2010.08.13 SP 御書と青年〔13〕 「未来を創る」〔上〕

【熊沢女子部長】 このたびは、アジアを代表する名門マレーシア国立マラヤ大学から「名誉人文学博士号」のご受章、誠におめでとうございます! マレーシアの華陽の姉妹も、喜びに沸き返っております。

【池田名誉会長】 ありがとう! マレーシアの同志は、草創から苦労に苦労を重ねながら、誠実に社会に貢献し、信頼を勝ち取ってこられました。私はその尊き方々と分かち合う思いで、この栄誉をお受けさせていただきました。

【佐藤青年部長】 先生が開いてくださった教育・文化交流の道が、どれほど大きいか。 マラヤ大学にも、これまで50人を超す創価大学からの留学生が学んできました。努力を貫いて、マラヤ大学で博士号を取得した友もいます。

【名誉会長】 うれしいね。 マレーシアでは、創価幼稚園の園児たちも、伸びやかに成長しています。開園15周年になります。私も2000年に訪問しました。 多様性に富むマレーシアで、マレー語も、中国語も、英語も自在に話しながら、仲良く凛々しく育ちゆく“世界市民”たちです。皆も日本語だけじゃ、もったいないよ(笑い)。 今年は創価教育の80周年。牧口先生も、戸田先生もさぞかし、お喜びでしょう。

【河本総合未来部長】 日本も、未来部育成の夏が真っ盛りです。全国の担当者の方々が、寸暇を惜しんで激励に走ってくださっています。 特に、今回、池田先生に「正義の走者」の歌詞を加筆していただきました。新たに未来部歌として、皆、大喜びで歌い始めています。本当にありがとうございます!

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◆ 「現在の因を見よ」
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【名誉会長】 未来部は「学会の宝」です。「世界の希望」であり、「人類の明日」です。 広宣流布の前途を託す若き友のためならば、私は何でもしてあげたい。できることならば、一人一人と固い握手を交わし、励ましてあげたい。 でも、どうやっても、私の体は一つしかない。だから私に代わって、皆さんの熱と力で、創価の命というべき後継の人材を激励していただきたいのです。

【佐藤】 はい。先生のお心を深く胸に刻み、未来部の育成に全力で取り組んでまいります。

【名誉会長】 法華経の宝塔品(ほうとうほん)では、釈尊のもとへ多宝・十方分身の諸仏が来集(らいじゅう)して、勢揃いします。それは、何ゆえであったか。 「開目抄」には、令法久住(りょうぼうくじゅう)のためであり、「未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす」(御書236ページ)ゆえであると仰せです。 法華経の眼目は、「未来の広宣流布」です。仏の眼から見れば、「未来の一切の仏子」、すなわち末法の衆生を救うことが最重要のテーマです。広宣流布こそ、「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(同720ページ)聖業(せいぎょう)です。そのためには、どうしても、後継の人材が陸続(りくぞく)と続くことが必要です。 そう捉えて、今、一人の青年部・未来部を励ますことは、広布の壮大な価値創造となるのです。

【河本】 未来部は先生が第3代会長に就任されて、最初に結成してくださった部です。その時の思いを、先生はこう綴られました。  ── 私は、21世紀のことを真剣に考えている。その時に、誰が広宣流布を、世界の平和を担っていくのか。誰が21世紀に、本当の学会精神を伝えていくのか。それは、今の未来部のメンバーに頼むしかない ── と。

【名誉会長】 その思いは、少しも変わりません。 この21世紀こそ、恒久平和の基盤を築き、生命尊厳の思想を人類の思潮として確立する時です。そのために、創価学会が果たすべき使命はあまりに大きい。 民衆の精神の土壌を豊かにし、人類の境涯を高めていく創価の実践に、世界各界の識者から絶大なる信頼が寄せられる。いよいよ、そうした時代に入りました。 今の青年部、そして未来部が地球社会にとって、どれだけ、かけがえのない存在か。 創価の人材育成は、未来を創る最重要の真剣勝負です。「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(同231ページ)です。大事なのは、未来の勝利のために、今、具体的な手を打つことです。

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◆ 全員が妙法の当体
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【熊沢】 かつて、私が中等部の代表として参加させていただいた会合でのことです。 池田先生が、わざわざ私たち中等部員の側に来てくださいました。そして「21世紀を、よろしくお願いします!」と言われて、深々と頭を下げてくださったのです。 衝撃でした。まるで国家元首に相対するような、丁寧なお振る舞いに深く感動し、「必ず先生のご期待にお応えできる人材に成長じよう!」と決意しました。

