随筆 我らの勝利の大道 22 10/07/08

◆若き君よ7月を勇み舞え(下)


尊き労苦の汗に誉れあり

 偉大なる
  創価の丈夫
   わが弟子が
  広宣流布の
   誓いを果たせや

「国宝」の人は誰か

 青年は苦難を恐れない。いな、自ら立てた誓願を断じて果たしゆくため、あえて苦難に勇み舞っていく。これが青年だ。ここに真の充実がある。成長がある。 「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(御書五〇九ページ等) 伝教大師の示した、この「丈夫の心」を受け継ぐ若き英雄は誰か。真の「国宝」たる人材はどこにいるのか。 それこそ、わが創価の青年なりと、私は声を大にして訴えたいのだ。 いついかなる時も、私の胸には、勇気みなぎる青年部の君たちが光っている。 君たちは陰の労苦を惜しまない。会合運営や会館警備など、懸命に陰で敢闘を続ける創価班、牙城会等の尊き汗に、私は心で合掌する毎日である。 仏意仏勅の学会と同志を護り、広宣流布の勝利を開く――この一点で皆、時間をやりくりし、真剣に任務に馳せ参じてくれている。 経済的な試練もあろう。仕事や家族や病気などの悩みも多々あるに違いない。 しかし、ひとたび任務に就けば、いかに自分が苦しくとも、さわやかな振る舞いで同志に励ましを贈る。悪に対しては痛烈な破折の論陣を張る。正義の旗を高らかに掲げ、勝利のスクラムを拡大する君たちよ! 日蓮大聖人は、迫害の嵐のなか、同志の要として、歯を食いしばって戦い抜いてきた四条金吾に、繰り返し「陰徳あれば陽報あり」(同一一七八ページ等)と教えられた。 誰が見ていなくとも、人知れぬ汗と涙と祈りを、仏はじっと見ている。仏法の「冥の照覧」は、絶対に間違いないのだ。

いざという時こそ

 大聖人は、駿河国(静岡県中央部)で奮闘する門下を讃えて言われた。 「雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ」(同一五四八ページ) 青年よ、いざという時に、「負けじ魂」を燃え上がらせよ!君たちこそ、烈風に怯まず、勇気と忍耐の翼を雄々しく広げゆく、若き妙法の革命児なのだ。 男子部の誉れの先輩たる王城会をはじめ、壮年部の勇士も、毅然と学会厳護の先頭に立ってくれている。 「思想こそ、われらの最後のまた唯一なる牙城なれ」とは、若き革命詩人バイロンの獅子吼であった。 若くして正しき思想に巡りあえたことが、どれほど崇高であるか。どんな財宝を持つよりも偉大なのだ。 御聖訓には「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書一五七八ページ)と仰せである。 妙法を行じゆく青年は、わが生命も尊貴ならしめ、そして自らの住む国土も繁栄させていける。これが「立正安国」の大哲学だ。 大聖人は、若き南条時光に、一生成仏、そして広宣流布の根本目的に生き抜くよう指導された。 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」「つゆ(露)を大海にあつらへ・ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ、法華経の第三に云く『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』云々」(同一五六一ページ) 広布の大願を果たしゆく信念の行動は、必ず自己の境涯を広げ、自他共の幸福を広げていくのだ。

実行、実行、実行

 昭和三十二年の夏、夕張炭労事件、さらに大阪事件と相次ぐ嵐の中、私は青年部へのメッセージとして、聖教新聞にバイロンを論じた随筆を寄稿した。 「バイロンは、民衆を愛し、祖国を愛した」 「第一に実行、第二に実行、第三に実行と叫んで、革命運動に自分の本懐を見出したのである」 「妙法五字に照らされたる我等は、永遠につながる情熱を薫発して、広布に生ききるべきであろう」 この一文が掲載された六月二十三日の夕刻、私は、埼玉の女子部の部隊総会の会場を訪れて激励したのに続き、朝霞などへ、男子部の部隊総会を三カ所、電光石火の勢いで回った。 まだ動ける。まだ語れる。まだ会える。まだ励ませる――いかなる労苦も惜しまず、私は懸命にひた走った。 また前日の二十二日も、埼玉の大宮に赴いた。 連日連夜、愛する青年たちと、競い起こる三類の強敵に断固と打ち勝っていくことを、決意し合ったのである。

