随筆 我らの勝利の大道 19 10/07/01

◆7月3日と師弟の魂 (上)

夜明けが来た!勇敢に立ち上がれ!

一瞬一瞬に無限の価値がある

 「今」を大事にせよ! 行動の知性ゲーテは、弟子エッカーマンに語った。 「常に現在というものに密着していることだ。どんな状態にも、どの瞬間にも、無限の価値があるものだ」 まさに、年齢を重ねるごとに、ますます生き生きと働き続けた、人生の達人の言葉といってよい。 わが創価の〝多宝の友〝と同じである。 仏法が説く「一念三千」の哲理も、わが一念、すなわち瞬間瞬間の生命に、宇宙をも包む一切の可能性が具わっていると教えている。 御聖訓には、「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」(御書四六六ページ)と仰せである。

強き信力・行力を

 
 今、この時を逃さない。窓を開け放つように、わが生命を全開にして、歓喜あふれる「仏」の智慧と力を発揮していくのだ。 これが妙法である。 「今」の瞬間が、我々を試している。一瞬一瞬が勝負なのである。 引っ込み思案になって、臆病な生命に縮こまってはつまらない。同じ生きるのならば、勇気を奮い起こすのだ。愉快に、はつらつと打って出るのだ! 大変な時こそ、良き友と励まし合いながら、師子奮迅の「信力」「行力」で、無敵の「仏力」「法力」を湧き出しながら断固として勝ち進むのだ!    ◇

 権力の
  魔性見つめし
   この日かな
  学会精神
   いやまし炎と

 
今年も、熱き魂が燃える「七月三日」が巡り来た。 今から五十三年前(昭和三十二年)のこの日、私は全く事実無根の罪の容疑で逮捕された。 その直前の六月末には、北海道に渡り、炭労による学会員への不当な人権侵害に対し、夕張をはじめ健気〝北の大地〝の同志と共に、敢然と抗議し、正していった。 信教の自由、思想・信条の自由こそ、民主主義の根幹であるからだ。 古代ギリシャの劇作家メナンドロスも、〝悪に屈せず立ち向かえ〝と叫んだ。 さらに「真理を語ることが、いつでも、もっとも力がある」と強調していた。 私は、この炭労の圧力に対する人権闘争の渦中に、大阪府警への出頭を求められたのである。 夕張炭労事件の勝利を見届けると、真実を明らかにするために、自ら大阪府警に出向いていった。そこで拘束されたのである。

師匠と同じ日に

 
蒸し暑い日であった。 奇しくも、この七月三日は、戦時中、横暴な軍国主義の権力と戦い抜かれた恩師が、牢獄を出た十二年前(昭和二十年)と、同日のことであった。 戸田先生と共に牢獄にあった牧口初代会長は、前年(昭和十九年)の十一月十八日、すでに獄中に尊き生涯を閉じられていた。 先師・牧口先生の遺志を一身に受け継ぎ、わが心とした弟子・戸田先生は、広宣流布の巌窟王となって、出獄された。 いまだ戦火の止まぬ焼け野原で、恩師がたった一人、創価学会再建――そして広宣流布を誓願した日こそ、七月三日なのである。


真の弟子が決然と

 この七月三日とは、真正の弟子が決然として、また憤然として―― 一人、立ち上がる「師弟の日」だ! 勇気凛々と、生まれ変わって戦いを開始する日だ! 師匠が命懸けで勝ち開いた世界に連なる日だ!

     ◇

 ドイツの思想家ニーチェは鋭く訴えた。 「無私の意向でなにか偉大なものの基礎をきずいた人は、自分の後継者を養成しようと心掛ける」 自らの栄華のみを欲する権力者は、立派な後継者を求めない。一方、人のため、社会のための偉大な事業は、師匠から弟子へと継承されていくものだ。これが先哲の洞察でもあった。 峻厳な師弟の道は、弟子が師匠の背中におぶさって進むものではない。師匠が歩んだ道を、弟子が自分の足で歩み通していくのだ。その苦難の道を、断固と踏破する原動力こそ、「師と共に」という一念である。 七月三日、牢獄に入った私も、師・戸田先生と同じ思い、同じ決心であった。 「牢」の字には「かたい」という意義がある。 「牢は堅なり、固なり」(『唐韻』)――その牢獄で、私の信念は一層、堅固になった。