【名誉会長】 法華経の会座(えざ)において、「女人成仏」「即身成仏」の偉大な実証を示したのは、若い竜女(りゅうにょ)でした。 南条時光(なんじょうときみつ)もへ日蓮大聖人に最初にお目にかかったのは、7歳の時であったと推察される。その後、16歳で、大聖人のもとに馳せ参じ、直々の薫陶をいただいた。妙法の花の若武者として、逆風の中にあっても、勇気ある信心を貫き通していきました。 その勇姿を、大聖人は「上下万人にあるいは・いさめ或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべし」(同1587ページ)と讃えておられます。 妙法は、若き正義の生命を最高最大に光り輝かせていく大法則です。汲めども尽きぬ妙法の大功力(だいくりき)を、「現当二世」すなわち今も未来も、最も生き生きと発揮していける。 それは、ほかの誰でもない、未来部の友です。未来部の一人一人が、躍動する「妙法の当体」そのものなのです。

【佐藤】 はい。決して子ども扱いするのではなく、共に「広宣流布の同志」として、向上していきます。

【名誉会長】 私は、この場をお借りして、男女青年部の「21世紀使命会」、学生部の「進学推進部長」、壮年・婦人部の「未来部育成部長」の皆様をはじめ、各部の皆様に心から御礼を申し上げたい。 宝の未来部といっても、少年部は、わんぱく盛りです(笑い)。中等部や高等部は、多感な時期です。なかには、言うことを、なかなか聞いてくれないメンバーもいるかもしれない(笑い)。 担当者の方々は、自身の仕事や家庭、学会活動など、本当に多忙ななか、時間をこじあけて一生懸命に取り組んでくださっている。その労苦が、私にはよくわかります。 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)です。「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(同1598ページ)です。 未来部のために尽くした行動は、すべて我が身を飾る大福運となる。皆さんのお子さんたちも、子孫も、永遠に功徳に包まれていくことは絶対に間違いありません。

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◆ 今はわからなくても
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【河本】 21世紀使命会の方々と話をすると、「未来部のメンバーを家庭訪問した時に、心を開いてくれず、なかなか会話がはずまない」という悩みを聞きます。会合に来てもまったく顔を上げず、ひたすら畳を見つめているという子もいます(笑い)。

【名誉会長】 そうか。担当者も、子どもたちも、どちらも大変だね(笑い)。でも、会合に来てくれただけでも、すごいじゃないか(笑い)。 その「心」を最大に讃えてあげてほしい。会合に来るのも挑戦です。未来部のみんなだって、遊びたい盛りだ。いろいろな事情があるなかを頑張って参加している。 表面的には乗り気じゃなかったり、話を聞いてくれていないように見える時があるかもしれない。でも、戸田先生はよく言われました。 「たとえ今は何もわからなくとも、後であの会合に参加したと思い出すものだ。目で見て、耳で聞いて、体で覚えることが大切なのだ」と。 顔を上げなくても、じっと話を聞いていることもある。大事な「一言(ひとこと)」が心に深く入っている場合もある。

【佐藤】 自分自身を振り返ってみても、本当に先生がおっしゃる通りです(笑い)。 後になって、担当者の方々が、どれだけ粘り強く祈ってくれていたか、その真心が痛いほど、わかります。

【名誉会長】 仏法の世界に触れ、仏縁を結ぶことが、いかにすごいことか。長い目でみれば、何一つ無駄はない。 御書には、平和の大指導者アショカ大王の因縁が繰り返し記されています。 「昔(むか)し徳勝童子(とくしょうどうじ)と申せしをさな(幼)き者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育(あそか)大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる」(1380ページ) 若き清らかな心で、仏法のため、師匠のため、広宣流布のためにと行動したことは、それが、ささやかに見えても、時とともに計り知れない福徳となって花開くのです。 真心の「土の餅」一つで、「一閻浮提の大王」です。仏法の因果は峻厳であると同時に、おとぎの世界のようにロマンに満ちている。それが現実となるのが妙法です。 「心こそ大切」です。未来部の活動は、仏法の本義に則って、若き心の大地に、偉大な「勝利」と「栄光」の大指導者に育つ種を蒔(ま)いているのです。

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◆ 幸福の安全地帯
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河本】 私は小学6年生の時、母親が、がんで入院しました。父は仕事が多忙ななか、懸命に私たちの面倒をみてくれましたが、家を留守にすることも多く、幼い妹たちと3人で不安に押しつぶされそうでした。 この時、真っ先に駆けつけて励ましてくれたのが、地域の学会の同志の方でした。 折あるごとに声をかけ、一緒に題目をあげてくれました。ご飯をごちそうになったこともあります。 池田先生の指導を通しての励ましを支えに、家族は団結し、母も病魔を乗り越えることができました。

【名誉会長】 学会ほど温かな「励ましの組織」はありません。まさしく学会は「人間共和のオアシス」であり、「幸福の安全地帯」です。 どんなに優秀なコンピューターでも、人間は育てられない。教科書だけでは、人格は鍛えられない。 ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けません。人間を磨くのは人間です。人間同士の交流であり、触れ合いです。これだけは、時代が移ろうとも変わらない。 「あのお兄さんが通(かよ)ってくれたから!」「あのお姉さんの一言があったから!」 ── 担当者の励ましを原点に頑張ってきた未来部員、青年部員が全世界に幾十万、幾百万といる。私は日本のみならず、各国から、そうした善びと感謝の報告を受けています。

