随筆 我らの勝利の大道 20 10/07/02

◆7月3日と師弟の魂(下)

――嵐を乗り越え『常勝の空』へ!――

進め!激しく 撓まず 恐れず 堂々と

苦楽を共に祈りと戦いを共に

 大関西
  共に歴史を
    刻みけり
  おお常勝の
    君も私も

 昭和三十二年七月三日、私の不当逮捕の知らせは、電光石火の勢いで関西中に伝わり、同志は憤激した。 異体同心の関西は、最前線まで一体不二の呼吸である。だから強い。 関西本部の仏間には、誰に言われたわけでもなく、次から次に友が詰め掛け、唱題の渦が巻き起こった。 共に拝してきた「法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書一一三二ページ)との仰せを今に移した如く、私の無事と正義の勝利を、皆が懸命に祈ってくださった。 苦楽を共にしてくれた、この尊き貴き関西同志を、どうして忘れることができようか。一生涯、いな三世永遠に、わが生命の深奥に光り続けるに違いない。

師匠を護り抜く!

 大阪の夏は炎暑である。それに加えて、密室での取り調べでは、怒声も浴びせられた……。 しかし私には、差し入れてもらった御書があった。日蓮大聖人の大難を拝すれば、私の難は九牛の一毛に過ぎない。 先師・牧口先生と恩師・戸田先生が歩まれた「死身弘法」の師弟の道である。不二の同志と切り開く、「立正安国」の正義の道である。 絶対に、絶対に、負けるわけにはいかなかった。 当局の狙いが、戸田先生にあることは明白であった。ゆえに、自分が一切の盾となって、先生には指一本たりとも触れさせてなるものかと、私は固く心に決めていた。 経文には、末法に法華経を持ち弘める者は、迫害を「応に忍ぶべし」と説かれる。その理由を、大聖人は示されている。 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏勅を念ずるが故に応忍とは云うなり」(同七三八ページ) 「広宣流布」という師弟の仏勅に、わが一念を定めるならば、どんなことでも耐え抜いていける。断固と勝ち越えていけるのだ。

     ◇

 過酷な取り調べが続く、勾留中のある日の夕刻であった。私は手錠をかけられたまま、拘置所から屋外に出て、地検の建物へ移動させられた。人権の配慮などない不当な扱いであった。 重い鉄扉が開くと、そこに、東京から駆けつけてくれた一人の男子部員が仁王立ちしていた。 彼は、私に向かって、「戸田先生が……心配されて……います」と絞り出すように言うと、あとは鳴咽で言葉にならなかった。 わが友に、私は言った。 「私は元気です。頑張り抜きます。戸田先生に、そうお伝えしてください。 くれぐれも同志の皆様によろしく!絶対に心配はいりません」 伝言を託すと、私は再び獄中闘争に向かった。 〝広宣流布とは、庶民を犠牲にする権力の魔性との大闘争なり〝と、深く生命に刻みつけた彼は、やがて埼玉、大関東を舞台に奮闘する師子へと成長していった。その燃え盛る闘魂は、今の青年たちに脈々と受け継がれている。
同志が猛暑の中で

 
 あの七月の日々、私の安否を心配してくれ、大勢の同志が、大阪拘置所に来られた。猛暑の中、汗を拭こうともせず、建物の外に立ち尽くす婦人がいた。厚い壁を睨みつけて悔し涙する青年がいた。 「或る時は国のせ(責)めをも・はば(憚)からず身にも・か(代)わらんと・せし人人なり」(同一三二五ページ) 老いたる佐渡の夫妻に深謝なされた御金言が、胸に迫ってならなかった。 ともあれ、皆が恐れなき「師子王の心」の同志であった。この師子と師子の常勝の絆があるゆえに、わが学会は永遠に負けない。    ◇

 釈尊滅後の悪世に、法華経を弘めることは、難事中の難事である。 広宣流布の戦いが最も厳しく激しい、いざという時に、勇みに勇んで踊り出る存在こそ、「地涌の菩薩」にほかならない。 私の投獄から一週間が経った七月十一日、一人の母は、関西本部の仏間で深々と祈りを重ねていた。そして「大法興隆所願成就」の関西の常住御本尊に、誓願を立てたのである。 「すべてに勝っていく関西を、必ず建設してみせます!」と。 「負けたらあかん」との常勝の誓いは、この母たちから生まれたのである。 大阪事件を機に、関西と共に、全国の地涌の友も一つになって立ち上がった。

東京から反転攻勢

 七月十二日、東京では、不当逮捕に抗議する「東京大会」が行われた。戸田先生が烈々と糾弾の声を上げてくださったのである。 会場の蔵前国技館には、東京、そして埼玉、神奈川、千葉をはじめ首都圏全域から、四万人の同志が詰め掛け、場外まであふれた。反転攻勢の烽火であった。 この日、戸田先生は大会に来られる前、戦時中、同じ巣鴨の拘置所に入獄していた人物の訪問を受け、学会本部で対談された。 先生は、自分はいかなる弾圧も恐れぬと厳然と語られながら、「今度、大阪事件が起こって、私の弟子が勾留されている。今日、蔵前で、その抗議大会を開くのだ」と、気迫の真情を吐露されている。 地涌の師弟の結合は、迫害の烈風を受けて、ますます強く固く鍛え上げられていった。 この歴史的な日は、今、誓い光る「総東京婦人部幸福・勝利の日」として、新たな歴史を刻む。

不滅の大阪大会

 
最逮捕から二週間が過ぎた七月十七日。朝から、音楽隊の有志が、大阪拘置所の私に届けとばかり、堂島川の河岸で勇壮な学会歌を演奏してくれていた。 正午過ぎ、私は出所した。出迎えに来てくれた数百人の同志の頬を流れた熱い涙は、わが関西に光り輝く忘れ得ぬ宝である。 来阪された戸田先生をお迎えし、ご一緒して中之島の中央公会堂での「大阪大会」に向かった。後は必ず勝つ!

