の集まりが銀河を形作り、さらに銀河団を作り、超銀河団を作るという、現代の天文学の知見とも響き合う。 日蓮大聖人が伊豆流罪の渦中に記された「四恩抄」にも、「此の娑婆世界の内に百億の須弥山・百億の日月・百億の四州あり」(御書九三五ページ)と示されている。 また、「此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず」(同)との御聖訓からは、十方の宇宙には、この地球よりも境涯の高い衆生が住む仏国土が存在することが、示唆されているとも拝されようか。 私と対談したスリランカ出身の天文学者ウィックラマシンゲ博士も、「現代科学の宇宙論の方向性は、仏教の世界観にきわめて接近している」と強調された。 ハイゼンベルクやボーア、アインシュタインなどの名だたる科学者たちが、「空」の思想をはじめ、仏教、また東洋哲学に共鳴していったことも事実だ。 科学の進歩と相俟って、ますます仏法の叡智が求められていくことは間違いないと、私は確信している。

「我即宇宙」なり


 中国の妙楽大師の深遠にして有名な言葉には―― 「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円かなるは天に象り足の方(=四角)なるは地に象る」 「鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり髪は星辰に法とり眉は北斗に法とり脈は江河に法とり」(同五六七ページ)云々と、小宇宙たる人間と大宇宙の相関が謳われている。 まさしく「我即宇宙」「宇宙即我」である。 さらにまた、大聖人は、「所詮・万法は己心に収まりて一塵もか(闕)けず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」(同一四七三ページ)とも仰せである。 瞬間また瞬間の生命に、万法が収まり、宇宙大の可能性が具わっているのだ。それを自覚した時、私たちの生命は他者へ、社会へ、宇宙へと大きく開かれる。 妙法の大法則に則り、広宣流布のために活動することは、わが色心に大宇宙の力を満々と脈打たせていくことなのだ。 その胸中には、〝悩める人を救わずにはおかない!皆に希望と勇気を送らずにはいられない!〝という不滅の鼓動がある。 仏とは、この宇宙大の「慈悲」と「智慧」と「勇気」を開き顕していく生命のことである。 いついかなる時にも、天空を仰ぎ、大きく深呼吸をして、我らは栄光の使命の道を勝ち進んでいくのだ。


     ◇

 この六月、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が六十億キロもの宇宙の旅の末、打ち上げから七年ぶりに地球に帰ってきた。 惑星間航行で到達した、小惑星「イトカワ」からの帰還――これは、「月」以外の天体では世界初の快挙であるという。 姿勢制御用エンジンの全損や通信途絶など、幾多の困難を乗り越え、太陽系探査の新たな歴史を開いた、壮大なプロジェクトだ。 ここには、若き創価の青年も参加していた。その学問の探究もまた、平坦な道程ではなかった。だが、背中を押してくれた父母の励ましは、「できるか、どうかではなく、やるべきか、どうかだ」との強き信念であったと伺った。 前進、また前進!これこそ青年の気概だ。 中米ニカラグアの大詩人ルベン・ダリオは歌った。 「辛酸をなめ、逆境の宿命に悩まされても、私たちには宇宙の活力が漲っている」 使命を自覚した若人の燃ゆる決意と開拓の情熱があれば、どんな状況をも打開していけるのだ。