【河本】 私が少年部長時代に出会った、埼玉県の未来部の合唱団の友がいます。 両親の離婚、そして同級生のいじめにあい、中学の後半はほとんど不登校でした。 転機となったのは、高等部担当者の熱心な誘いで参加した創価大学のオープンキャンパスでした。 創大生の温かな歓迎に感動するとともに、少年部時代に立てた創大進学の誓いを思い起こしたのです。彼は猛勉強を開始して見事、創大合格を勝ち取りました。 大学1年の時、池田先生が授業参観に来てくださり、思いもかけず、創立者と並んで法学の講義を受けることができました。先生からの激励を胸に、今、大学院生として研究に励んでいます。

【名誉会長】 よく知っているよ。立派になったね。 ともあれ、2030年に迎える創立100周年を勝ち開いていくのは、今の青年部・未来部の君たちです。 そして、2001年5月3日から7年ことのリズムで前進を開始した、第2の「七つの鐘」を打ち鳴らし、2050年を堂々と荘厳するのも、君たちです。 「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(御書465ページ)です。 どんなに法が立派で、建物が整備されても、人材の流れが枯れてしまえば、広宣流布の大河は止まってしまう。 戸田先生も「問題は人だ。全部、人で決まる。一人の青年で決まるのだ」と常々、語っておられた。 「顕仏未来記」には、「伝持の人無れば猶(なお)木石の(=木像・石像が)衣鉢(えはつ)を帯持せるが如し」(同508ページ)とも仰せです。「伝持の人」とは「後継の人」ともいってよい。 どんな団体も、後継者がいなければ滅び去ってしまう。正しき信心の後継者をたゆみなく育てていくことが、正法正義を永遠ならしめる唯一の道なのです。

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◆ 希望の太陽と光れ
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【佐藤】 池田先生は、今日の少子化の流れをいちはやく察知して、先手を打ってくださいました。 「少子化が進む時代だからこそ、『一人』が大事である。『一人』を徹底して大切にしていくことである。後継の一人一人が、『一騎当千の人材』に育ってこそ、平和の未来は盤石となるのである」と指導してくださいました。私たちも、今まで以上に「一人」を大切にしていきます。

【名誉会長】 どこまでも真心です。情熱です。誠実です。根本は「必ず自分以上に立派な人材に育てるのだ」との強き祈りです。 子どもが見ているのは、担当者の「心」であり、「生き方」です。「真剣さ」です。 私も青年時代から、あらゆる機会を使って、学会っ子を励ましてきました。会合で個人会場を訪れた際には、必ず提供者の方に御礼を述べるとともに、その家のお子さんに声をかけてきました。

【熊沢】 先生の奥様も、幼き日、牧口先生を、座談会の会場だったご自宅にご案内した未来部の“第1期生”です。さらに奥様は、女子部時代、会合などで、お母さん方に連れてこられた子どもたちに、本を読み聞かせて励まされるなど、まさに「21世紀使命会」の大先輩でもあります。

【名誉会長】 「子どもは未来の宝だ。未来からの使者だと思って大事にしなさい」 ── これが戸田先生の指導でした。私も妻も、このご指導通りに行動してきただけです。

【河本】 上越教育大学の森島慧(あきら)名誉教授も、学会の人材育成を評価してくださり、「子どもの発達段階において、20代、30代の青年層の方が、就学期の子どもたちとかかわり、良き兄、良き姉として相談等にものっていることは、大変に重要なことだと考えます」と語られました。

【名誉会長】 良識ある方々は、本当によく見てくださっている。殺伐とした社会にあって、未来の世代を徹して大切にする学会の連帯は、ますます希望と輝いています。

【佐藤】 先生から、「21世紀使命会」と命名していただいて、今年で15周年。先生は同会の友に、「21世紀の広布の指導者を育てる皆様こそ、最高の使命の人であり、大功労者である」と激励してくださいました。

【名誉会長】 人材を育てた人こそが真の人材です。太陽の温かな光があればこそ、万物は成長できる。太陽とは「希望」です。「勇気」です。「慈愛」です。 使命会の皆さんは、ますます意気軒高に未来部員を照らす「太陽」と輝いてほしい。 人の何倍も忙しいし、思うようにいかないことも多々あるでしょう。でも、太陽は、何があろうとも、平然と悠然と昇る。わが使命の軌道を、迷わず惑わずに進む。 大聖人は「法華経は日輪のごとし」(同1114ページ)と仰せです。わが胸中に、何ものにも負けぬ常勝の太陽を赫々(かっかく)と昇らせていくのです。 
(下に続く)