 午後六時に開会すると、にわかに明るい空がかき曇り、滝のような豪雨となった。雷鳴も轟いた。 それは、傲慢な国家権力を叱咤する、正しき庶民の激怒のようであった。 関西中から同志が駆けつけてくださった。中国からも四国からも、さらに九州からも、西日本の全域から友は大阪へ集ってくれたのだ。場内外は、約二万もの真の同志で埋まった。 激しい雷雨にも、帰る友はいない。誰もが決然と勇み立ち続けてくれた。 登壇前の私に、戸田先生は「挨拶は簡潔に」と耳打ちしてくださった。これから裁判の戦いを控えていることも案じられた、細やかなアドバイスであった。 私は短く訴えた。 「最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」 雷雨の轟音をかき消すような大拍手で、皆が応えてくれた。

関西は強くなるぞ

 
後に戸田先生はしみじみと、私に語られた。 「関西の同志は、実によく戦った。君が難を受けたことを、他人事のように感じていた者は一人もいなかった。すばらしい団結だ。皆、怒りに胸を焦がし、必死に祈った。学会の正義を、声を限りに叫び、走りに走った」 「これで関西は、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げたといえる」 先生は、この関西と私の共戦に、学会の命運を託してくださっていたのだ。 嵐が強まるほど、いよいよ師弟共戦の翼を広げて、大関西は飛翔する。我らの「常勝の空」へ!
     ◇

 フランスの哲学者ボルテールは喝破した。 「何か良いことをやろうとすれば、かならず敵が現われます」 「嫉妬がまちがいなくあなたを迫害するでしょう」 しかし「破廉恥な迫害もあなたの栄光を増大するばかりでしょう」と。 自由と人権の闘士に、卑劣な権力の迫害が起こることは、歴史の必然だ。 私が共に対談集を発刊したアルゼンチンのエスキベル博士も、軍事政権の人権抑圧と敢然と戦い、投獄された一人である。 圧政を批判する人びとは、失踪者として闇に葬り去られていた時代である。十四カ月にも及ぶ獄中生活は、常に死と隣り合わせの毎日だった。 博士も、ある日、突然、飛行機に押し込められ、空中から川か海に落とされる寸前まで追い込まれた。だが、飛行機は突如行き先を変え、結局、博士は九死に一生を得た。 エスキベル博士と強き信念で結ばれていた同志が、必死の救援運動を展開したため、軍事政権もそれを無視できなくなったのだ。 自由と平和を求める民衆の声は、やがて大きなうねりとなって軍政の厚い壁を打ち破り、博士は無事に釈放され、世界からの喝采を博したのである。 正義は厳然と勝った。それは、団結の勝利であり、人間の魂の凱歌であった。 博士は、自らの運動を振り返り、語っている。 「人間は、人間としての共通の目的を目指して進むとき、自由や平和を志向しているとき、尋常ではない能力を発揮するものです」
正義を満天下に!

 私も、あの大阪大会での「正義の声明」から四年半で、無罪を勝ち取った。
 初公判は、昭和三十二年十月十八日。
 最終陳述は、昭和三十六年十二月十六日。
 無罪判決は、昭和三十七年一月二十五日。
 公判は、実に八十四回。長く厳しい戦いで、正義は勝った。我らは勝ったのだ。
 歴史上、どれほど多くの罪なき人が、冤罪で苦しめ抜かれてきたことか。
 正義の人間が陥れられ、真面目な庶民が泣き寝入りするような社会を、断じて
変えていかねばならない。
 そのためにも、私たちの立正安国の戦いがある。
 創価三代の師弟の誉れとは何か。それは、民衆の自由と幸福を守るために、一
身をなげうって権力の魔性と戦い抜き、断固として勝ったという厳たる実証だ。
「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書九〇〇ページ)
 「七月三日」は、師と弟子の金剛不壊の魂が命懸けの闘争の中で結合し、永遠
の歴史に刻まれた「師弟常勝の記念日」なのである。

    ◇

 滝の如く 激しく
 滝の如く 撓まず
 滝の如く 恐れず
 滝の如く 朗らかに
 滝の如く 堂々と
 男は
 王者の風格を持て

 かつて、東北の奥入瀬渓流を訪問した縁から詠んだ一詩である。 わが壮年部の友も、この「滝」の詩を口ずさみつつ、全国で、雄々しく戦いを繰り広げてくれている。 今、この詩を思い起こす時、鮮やかに私の胸に迫ってくる光景がある。 それは、七月十七日の大阪大会――滝のような豪雨の中、中之島の中央公会堂の外に立ち尽くし、胸中で正義を絶叫しておられた、わが関西の同志たちの雄姿である。「王者の風格」の無名の英雄たちである。 滝の如く!我らは、激しく、撓まず、恐れず、朗らかに、堂々と、戦い、走り、師子王の魂で、勝ちまくっていくのだ。 さあ共々に、新たなる「創価完勝」を、痛快に、晴れやかに飾りゆこうではないか!
 
 この人生
  生き抜け勝ち抜け
   断固して
  三世の福運
   この世で勝ちとれ