鋼鉄の如く堅固に

 過酷な獄中闘争を貫いた、ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブル

クも叫んだ。 「私はといえば、これまでも軟弱であったことはありませんが、最近は、鍛えられた鋼鉄のように堅くなっています」 彼女は、その獄中から、友へ「さあ、元気をおだしなさい」「万難を排して! さあ愉快にやろう」と励ましていたのである。 勇気は、何があっても晴れやかだ。不屈である。 反対に、臆病という心の牢獄に囚われた人生は、常に不幸であり、不自由だ。 権力の鉄格子が我を試すならば試すがよい。創価の師子は絶対に負けない! 七月三日は、〝恩師を、学会を、同志を、命を懸けて護り抜く!〝と、固く誓った私の原点の日だ。 蓮祖は仰せである。 「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇ページ) 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(同一五八九ページ) 創価の師弟は、一人も残らず師子である。

 師子は臆さない!
 師子は負けない!
 師子は油断しない!
 師子は攻め抜く!
 師子は必ず勝つ!


 あの日より半世紀余――アメリカの〝建国の父たち〝が掲げた自由と平等の精神を誇り高く受け継ぐ名門ジョージ・メイソン大学から、光栄にも、名誉人文学博士号を拝受した。 私は、創価の人権闘争の勝利の誉れとして、謹んで、牧口先生と戸田先生に捧げさせていただいた。

同志を裏切るな!

 この大学が名前を冠する人権の擁護の先駆者ジョージ・メイソンは、わが子へ語り残している。 「祖国の自由を叫び、自らが持って生まれた自由という神聖なる権利を、後世の人びとに伝えるための努力を、私利私欲のために、裏切ってはならない」と。 いずこの世界にあっても、私利私欲のゆえ、自らの理想を踏みにじり、同志を裏切った人生は、永劫に敗残の汚名を残すだけだ。

     ◇

 師子は吼える!

 大難の師を支えた婦人部の大先輩・千日尼への御聖訓にも、「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(同一三一六ページ)と説かれている。 「勇気の声」を奮い起こすのだ。「誠実の声」を響かせるのだ。人を誑かす、卑怯な雑音を打ち砕く、正義の声の弾丸を放て! 我らは、草の根の粘り強い対話で、社会を、世界を変革しゆく使命を担っているからだ。
 
生き生きと語れ!

 カナダ最古の歴史を誇る名門ラバル大学で教壇に立った、社会学者・哲学者のデュモン博士は、信仰心ある人こそ、理想の世界を目指して、社会参加をすべきであると喝破した。 そして、こう記した。 「『話す』ということは、他者と、社会をどう開発・変革すればいいか、訴えることを意味している」 正しい社会を創るために、日々の暮らしの中で、生き生きと堂々と自らの信条を主張する。そこに民主主義の真髄がある。 創価の友は、その先端を切り開いているのだ。

     ◇

 七月三日、北海道から大阪に移動する途次、中継地の羽田空港で、恩師が待っていてくださった。 「死んではならんぞ」戸田先生は、私の体を抱き締め、声を振り絞るように言われた。 「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな!」 熱い感動が込み上げた。生死を超えて、師弟は不二である。この師と共にある限り、絶対に敗北はない。 私は、燃え上がる魂を感じながら、再び飛行機に向かって歩き始めた。 その時、人垣の中から、東京の婦人部の必死の声が聞こえてきた。 「同志にご伝言を」 即座に、私は言った。 「日本の夜明けが来た! そう、わが同志にお伝えください」 この真情を汲んで、「我も立つ」と奮起してくれた創価の母たちを、決して忘れない。 私がお会いしたチェコの哲人指導者ハベル大統領も、極限の状況である、残酷な牢獄での闘いを通して、こう確信されたといわれる。 「希望とは外からやってくるものではなく、私たちが希望を持つかどうか」、そこにかかっていると。 一番苦しい時に、歯を食いしばって、決然と立ち上がる。 そこに、わが胸から希望の太陽が昇るのだ。勝利の夜明けが始まるのだ。 孔子は、愛弟子の子貢に語った(『論語』)。
 
「仁者は憂えず。
  知者は惑わず。
  勇者は懼れず」

 慈悲と智慧、そして勇気をもって、広宣流布に生き抜く人生には、憂いもない。惑いもない。そして懼れもない。 「勇者共戦」――七月三日を貫く師弟の魂は、永遠に不滅である。

 偉大なる
  正義の道を
    走りゆく
  君たち讃えむ
    同じ師子吼を