人材が陸続と雄飛

創価学会は、日本だけでなく全世界に、人類の幸福と平和を担い立つ、偉大な人材を育成する揺藍となる――これは「〝まさか〝が実現」という歴史的な勝利を開いた昭和三十一年の七月、私が恩師・戸田先生と師弟二人で語り合った、遠大な未来の展望であった。 本年七月は、江戸時代の蘭医学者・緒方洪庵が誕生して二百年の佳節である。 洪庵は岡山県に生まれ、二十代で日本を変える人材の揺藍「適塾」を大阪・北浜の地に設立した。 「ただ世のために」と、洪庵は宣言した。その師の心を継承し、福沢諭吉、橋本左内をはじめ、幕末の国家変革を担い、維新後の新生・日本の建設に尽力した青年群が巣立っていった。 適塾の人材育成の根底に、師弟の心の交流があったことは、よく指摘される。「誠」と「誠」の心で結ばれた師弟のつながりによって、血気盛んな若者たちの無限の可能性が、大きく開かれていったことは、まぎれもない事実だ。 わが創価の人材育成の根本も「師弟」である。みずみずしい師弟の精神が脈打つ場所に、次代を担う真の人材群が育ちゆくのだ。 今、熱血の息吹にたぎり立つ、わが創価の「ヤング男子部」の活躍も目覚ましい。なんと嬉しいことか。
 


 昭和六十一年の五月四日、私は関西の友と一緒に適塾を訪れた。 適塾のある北浜と、土佐堀川・堂島川を挟んだ向こう側には、大阪拘置所と大阪地検などの建物があった。私が無実の罪で不当逮捕され、権力の魔性と戦い抜いた「大阪事件」の舞台である。 二つの川の中州・中之島には、関西をはじめ各地から二万の同志たちが集い、「大阪大会」を開いた赤レンガの大阪市中央公会堂が立っている。 私は、命を賭して恩師をお護りした、激しい闘争の日々を思い起こしながら、あらためて心に定めた。 「どんなに大変であろうが、民衆の中から、民衆に尽くす真の人材を送り出し続けていくことこそ、権力の魔性を正すことだ」と。 そのために、愛する大関西の青年部をはじめ、一人ひとりの青年と、いやまして膝詰めで語り、徹して激励を重ねてきたのである。     ◇


青年は日本の眼目

 ロシアの大作家ドストエフスキーは語った。 「われわれは敬虔な気持ちで、わが青年層を信頼している。彼らには何よりもまず、ほんとうの自然な力がある。彼らには、今までわれわれの知らなかった、新しい仕事の胚子(=兆し)がある」 青年には進取の気性がある。活力が溢れ、柔軟性に富んでいる。新しい歴史を開くのは、断じて青年だ。 戸田先生、そして私の思いは、この青年を愛し、信ずる一心である。 恩師は言われた。 「青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国のゆくてを失うではないか。諸君は重大な使命を感じなくてはならぬ」 青年は、その眼目を鋭く冴えわたらせながら、正義の宝剣を振りかざして、前へ前へ進んでいくのだ。 限界を突破できるか、否か。それは、自身の一念で決まる。執念で決まる。 大聖人は、虎に母を殺された将軍が仇討ちのために放った矢は、石をも貫いたという中国の故事を引かれ、「強盛の信心」の真髄の力を教えておられる。 あの「大阪の戦い」の折、私はこの御書を拝し、関西の同志に語った。 「弓を満月の如く、キリキリと引き絞って、まさに全魂を込めて的を射んとする一念が大事なのだ。ここぞという時は、この姿勢を絶対に忘れてはならぬ」 戦いを決するのは、生命の奥底から発する勢いだ。
     ◇

 大聖人は、正法正義の命脈を護るために行動する南条時光を、「三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり、十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし」(同一五一二ページ)と賞讃なされた。 広宣流布を目指し、創立八十周年を美事に飾りゆく、わが創価の青年の使命の力走には、三世十方の仏天が大喝采を送っている。 君たちの勝利こそ、私の勝利だ。君たちの会心の笑顔こそ、創価の父母の最大の喜びである。 君たちこそ、栄光に輝く「師弟常勝」の最高峰へ、勇気と正義の大道を、誇り高く突き進む炎の闘将なのだ。魂の勝利者なのだ。 師弟の月・七月! 青年の月・七月! それは、青年部が〝創価三代〝の精神を継ぎ、人類の宿命転換の戦いに挑みゆく月である。 民衆の勝利の大旗を、威風も堂々と打ち立てゆく月なのだ。

 大拍手
  大万歳の
   勝利者と
  君よ指揮執れ
   君ぞ勝ちゆけ