随筆 我らの勝利の大道 23 10/07/28

◆尊き庶民の大英雄を讃う(上)

快活に価値創造の人生を


 いついつも  大福運を   築かむと  因果の理法の    日々を正しく

 法華経の薬王品には、妙法の功力を、一切の渇きを満たす「清涼の池の如し」と説かれている。 この希望の大哲学を掲げて、殺伐とした現実社会に「清涼の池」の如く、爽やかな幸福と友情のオアシスを広げゆくのが、わが華陽の姉妹である。

希望の歌声と共に

 先日も、インド創価学会の女子部のメンバーが、弾ける笑顔の研修会の模様を報告してくれた。 「華陽の誓い」の歌を、英語で大合唱する光景も晴れやかである。 仏教発祥の天地インドでも、華陽の乙女が、地涌の使命に乱舞している。 釈尊も、また、マハトマ・ガンジーも、どれほど喜ばれるであろうかと、私の心は躍る。 ――それは、インドが独立を果たす一年前の夏であった。著名なジャーナリストが単身、マハトマ・ガンジーのもとを訪れた。 取材の合間、ガンジーの弟子の一人である女性が、仕事にいそしみながら、歌を口ずさんでいることに、記者は気づいた。 なぜ、歌を? 「楽しいからですわ」 間髪いれず、答えが返ってきた。〝だって、バープーと一緒にいるのですから!〝と。バープーとは「父」を意味する言葉で、ガンジーのことである。 悲願の独立へ、〝胸突き八丁〝ともいうべき、悪戦苦闘は続いていた。 しかし、師匠と共に前進する若き弟子たちには、突き抜けるような歓喜の歌声があったのだ。 仏典に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書二三一ページ)と。 勇気の歌声の轟くところ、希望は尽きない。新たな勝利への行進が始まる。 今、日本そして世界で、華のように、朝陽のように、創価の乙女たちは、「華陽の誓い」の歌声を響かせ、前進している。世界広宣流布の未来は、何と明るく開かれていることか。

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 「人民の力は無限です」とは、中国の周恩来総理の大確信であった。 創立八十周年の上半期も、わが創価の賢者たる、偉大な庶民の英雄たちが、無限の力を発揮し、大勝利の歴史を飾ってくれた。 日蓮大聖人の御聖訓に、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」(同一一四三ページ)とある。 その仰せのままに、みな広宣流布のため、立正安国のため、走り抜いてきた。 苦しいことも、辛いことも、嬉しいこともあった。思わず、快哉を叫んだ時もあった。その一つ一つが、全部、わが生命を荘厳する宝となって輝いているに違いない。 戦うごとに快活になり、強くなる!苦労を重ねるたびに成長でき、大きくなる!これこそ、最高の価値創造の人生だ。 ローマの哲人セネカは、語っている。 「賢者というものは喜びでいっぱいであり、活気に満ち、また柔和で、しかも不動です」 さらにまた、「賢者の心はと言えば、月の上方に広がる天空のごときものです。そこには、常に晴朗な大気があるのです」と。 まさに、わが同志の人生そのものではあるまいか。 信心の世界での労苦は、一切が自分自身の心に不滅の財宝となって積まれる。 「一生成仏抄」に、「皆我が一念に納めたる功徳善根なり」(同三八三ページ)と仰せの通りである。

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 十六年前(一九九四年)の八月、私は、北海道の各地を訪問したあと、青森県の東北研修道場を訪れた。十和田湖の側にあり、近くでは奥入瀬の滝が深緑の中に清例な水音を響かせる。 研修道場に着いた瞬間、懐かしい笑顔が目に飛び込んできた。 草創期、ご夫妻で、初代の青森支部長・婦人部長として戦ってくれた〝大功労の父母〝である。

「大丈夫だよ!」

 走馬灯のように、思い出が去来した。 ――昭和三十二年、北海道で夕張炭労事件が激化する渦中であった。横暴な権力に抗議し、愛する庶民を断固として護り抜くため、私は猛然と戦った。 その折、私の身を、わがことの如く案じてくださった一人が、この青森の母であった。それはそれは、真剣な眼差しであった。 私は深く感謝しながら、自分の胸をトンと叩いて言った。 「この僕が行くんだから、大丈夫だよ!」 安心されるとともに、決意にあふれた、母の笑みが浮かんだ。 ――さらに後年、昭和三十六年の厳寒の二月、八戸から秋田県の大館へ向かう途次のことであった。 列車の乗り換えで青森駅のホームに降りると、どっと青森支部の同志の笑顔に囲まれた。その人垣の中に、小柄な支部婦人部長が、両手に持ちきれないほどの、たくさんのオニギリを抱えて立ってくれていたのである。 炊きたての熱い御飯を握るのは、一苦労だ。しかも数十個ともなれば、手のひらは火傷したように真っ赤になったに違いない。 朝早くから御飯を炊き、時間を気にしながら、一生懸命に握って、握って、握って、駅まで駆けつけてくださったのであろう。

真心を忘れない!