歴史を変えた師弟

 地球は太陽の周りを公転する――ポーランドの天文学者コペルニクスが唱えた学説は、宗教の権威への挑戦とされ、その公表は危険を伴った。 一五三〇年頃に完成させた『天体の回転について』を、出版すべきか否か、彼自身は選巡をしていたのである。 しかし、コペルニクスの若き弟子レティクスは、論文の出版を促し続け、自らその先導役を買って出た。 〝師の正しさを、何としても実証したい〝――弟子の胸には、強き報恩の心が赤々と燃えていた。 この青年の勇気ある行動によって守られたゆえに、コペルニクスの学説は、科学の歴史を変えるものとなったのだ。 東京富士美術館では、今月の二十九日から、展覧会「ポーランドの至宝――レンブラントと珠玉の王室コレクション」が開幕する。 ここでは、ワルシャワ王宮、クラクフのヴァヴェル城、ワルシャワ国立美術館、クラクフ国立美術館などから、美術工芸の名品が多数出展される。 さらに、コペルニクス、ショパン、キュリー夫人という、ポーランドの誇る三人の偉大な先達の貴重な遺品や資料なども展示される運びとなっている。 ポーランドの魂は、勇敢であり、不屈である。 第二次世界大戦のさなか、迫り来るナチス軍の侵略にも屈することなく、王宮の美術品を避難させ、死をも覚悟の上で守り抜いた歴史も、誇り高い。 銃弾が飛び交うなか、命懸けで、未来のためにと、ワルシャワ市街の建物を克明にスケッチして残していった建築科の学生たちもいた。壊滅させられたワルシャワは、その貴重な図をもとに、戦後、市民の一人ひとりの力の結集によって復元され、壮麗な街並みを取り戻したのである。 世界遺産にも選ばれ、人類の宝の都と光っている。 まさに、非道にも命を奪われた多くの同胞たちの仇討ちであった。そして、自分たちの文化と歴史を滅ぼし去らんとした暴虐への執念の闘争であった。 五百年前、コペルニクスは問いかけた。 「結局、美しいものすべてを包みこんでいる天以上に美しいものが、またとあるだろうか?」 天の星々に勝るとも劣らず美しきものが、この地上にある。それは、正義のために、恐れなく戦い抜く人間の生命の輝きではないだろうか。 正しき信念に生き抜く人間の連帯こそが、一等星のごとく輝きを放つ、宇宙の至宝であるのだ。 アメリカの人権の指導者キング博士は、揺るぎない闘志をもって断言した。 「宇宙には一種の検問所があって、悪が永続的に組織を強化していくことはできないようになっている」


     ◇

 宇宙空間へと飛んだ人の多くが、根本から人生観が変わる経験をするという。 私も、多くの宇宙飛行士と語らいを広げてきた。スケールの大きい、ダイナミックな話に、広々と視野が開かれる思いがした。とともに宇宙を知って、「故郷」である地球の美しさ、かけがえのない尊さにあらためて気づくのも、また、皆に共通している。 ロシアの宇宙飛行士であるセレブロフ博士が、宇宙から帰還して、まず懐かしく感じるものは「地球の香り」であると語っておられたことが、忘れられない。 人びとの心に、安らぎを与えるこの生命の「故郷」が、私たちにはある。 それは、わが創価の地区や支部であり、共に戦う同志である。 生命の「故郷」を見失わない限り、人間は孤独ではない。かけがえのない同志ありてこそ――そう心から感謝できる胸中には、生きる歓びが滾々とあふれる。 宇宙を知るほど、生命の尊厳に畏敬の念がわく。


大宇宙と共に歩め

 牧口先生も、戸田先生も敬愛してやまなかった、アメリカの大教育哲学者デューイ博士は語った。 「惑星は、太陽系のなかで、運行する。 太陽系は、銀河系のなかで、運行する」 「人間の精神も、他者との交流のなかでこそ、成長できる」 広大なる宇宙にありて、時を同じく、この地球に生まれ、大仏法に巡り合った、我ら創価家族は、何と妙なる縁で結ばれていることか! 「『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(御書一三三八ページ)――「在在の諸仏の土に、常に師と倶に生ず」との経文は、決して虚事ではない―― 大聖人が御約束の通り、大仏法の師弟の絆は永遠に金剛にして不壊である。 創価の友よ!共々に、朗々と題目の大音声を宇宙に響かせゆこう! 御聖訓には―― 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(同五五七ページ)と仰せである。 わが心の宇宙に具わる大力を開き、「人間革命」という自転と「広宣流布」という公転の軌道を、さあ、今日も勢いよく快進していこうではないか!


 共々に
  この人生を
    朗らかに
  宇宙の宝を
   わが身に飾れや