 誰に言われたのでもない。私たち一行が、移動に次ぐ移動で、寒い中、「おなかが空くだろうから」と、母の如き慈愛が、あまりにも温かく有り難かった。 広宣流布を願い、日々、どれほど苦労し、戦っておられることか。その上に、これほどまで! 「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同一五九七ページ) 真心が宝玉のように光るオニギリに深く合掌して、皆でおいしく頂戴した。 真剣に戦い抜いた人を忘れない。苦闘の時を支えてくれた恩を忘れない。苦楽を共にした同志を絶対に忘れない――それが、日蓮大聖人の御心であられた。 御書には、「いつの世にか思い忘るべき」(一一九三ページ)、「いつの世にかわすれ候べき」(一二五四ページ)、「いつの世にか・わすらむ」(一三一三ページ)等と、門下への甚深の感謝の御真情が繰り返し記されている。 あなたの御恩を、生涯、いな永遠に、忘れることがありましょうか! この蓮祖の御心を深く拝しながら、私は生き抜いてきた。真心には、真心でお応えしてきた。 いったい誰が、紛然たる三障四魔の嵐をはね返し、広宣流布の聖業を遂行してくれているのか。 全部、学会員のおかげではないか。尊き地涌の同志のおかげではないか。 厳しい炎天下、金の汗を光らせながら、懸命に走りに走り、粘り強く歩きに歩かれた創価の母たちよ! 仕事で疲れても、笑顔で一人また一人と対話し、正義の声を広げていった偉大なる広布の勇者たちよ! 戸田先生は言われた。 「創価学会員は大聖人の子どもであり、大聖人の仏法を流布している、最も尊い地涌の菩薩の方々だ。 なかんずく学会をつくったのは、婦人部である。それを絶対に忘れるな。婦人部が一番、大事だ。大切にお守りしてもらいたい」 さらに先生は、こうも戒められた。 「広宣流布に戦っている人を心から尊敬しなければ、真の信仰はできないし、自分たちの組織の発展も、あり得ないよ」 永遠の指針である。

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 若き日、私が青年たちと共に学んだ長編小説に、吉川英治氏の名作『新・平家物語』がある。 昭和二十年代半ばから三十年代初めにかけて連載されたので、ちょうど恩師が第二代会長として戦われた時期と重なっている。 この名作が書かれた地である吉川英治記念館を、後年、訪れたことも、懐かしい思い出だ。 『新・平家物語』の中で吉川氏は、若き源義経を陰で支え抜いた郎党を、「草の実党」と呼んだ。 平家全盛の時代、地に伏しながらも、驕る権力者に従わず、時流に流されず、源氏の誇りを堅持し、自ら主君と定めた義経を護り、共に戦い抜いていった若武者たちの群像である。 今の埼玉や東京、千葉、栃木など、おおむね関東の大地に根ざした地侍として描かれている。

「草の実党」が奮闘

 そして、この「草の実党」は、源頼朝が平家打倒に決起した後には、義経に影が形に添うように従い、あえて最も困難な戦闘や目立たぬ任務を引き受け、忍耐強く勝利の突破口を開いていったのだ。 ――草の種は、野原に散らばって、大地に根を張る。たとえ色鮮やかな花々のように目立つことはなくとも、やがて、グングンと葉を伸ばす。雨風の日も、そして炎暑の日も、じっと堪えて、必ず立ち上がる。 そういう雑草の逞しさが、「草の実党」の名には託されていよう。 私もまた、戸田先生をお護りし、広宣流布の道なき道を切り開く、妙法の「草の実党」の勇将たらんと、強く深く決意していた。 そして、わが創価の青年同志と共に、いかなる苦難があろうとも、生涯、妙法流布の大願を果たし抜くまで、一兵卒として戦い抜こうと、ロマンを語り、誓い合ったのである。 この誓願の通り、私は、勝って師匠を迎えるために、広布の激戦地へ、全国を駆け巡った。 戸田先生は、会心の笑みで言ってくださった。 「私は、よき弟子を持って、幸せだった」 師匠に喜んでいただき、弟子として、最高の誉れであり、幸福であった。 かつて九州の地で、私は後継の若人に熱く語った。 「青年部がいれば、妙法の『草の実党』である俺たちがいれば、大丈夫だ――そう言い切れる自分になってほしい」 その約束を、今もって変わらずに貫いてくれている「火の国」九州の丈夫の林立が、頼もしい限りだ。

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 ともあれ、わが青年部は、花の若武者として、本当によく大奮闘してくれている。美事に新時代を勝ち開いてくれた。 壮年部も、創価の異体同心の要として、仏法即社会の堂々たる実証を打ち立ててくれている。 弟子の成長と勝利こそ、私の無上の喜びだ。

なぜ学会は強いか

 なぜ、わが創価学会は強いのか。それは、誰が見ていようがいまいが、一人立って、厳然と戦う「真正の勇者」がいるからだ。 今、自分のいるこの場所こそ、広宣流布の最前線の戦場なり――こう腹を決めて、猛然と祈り戦う、師弟共戦の同志が、全国の津々浦々に光っているからだ。 その人こそ、三世十方の仏菩薩が讃え、諸天善神が護ることは、絶対に間違いないのである。 フランスの有名な箴言に「完全無欠な武勇とは、人前ならやって見せられるであろうことを、誰も見ていないところですることである」(ラ・ロシュフーコー)とある。 信心は、役職では決まらない。年数でもない。 一個の人間として、まことの時に戦い、わが使命と誓いを果たす人が、信心の大英雄なのだ。

 偉大なる  また正義の剣持つ   我らこそ  広布と創価の    英雄なるかな

 今夏の豪雨では、九州の鹿児島県・福岡県、中国の山口県・広島県・島根県、中部の岐阜県などで大きな被書に遭われた。心からお見舞いを申し上げるとともに、妻と真剣に題目を送っています。 また連日、大変な猛暑が続いています。どうか、くれぐれも、熱中症などに注意し、健康で、有意義な夏を過ごしてください。